↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/17

第14話 Bメロ

 残り三日、ゴブソンは焦っていた。


 練習の時間を延ばしたがった。休みの日を潰したがった。日程を三回確認した。


「三十一日だよな」


「三十一日」


「何時」


「十六時二十分。集合は十三時」


「十三時」


 メモも取らずに、二日おきに同じことを聞いてくる。


 感傷的なことは一言も言わなかった。死ぬ前に最後のライブを、みたいなことは、あいつの口から一度も出なかった。かわりに、こう言った。


「フェス出なきゃ損だろ」


 俺だけが、その本当の意味を知っていた。


 俺たちは最後まで、本題を一度も話さなかった。


* * *


 八月二十九日、機材確認のあと。


 四人でいつものラーメン屋に入った。ゴブソンはテレビの下の、画面が見えない席に座る。もう誰もそれを不思議がらない。


 カウンターの上では、いつものワイドショーがやっていた。


【第三ダンジョン コア到達間近か】


 地下四十六階。前線基地の映像。ヘルメットを抱えた誰かが水を飲んでいる。朝倉ではなかった。


 俺は麺をすすりながら、それを見ていた。


 ゴブソンは見ていない。見ないで済む席に座っているからだ。『自分の死ぬ日がテレビで実況されている真下で、こいつは普通に替え玉を頼んでいる』。


 左手の指には、まだ包帯が巻いてあった。白いのが新しくなっている。


 大井が先に立った。


「悪い、俺バイト」


「私も。姉ちゃんの迎え」


 宮田も伝票を置いて立った。大井は暖簾のところで一度こっちを振り返って、何か言いかけて、やめた。あの二人は、たぶん俺が考えているよりずっと色々知っていて、それでも何も言わない。この夏、俺の周りにはそういう人間しかいない。


 二人になった。


 俺は、ずっと持っていたものを出しかけた。


 朝倉に頼んだこと。断られたこと。「一存では決められない」と言われたこと。


 口の途中まで来ていた。


 そこで気づいた。それを言って何が起きるのか。『何も起きない』。断られた以上、情報としての価値はゼロで、こいつにできることは一つもない。俺が言いたいのは要するに「俺はやった」ということで、それは明日こいつが消えたときに、自分を責めないで済ませるための布石でしかない。


 俺は麺を噛んで、飲み込んだ。


 かわりに、別のことを言った。


「明日、休みだろ」


「休みだな」


「朝まで付き合うよ」


 ゴブソンが箸を止めた。


 止まったのは一秒くらいだった。


「Bメロ、まだできてないだろ。納得いくまでやろう」


 あいつは何も言わなかった。


 しばらくして、こう言った。


「スタジオ、明日取れねえぞ」


「取れない。前に聞いた。三十一日前だからどこも埋まってる」


「じゃあどうすんだよ」


 俺が答える前に、あいつが言った。


「うち来いよ」


 俺は、たぶん間抜けな顔をしていたと思う。


 二か月一緒にいて、あいつがどこで寝ているのか、俺は一度も聞いたことがなかった。


* * *


 八月三十日、夜十時。


 高架下で待ち合わせて、そこから二十分歩いた。


 途中、駅裏の交差点でパトカーが徐行してきた。


 ゴブソンが立ち止まった。俺は何も考えずに、あいつの前に一歩出た。出たところで俺には何もできない。補導されるのは俺で、あいつは走って逃げるだけだ。


 パトカーは、そのまま通り過ぎた。


「なにしてんだよ」


「いや」


「邪魔なんだよ」


 あいつはそう言って、先に歩き出した。


 着いたのは、シャッターの下りたビルだった。


 二階に上がる外階段があって、そこに古い看板が残っている。カラオケ屋だ。三年前に潰れたと、あとで大井が教えてくれた。電気だけがどういうわけかまだ来ているらしい。


 いちばん奥の個室が、あいつの部屋だった。


 防音扉。破れたソファ。マイクの刺さっていないスタンド。壁一面に、色の褪せたフライヤーが貼ってある。何年も前の対バンのやつだ。俺が生まれる前のもあった。


 そして、隅に、ギターが二本立てかけてあった。


 一本はあいつのだ。


 もう一本は、埃をかぶっていた。


 俺は、それについて何も聞かなかった。


 部屋の隅に、飲みかけのペットボトルが二本ある。片方は明らかに古い。それについても、何も聞かなかった。


 扉の脇に、黒い袋が置いてあった。


 宮田が「今日は返さない」と言って持って帰ったやつだ。いつ返ってきたのかは、聞かなかった。


「電気、通ってるのか」


「通ってる」


「なんで」


「知らねえ」


 あいつはアンプに電源を入れた。狭い部屋に、ノイズが小さく鳴った。


 弦を押さえる手に、包帯はなかった。


* * *


 朝まで、弾いた。


 Bメロは、深夜二時にできた。


 七回やり直して、七回とも気に入らないと言っていたやつだ。八回目に弾いたとき、俺が「今の」と言って、あいつが「今の?」と言って、もう一回弾いて、二人で顔を見合わせた。ヘルメットなので顔は見えないが、見合わせた。


「レオン」


「……は?」


「今の、合ってたか」


 二か月で、初めて名前を呼ばれた。


 あいつが知っているのは、あの日、同じ申請書の三行上に、俺が自分で書いたからだ。覚えていないと思っていた。


「合ってた」


 完成した瞬間というのは、思ったより静かだった。


 そのあと、三回通した。


 それでも終わらなかった。あいつは同じ曲を何度も弾いた。俺は付き合った。眠くなったら床で三十分寝て、起きたらまだ弾いていた。


 四時ごろ、あいつが唐突に言った。


「これ、明日やる曲な」


「知ってる」


「客、誰も知らねえ曲だぞ」


「そりゃそうだろ。今できたんだから」


 あいつは笑った気がする。ヘルメットなので分からない。


 俺は床に座ったまま、棚の上にあった菓子の缶を勝手に開けた。


 切れた弦が、ぐるぐる巻きにして詰めてあった。何十セット分かある。


「これ何」


「取っとくんだよ」


「なんで」


「いま、金属の値段高騰してるっていうから」


「AIに聞いたら、缶いっぱいでも数十円だってさ」


「ほらな。数十円もくれるんだぜ?」


 二人でしばらく笑っていた。深夜テンションの俺たちは、切れた弦の話だけで盛り上がった。


 窓のない部屋なので、朝が来たことは分からなかった。スマホを見て知った。


 五時四十分。


 外に出ると、外階段の東側だけがもう明るくて、道路が青くなっていた。街はまだ動いていない。コンビニの前でトラックが荷物を降ろしている。


 ゴブソンは、外階段の途中で立ち止まって、しばらくそっちを見ていた。


 俺は何も言わなかった。


 言えることは、集合時間くらいしかなかった。それはもう三回言った。


「じゃあ、十三時な」


「十三時」


 四回目だった。


 俺は自転車で帰って、家に着いてからスマホを見た。


 朝倉からの既読はついていなかった。


 ニュースアプリの通知が一件だけ来ていた。


【第三ダンジョン 最深層に到達】


 俺は画面を消して、ギターケースを枕元に置いて、二時間だけ寝た。


 今日は、フェスだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。