第二十四章 荒野の上の「漏洞清理工」
狭い峡谷の入口で、風雪が渦を巻くように吹き荒れていた。
地面の鉛色の雪粒が巻き上げられ、空中を舞う。
晏清の重剣がわずかに下がった。
その冷たい視線は、雪丘の上にいる少女へと向けられている。
古びた獣皮の長袍。
歯車仕掛けの羅盤を弄ぶ姿。
相手からは、修仙者特有の鋭い威圧感がまるで感じられない。
体内を流れる真元の波動さえ、まだらで乱れている。
それでも――
こんな場所で、十丈以内まで気配を悟らせることなく近づいてきた。
それだけで、普通の人間ではないことは十分に分かる。
「漏洞清理工?」
終夜は、半寸ほど抜いていた鉄剣をゆっくりと鞘へ戻した。
その視線は、少女の手にある歯車羅盤へと向けられる。
羅盤の表面に取り付けられた黄銅片が、規則正しくカチカチと音を立てていた。
その周波数は、腰にある因果の残片と、かすかに共鳴している。
「上宗連盟の犬が、継ぎ接ぎだらけの獣皮なんか着るわけがない」
「上宗連盟の連中みたいに、目を天より高くしてる奴らは、生き物を全部操り人形にしたがってる」
「そんな連中に、こんな精巧な機械美学が使いこなせると思う?」
少女は唇を尖らせた。
そして、雪丘から大雑把に滑り降りてくる。
長袍についた雪をぱんぱんと払い、フェルト帽を少し持ち上げた。
そこから現れたのは、少し灰で汚れているものの、非常に整った顔立ち。
そして、黒曜石のように明るい瞳だった。
少女は手の中の羅盤を軽く振りながら、勝手に話し始める。
「私は墨三」
「職業については……まあ、簡単に言えば――」
「あなたたちみたいに修仙界をひっくり返すほどの『大迷惑製造者』を専門にして、天幕之眼に直接消されずに済む、生き残りの道を探してあげる仕事かな」
「生き残る道なんて必要ない」
晏清が冷たく言った。
「くだらない話しかできないなら、今すぐ道を空けろ」
「そんなに怒らなくてもいいじゃん、女戦神さん」
墨三は笑いながら手を振った。
そして、その視線を終夜へ向ける。
「あなたたちが青石鎮から天枢城まで殺しながら進んできたことも知ってる」
「天剣宗の長老を斬って、韓無咎まで潰した」
「外から見れば、あなたたちは向かうところ敵なしの破局者ってところだよね」
「でも――」
墨三は羅盤を持ち上げた。
「毎日、荒野のゴミと付き合ってる私から見れば、今のあなたたちの因果線はもう真っ赤に焼けるくらい熱くなってる」
「暗闇の中で燃える、二本の松明みたいなものだよ」
「このままあと十里進んだら――」
墨三は羅盤の針を北へ向けた。
「天幕之眼の『規則の錨』が、あなたたちを最高等級の排除対象として直接ロックする」
そう言いながら、墨三は羅盤の針を、北境の果てにそびえる漆黒の雪山へと向けた。
「見える?」
「あの山、自然にできた雪山なんかじゃないよ」
「あれは上宗連盟が『旧世界の法則』を封じ込めるために作った、巨大な炉なんだ」
「天枢城を壊したから勝ったと思ってる?」
「違うよ」
墨三は笑みを浮かべた。
「ただ上にいる『棋手』に、目を開けさせただけ」
終夜は静かに聞いていた。
その表情には、何の波も浮かんでいない。
彼は二歩ほど前へ進み、墨三をまっすぐ見つめた。
「そこまで詳しく知っている」
「それなのに、わざわざここで俺たちを待っていた」
「なら、お前には情報があるだけじゃない」
「俺たちに何か求めているんだろう」
「条件を出せ」
墨三の笑顔が、わずかに引っ込んだ。
その瞳に、少しだけ感心したような光が浮かぶ。
彼女は声を落とし、懐から一つの壊れかけた機械の核を取り出した。
淡い青い光が、その内部でかすかに明滅している。
「話が早くて助かる!」
「私の望みは簡単」
「私を『天幕之眼』の核心制御室まで連れていって」
墨三は手の中の機械の核を見せた。
「これは『論理鍵』」
「観測所の底層警戒を一時的に遮断できる、唯一の通行証だよ」
「これがなかったら――」
「入口に触れることすらできない」
「何千、何万という因果監察傀儡に引き裂かれて、粉々にされるだけ」
終夜は、その機械の核をじっと見つめた。
内部を巡る、奇妙な規則の波動を感じ取る。
しばらくして。
終夜の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「成立だ」
「交渉成立ね。二人ともよろしく」
墨三は再びフェルト帽をかぶり直した。
歯車羅盤を懐へしまい込む。
そして振り返ると、風雪の奥へ続く断魂谷へ向かって歩き始めた。
「私の足跡から離れないでね」
「これからの十里は――」
墨三が振り返り、にやりと笑った。
「そんなに簡単じゃないから」




