第十九章 狩人と獲物の入れ替わり
天枢城の外では、風雪が次第に激しさを増していた。
城の北数里。
荒れ果てた祭壇の上に、数十人の人影が座していた。
全員が暗金色の長袍をまとい、顔は深く被った頭巾の奥に隠されている。
その身から放たれる神識は、息苦しいほど冷たかった。
そしてその全員が――
築基巔峰、あるいは金丹境に達した強者だった。
先頭に座る男は、細身で背が高い。
その手には、幽青色の因果の力が渦巻く羅盤が握られている。
羅盤の針は激しく震えていた。
やがて――
ピタリと止まる。
その針先は、天枢城の地下闇市の方向を真っ直ぐに指していた。
この男こそ、上宗連盟が北境に派遣した「因果監察使」――
韓無咎。
「大人」
副官の一人が低い声で報告する。
「羅盤による因果追跡が、すでに標的を完全に捉えました」
「天剣宗を破壊した、あの二人の『システムの漏洞』は、現在、天枢城地下の闇市に潜伏しています」
「ただちに人を率いて城全体を封鎖し、強制捜索を行いますか?」
韓無咎は、ゆっくりと目を開いた。
その瞳には、何の波も浮かんでいない。
まるで蜘蛛の巣へ迷い込んだ獲物を眺めるような目だった。
男は小さく笑った。
「強制捜索?」
しゃがれた声が風雪の中に響く。
「天枢城は、各勢力が複雑に根を張る金の消える場所だ。その背後には、上宗連盟内部の利権までいくつも絡んでいる」
「真正面から踏み込めば、余計な騒ぎを起こすことになる」
韓無咎は立ち上がった。
「そうなれば、騒ぎを眺めているだけの連中に、こちらの弱みを掴まれる」
彼は手にしていた羅盤を、空中へ軽く放った。
次の瞬間。
幽青色の因果の網が一気に広がっていく。
その網は、瞬く間に天枢城の大半を覆った。
「獲物が自分から、最も密度の高い網目へ飛び込んだのなら――」
韓無咎の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「急いで網を引く必要はない」
「命令を下せ」
「すべての空間転送陣を封鎖する」
「そして、闇市周辺の霊気回路を密かに断て」
韓無咎は羅盤を見つめながら、淡々と言った。
「奴ら自身が気づかないうちに、すべての切り札と逃げ道を一つずつ削り取る」
「最後には――」
「壺の中の鼠と同じように、這いつくばって俺の前まで来させる」
だが。
韓無咎がどれだけ計算を重ねても、ただ一つだけ計算から漏れていたものがあった。
狩人が暗闇から獲物を見下ろしていると思っているとき。
本当の棋手は――
すでに一手先の石を置き終えていた。
……
同じ頃。
地下の暗室。
終夜は、外から伝わってくる微かな霊気の異常を感じ取っていた。
だが、慌てる様子はない。
それどころか、茶杯を手に取り、温かな苦茶を一口だけ啜った。
「どうやら、あの監察使様は猫が鼠を追い詰める遊びが得意らしい」
終夜は茶杯を置いた。
その瞳に、わずかな戯れの光が浮かぶ。
「闇市の霊気回路を切って、俺たちをここで干上がらせるつもりだ」
聞風者は微かに笑った。
その指先が、墨玉の棋盤を軽く叩く。
「韓無咎は、上宗連盟でもっとも推演に長けた『因果監察使』と呼ばれているわ」
「これまで、いつも他人を計算にかけてきた男よ」
一拍。
「ただ残念ね」
聞風者の口元に笑みが浮かぶ。
「今回、相手にしているのは――常識通りには動かないハッカーだから」
晏清は重剣を強く握った。
「外への道は、すでに因果羅盤で封じられている」
「正面から突破すれば、ちょうど相手の包囲網へ飛び込むことになる」
彼女は終夜を見る。
「今、私たちはどうする?」
「焦る必要はない」
終夜はゆっくりと立ち上がった。
視線が、机の上に広げられた聞風者の布陣図へ落ちる。
その声は静かだった。
だが、すべてを掌の上で動かしているかのような確信が滲んでいた。
「向こうが因果の網を張るのが好きだっていうなら――」
終夜は地図を見つめる。
「その網を、もっと細かく引き裂くのを手伝ってやろう」
そして、聞風者へ視線を向ける。
「さっき言っていたな」
「天枢城の地下にある『遠古神枢』は、十二刻ごとに一度、わずかな霊気の逆流を起こすんだろう?」
聞風者の笑みが、わずかに消えた。
表情が重くなる。
「ええ」
「それは上宗連盟が北境を支配するための『牧羊陣眼』よ」
「まさか……」
彼女の声が低くなる。
「神枢を動かすつもり?」
「それをやれば、北境全体の空間が崩壊する可能性がある」
「禁忌よ」
終夜の口元に、冷たい弧が浮かんだ。
「禁忌っていうのは――」
「破るためにある」
彼は一枚の血に濡れた銅銭を取り出した。
そして、それを正確に地図の中心――
神枢へ繋がる枢軸の位置へ弾き込む。
――カン。
銅銭が落ちた。
終夜の目に、冷たい光が宿る。
「韓無咎は、俺たちを鼠として閉じ込めたいんだろう?」
「だったら――」
彼は静かに笑った。
「こっちから、奴に大きな贈り物をくれてやる」
「天枢城全体に張り巡らされた因果の網を――」
「奴自身の因果羅盤ごと、完全に反噬させてやる」




