第二十章 神枢の逆流、主導権の逆転
天枢城の地下深く。
幽暗な石室の中には、太古の巨獣の骸骨特有の、身を切るような冷気が漂っていた。
壁に埋め込まれた燐石が、ぼんやりとした緑色の光を放っている。
その光に照らされ、石室の中央にある巨大な陣眼が、明滅を繰り返していた。
それこそが――
天枢城全体の根幹。
「遠古神枢」と呼ばれる霊気の核心だった。
今、その神枢の内部から、雷鳴のような低い轟音が響き続けている。
太い金色の霊気の柱が、晶壁の間を狂ったように駆け巡っていた。
まるで閉じ込められた巨獣が、苦しみながらもがいているかのようだった。
「ここね」
聞風者は石室の端に立っていた。
両目は黒い絹帯で覆われている。
それでも、その額には細かな冷や汗が浮かんでいた。
周囲を満たす荒々しい空間圧力を感じ取り、彼女は低い声で言った。
「あと半柱香もしないうちに、神枢は十二刻に一度の周期的な逆流を始める」
「その瞬間、天枢城全体の霊気が一気に吸い上げられるわ」
「無理に干渉すれば――金丹修士ですら、空間の乱流に引き裂かれる」
晏清は重剣を強く握り、周囲の暗い回廊を警戒した。
「韓無咎は城外に因果羅盤を置いている」
「外周の出口は、もう完全に封鎖されているはずだ」
彼女は終夜を見る。
「ここで神枢を動かして、本当に私たちまで一緒に埋まらないのか?」
「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」
終夜の表情は静かだった。
一歩。
また一歩。
彼は迷いのない足取りで神枢の核心――陣眼の石台まで歩いていく。
そして、何のためらいもなく手を翻した。
数枚の血に濡れた古い銅銭。
さらに、天剣宗の残された陣法から回収した、断裂した因果の残片。
それらが終夜の手の中に現れる。
その目は、集中していた。
冷たいほどに。
まるで極めて精密な外科手術を行っているかのようだった。
修仙界の人間にとって、神枢は触れることすら許されない神跡。
上宗による支配の象徴でもある。
だが、終夜の目には違って見えていた。
これはただの――
長い年月によって老朽化し、至るところに漏洞を抱えた巨大な装置に過ぎない。
いわゆる「因果の網」も、彼にとっては複雑に絡み合った無数の霊力のデータ流にすぎなかった。
「韓無咎は羅盤で俺たちの因果を固定したい」
終夜が低く呟く。
「だったら――」
その指先が、神枢の陣眼を流れる主回路へ正確に入り込む。
「この神枢そのものの因果を、全部あいつの羅盤へ繋ぎ替えてやる」
次の瞬間。
――パチンッ!
鋭い霊力の爆発音が響いた。
終夜は一枚の銅銭を、核心の枢軸にある凹槽へ力任せに押し込んだ。
轟隆――!
その瞬間。
天枢城全体が、激しく揺れた。
……
同じ頃。
天枢城から数里離れた荒廃した祭壇。
先ほどまで座禅を組み、目を閉じながら因果を推演していた韓無咎が――
突然、目を見開いた。
手にしていた幽青色の因果羅盤は、先ほどまで何の乱れもなく回転していた。
だが今。
――キィィィン!
耳を刺すような悲鳴を上げた。
羅盤の表面に刻まれていた符文が、瞬く間にひび割れていく。
「何だと!?」
韓無咎の顔色が変わった。
胸の奥から、極めて強烈な不吉な予感が湧き上がる。
だが、彼が状況を理解するより早く――
羅盤に残されていた因果の線が、突然その流れを反転させた。
幽青色の因果が逆流する。
そしてそれは、まばゆい金光へと変わり――
韓無咎の腕を伝って、彼の識海へ一気に叩き込まれた。
「ぐっ――!」
――ドンッ!
韓無咎は雷に打たれたかのように全身を震わせた。
次の瞬間。
「ゴホッ!」
大量の血を吐き出す。
身体がよろめき、彼は数歩後ろへ退いた。
その目に宿っていた自信も、これまでの冷淡な余裕も、一瞬にして消え失せた。
そこに残ったのは――
隠しようのない驚愕だった。
「因果……」
韓無咎は震える声で呟いた。
「因果が……逆転しただと!?」
彼は遠くを見た。
風雪に覆われた天枢城。
その上空では、今まさに巨大な霊気の逆流が、天へ向かって立ち上がり始めている。
「誰だ……」
韓無咎の声が震える。
「誰が天枢城の地下で――神枢を動かした!?」
その瞬間。
彼はようやく理解した。
最初から最後まで。
自分たちが狩人だと思い込んでいた者たちは――
ただの駒だった。
あの、いわゆる「システムの漏洞」に。
自分たちこそが、鼻先を引き回されていたのだ。
荒野を吹き抜ける風雪が、さらに激しさを増していく。
そしてこの瞬間。
棋局の主導権が――
静かに、入れ替わった。




