第二十五章 断魂谷の論理迷宮
断魂谷の入口を越えた瞬間――
周囲を吹き荒れていた風雪が、まるで最初から存在しなかったかのように消え去った。
その代わりに訪れたのは、息が詰まるほどの静寂だった。
空気中には、霊気が一片たりとも存在しない。
その代わり、肉眼でもはっきりと見える、淡い青色の半透明な網状エネルギーが空間全体を満たしていた。
無数の光の網が縦横に交差し、峡谷全体を大小さまざまな空間の断片へと切り分けている。
地面も、もはや土や岩ではなかった。
そこに敷き詰められているのは、無数の古代文字と、歯車が噛み合うような紋様が刻み込まれた巨大な黒い晶石板だった。
「これが『天幕之眼』の外周防衛線――」
先頭を歩いていた墨三が足を止める。
「断魂谷・論理陣列」
彼女は慎重に懐から、あの壊れかけた論理鍵を取り出した。
そして、それを宙に浮かぶ一枚の晶石へそっと押し当てる。
次の瞬間。
論理鍵の表面から青い光が一瞬だけ走った。
すると、目の前で複雑に絡み合っていた青い光網が、空間そのものを裂くように開いた。
そこには、辛うじて一人が通れるほどの細い隙間が生まれていた。
「ここの光網一つ一つが、不可逆の『世界規則判定』になってる」
墨三は声を落とし、振り返って二人に注意を促す。
「真元で無理やり突破しようとしたら、『不正侵入』って判定される」
「そうなったら――」
「金丹期どころか、元嬰の大能だって、一瞬で規則に同化させられて、この場所の冷たいデータに変換されちゃうよ」
晏清は重剣を強く握り直した。
警戒しながら、周囲で明滅する無数の光網を見渡す。
「ここの造りは、修仙者の手段とは到底思えない……」
「まるで、精密で冷酷な機械仕掛けだ」
「修仙というもの自体、もともと奪うことだ」
終夜は淡々と後ろを歩いていた。
その深い視線が、足元で精密に動き続ける歯車と古代文字を捉えている。
「上宗連盟が言う『飛昇』も、『天道を悟る』というのも――」
「この観測所を通して、世界全体の霊気と生き物の因果をまとめてアップロードし、高次元の存在が刈り取るための底層アルゴリズムにすぎない」
「修仙者が修めているのは仙じゃない」
「この巨大なサーバーのために働いているだけだ」
墨三はその言葉を聞いて、目を丸くした。
そして、思わず親指を立てる。
「やるじゃん、終夜」
「三年も清理工をやってる私より、よっぽど見えてるじゃん」
三人は、論理鍵によって開かれた狭い隙間を通り抜けながら、複雑に絡み合う青い光網の間を音もなく進んでいった。
だが――
峡谷の大半を通り抜けようとした、その時。
遠くの虚空から、突然、耳をつんざくような警報音が響き渡った。
ビーッ!
ビーッ!
――次の瞬間。
それまで静かだった青い光網が、一斉に鮮血のような赤へと変わった。
そして、霊気と古代文字によって形作られた無数の「因果監察傀儡」が――
まるで血の匂いを嗅ぎつけた鮫の群れのように、四方八方の晶石壁の隙間から一斉に飛び出してきた!
「まずい!」
墨三の顔色が変わった。
手にしていた論理鍵が激しく明滅している。
「私たちの動きが、底層警戒のリアルタイム更新を引き起こした!」
「天幕之眼のメインシステムが、予定より早く目を覚ましたんだ!」
瞬く間に――
全身が白骨のように白く、関節部分を歯車によって駆動させる傀儡が数十体、三人の退路を完全に塞いだ。
その虚ろな眼窩には、冷たい赤い光が燃えている。
すべてを破壊するかのような圧力をまといながら、三人へ一斉に襲いかかってきた。
「退路が断たれた」
晏清の瞳に、戦意が一気に燃え上がる。
全身の真元が轟然と噴き出した。
重剣が、圧倒的な重量を伴う風切り音を響かせながら、正面から突進してきた数体の傀儡へと容赦なく叩き込まれる。
しかし――
終夜はその場から動かなかった。
その視線には、わずかな動揺すらない。
彼は押し寄せる無数の紅い光網を静かに見つめる。
そして、腰の鉄剣をゆっくりと抜いた。
口元には、冷たい笑みが浮かんでいる。
「データを更新したいっていうなら――」
「それなら、こっちから送ってやろう」
「システム全体を崩壊させるほどの――」
「死のループをな」




