↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/17

第15話 見てたか

 八月三十一日は、予報どおり晴れた。


 河川敷の特設ステージは、思っていたより小さかった。鉄パイプと足場板でできていて、後ろに川が流れている。客席という区画はなく、みんな芝生に座ったり立ったりしている。焼きそばの屋台が二つ出ていた。


 十三時集合。ゴブソンは十二時に来ていた。


 道が分からなかったら困る、という、いつものこいつの習慣だった。


 高校生バンド枠は六組。うちは四番目、十六時二十分。


 待ち時間のあいだ、大井が何度もセットリストを見直していた。宮田は日陰でずっと寝ていた。ゴブソンは、テントの隙間から客のほうを見ていた。


 誰かを探しているのは、俺には分かった。


 二週間前のライブで上がらなかった手を、こいつはまだ探している。


* * *


 十六時二十分。


 名前を呼ばれて、ステージに上がった。


 夕方に近づいて、日差しが少し斜めになっていた。川からの風が生ぬるい。前のバンドの客が半分残っていて、うちの客が三十人くらい。大井の妹と、その友達が前で手を振っている。


 一曲目。


 鳴った瞬間に、俺は分かった。今日は、いい。


 二曲目でゴブソンのコーラスが入る。ヘルメットの中から出てくる、あの人間の声じゃないやつだ。喉の奥で石を挽くみたいな唸り。最前列の知らない客が「うおっ」と言うのが聞こえた。


 三曲目、四曲目。


 残り一曲になったとき、俺はマイクの前で言った。


「新曲やります。昨日できました」


 誰も知らない曲だ。当たり前だ。昨日の深夜二時にできたばかりで、聴いたことがあるのは、この地球上で四人しかいない。


 Aメロ。


 Bメロ。


 あいつが七回やり直して、八回目に見つけたやつ。


 俺はそこで、少しだけ客席を見た。


 誰も、この曲がこいつの最後だとは思っていなかった。夏の終わりの河川敷で、高校生のバンドが新曲をやっている。それだけの光景だった。


 サビが終わって、最後のフレーズが伸びて、消えた。


 拍手が起きた。屋台の音と、川の音と、拍手。


* * *


 そこで、ゴブソンが動いた。


 ギターを肩から下ろして、ヘルメットに手をかけた。


 俺は止めようとした。手が届かなかった。


 あいつは、両手で持ち上げて、外した。


 夕方の光の下に、緑色の顔が出た。


 低い鼻と、横に大きい口と、外に出た二本の下の歯。黄色い目。汗をかいた頭から、湯気みたいなものが上がっていた。二か月で初めて見る、あいつの、外の顔だった。


 客席がざわついた。


 それから、笑い声が起きた。


「うわ、すげえ」


「特殊メイク?」


「やば、めっちゃ完成度高い」


 誰も、悲鳴を上げなかった。


 誰も、通報しなかった。


 この街では、モンスターはもう珍しくない。テレビの向こうにいて、ニュースの中で処理されて、捨てられた着ぐるみが夜中に立ち上がることもある。だから、河川敷のステージの上にいるゴブリンは、『よくできたコスプレ』にしか見えない。


 夕方の四番目の高校生バンドを、この時間、冒険者が見ているわけもない。


 あいつは、そのざわめきの中に立っていた。


 汗が顎から落ちていた。息が上がっていた。それでも、客席のほうは見ていなかった。


 顔を上げた。


 空を見ていた。


 そして、右手を上げた。


 手のひらを開いて、目の高さで、まっすぐ前に。


 俺は、それが何なのかを知っている、たった一人の人間だった。


 客席から送るはずだったサイン。上がらなかった手。二週間前の夜、半券の束の中から見つかった、血のついた一枚。


 あいつは、それを空に送った。


 言葉は、なかった。


 でも俺には聞こえた。


『見てたか?』


* * *


 同じ時刻、地下四十七階。


 朝倉千秋は、コアの前に立っていた。


 直径二メートルほどの、光る球体だった。表面を紫と白の筋が流れている。三年潜って、初めて見た。


 規定では、コアは発見しだい破壊する。到達報告と同時に、上へ連絡が飛んでいる。


 柏木さんが振り返った。


「朝倉。やれるか」


 千秋は、時計を見た。


 十六時二十分。


「……あと、二十分」


「は?」


「二十分だけ、待ってください」


「何言ってんだ」


「お願いします」


 柏木さんは何か言いかけて、やめた。三年、この後輩が規定から外れたことを一度も見ていない人の顔だった。


 千秋は壁際に座って、スマホを出した。


 攻略部隊の中継器は、深層まで電波を引いている。彼女の配信のために引かれたようなものだ。


 配信に流れるのは、選別されたシーンだけだ。何を出すかは、こちら側で決める。それでも、いつもは流す側だった。


 今日は、受け取る側だった。


 河川敷フェスの公式配信。画質は荒い。音は、イヤホンから小さく漏れるくらいの音量にした。


 四番目のバンドが映っていた。


 市川がマイクの前で何か言っていた。聞こえなかった。


 演奏が始まった。


 千秋は、コアの光を背中に受けたまま、それを最後まで見た。


 知らない曲だった。あの日、防音室で聴いたどれとも違った。


 最後の音が消えて、拍手が入って、画面の中で、ヘルメットの人がそれを外した。


 客席が笑っていた。


 千秋は笑わなかった。


 画面の中のゴブリンが、空を見上げて、右手を上げた。


 手のひらを開いて、目の高さで、まっすぐ前に。


 千秋の指が、スマホを落としかけた。


 十四日前、ダンジョンの行き止まりで、壁にもたれた一体が、同じ手を上げた。


 彼女はそれを、降参だと思った。


 両手が上がらないから片手なんだな、と思った。


 違った。


 あれは、降参ではなかった。


 あれは、『約束の合図だった』。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。