第14話 Bメロ
残り三日、ゴブソンは焦っていた。
練習の時間を延ばしたがった。休みの日を潰したがった。日程を三回確認した。
「三十一日だよな」
「三十一日」
「何時」
「十六時二十分。集合は十三時」
「十三時」
メモも取らずに、二日おきに同じことを聞いてくる。
感傷的なことは一言も言わなかった。死ぬ前に最後のライブを、みたいなことは、あいつの口から一度も出なかった。かわりに、こう言った。
「フェス出なきゃ損だろ」
俺だけが、その本当の意味を知っていた。
俺たちは最後まで、本題を一度も話さなかった。
* * *
八月二十九日、機材確認のあと。
四人でいつものラーメン屋に入った。ゴブソンはテレビの下の、画面が見えない席に座る。もう誰もそれを不思議がらない。
カウンターの上では、いつものワイドショーがやっていた。
【第三ダンジョン コア到達間近か】
地下四十六階。前線基地の映像。ヘルメットを抱えた誰かが水を飲んでいる。朝倉ではなかった。
俺は麺をすすりながら、それを見ていた。
ゴブソンは見ていない。見ないで済む席に座っているからだ。『自分の死ぬ日がテレビで実況されている真下で、こいつは普通に替え玉を頼んでいる』。
左手の指には、まだ包帯が巻いてあった。白いのが新しくなっている。
大井が先に立った。
「悪い、俺バイト」
「私も。姉ちゃんの迎え」
宮田も伝票を置いて立った。大井は暖簾のところで一度こっちを振り返って、何か言いかけて、やめた。あの二人は、たぶん俺が考えているよりずっと色々知っていて、それでも何も言わない。この夏、俺の周りにはそういう人間しかいない。
二人になった。
俺は、ずっと持っていたものを出しかけた。
朝倉に頼んだこと。断られたこと。「一存では決められない」と言われたこと。
口の途中まで来ていた。
そこで気づいた。それを言って何が起きるのか。『何も起きない』。断られた以上、情報としての価値はゼロで、こいつにできることは一つもない。俺が言いたいのは要するに「俺はやった」ということで、それは明日こいつが消えたときに、自分を責めないで済ませるための布石でしかない。
俺は麺を噛んで、飲み込んだ。
かわりに、別のことを言った。
「明日、休みだろ」
「休みだな」
「朝まで付き合うよ」
ゴブソンが箸を止めた。
止まったのは一秒くらいだった。
「Bメロ、まだできてないだろ。納得いくまでやろう」
あいつは何も言わなかった。
しばらくして、こう言った。
「スタジオ、明日取れねえぞ」
「取れない。前に聞いた。三十一日前だからどこも埋まってる」
「じゃあどうすんだよ」
俺が答える前に、あいつが言った。
「うち来いよ」
俺は、たぶん間抜けな顔をしていたと思う。
二か月一緒にいて、あいつがどこで寝ているのか、俺は一度も聞いたことがなかった。
* * *
八月三十日、夜十時。
高架下で待ち合わせて、そこから二十分歩いた。
途中、駅裏の交差点でパトカーが徐行してきた。
ゴブソンが立ち止まった。俺は何も考えずに、あいつの前に一歩出た。出たところで俺には何もできない。補導されるのは俺で、あいつは走って逃げるだけだ。
パトカーは、そのまま通り過ぎた。
「なにしてんだよ」
「いや」
「邪魔なんだよ」
あいつはそう言って、先に歩き出した。
着いたのは、シャッターの下りたビルだった。
二階に上がる外階段があって、そこに古い看板が残っている。カラオケ屋だ。三年前に潰れたと、あとで大井が教えてくれた。電気だけがどういうわけかまだ来ているらしい。
いちばん奥の個室が、あいつの部屋だった。
防音扉。破れたソファ。マイクの刺さっていないスタンド。壁一面に、色の褪せたフライヤーが貼ってある。何年も前の対バンのやつだ。俺が生まれる前のもあった。
そして、隅に、ギターが二本立てかけてあった。
一本はあいつのだ。
もう一本は、埃をかぶっていた。
俺は、それについて何も聞かなかった。
部屋の隅に、飲みかけのペットボトルが二本ある。片方は明らかに古い。それについても、何も聞かなかった。
扉の脇に、黒い袋が置いてあった。
宮田が「今日は返さない」と言って持って帰ったやつだ。いつ返ってきたのかは、聞かなかった。
「電気、通ってるのか」
「通ってる」
「なんで」
「知らねえ」
あいつはアンプに電源を入れた。狭い部屋に、ノイズが小さく鳴った。
弦を押さえる手に、包帯はなかった。
* * *
朝まで、弾いた。
Bメロは、深夜二時にできた。
七回やり直して、七回とも気に入らないと言っていたやつだ。八回目に弾いたとき、俺が「今の」と言って、あいつが「今の?」と言って、もう一回弾いて、二人で顔を見合わせた。ヘルメットなので顔は見えないが、見合わせた。
「レオン」
「……は?」
「今の、合ってたか」
二か月で、初めて名前を呼ばれた。
あいつが知っているのは、あの日、同じ申請書の三行上に、俺が自分で書いたからだ。覚えていないと思っていた。
「合ってた」
完成した瞬間というのは、思ったより静かだった。
そのあと、三回通した。
それでも終わらなかった。あいつは同じ曲を何度も弾いた。俺は付き合った。眠くなったら床で三十分寝て、起きたらまだ弾いていた。
四時ごろ、あいつが唐突に言った。
「これ、明日やる曲な」
「知ってる」
「客、誰も知らねえ曲だぞ」
「そりゃそうだろ。今できたんだから」
あいつは笑った気がする。ヘルメットなので分からない。
俺は床に座ったまま、棚の上にあった菓子の缶を勝手に開けた。
切れた弦が、ぐるぐる巻きにして詰めてあった。何十セット分かある。
「これ何」
「取っとくんだよ」
「なんで」
「いま、金属の値段高騰してるっていうから」
「AIに聞いたら、缶いっぱいでも数十円だってさ」
「ほらな。数十円もくれるんだぜ?」
二人でしばらく笑っていた。深夜テンションの俺たちは、切れた弦の話だけで盛り上がった。
窓のない部屋なので、朝が来たことは分からなかった。スマホを見て知った。
五時四十分。
外に出ると、外階段の東側だけがもう明るくて、道路が青くなっていた。街はまだ動いていない。コンビニの前でトラックが荷物を降ろしている。
ゴブソンは、外階段の途中で立ち止まって、しばらくそっちを見ていた。
俺は何も言わなかった。
言えることは、集合時間くらいしかなかった。それはもう三回言った。
「じゃあ、十三時な」
「十三時」
四回目だった。
俺は自転車で帰って、家に着いてからスマホを見た。
朝倉からの既読はついていなかった。
ニュースアプリの通知が一件だけ来ていた。
【第三ダンジョン 最深層に到達】
俺は画面を消して、ギターケースを枕元に置いて、二時間だけ寝た。
今日は、フェスだ。




