第12話 消滅
ゴブソンは、毎日来た。
殴り合った翌日も、その次の日も、時間どおりに来た。俺の唇の傷はかさぶたになって、四日目には剥がれた。あいつのヘルメットについた俺の血は、二日目にはもう拭き取られていた。
朝倉の話は、しなかった。
代わりに、指に包帯が巻いてあるのを見た。聞いたら「弾きすぎた」とだけ言った。
俺は何も言えなかった。
昼練のあとは、四人でラーメンを食う。
スタジオの並びの、券売機が壊れかけている店だ。八月に入ってから、ほとんど毎日行っている。
宮田が「うちの店のほうが安いのに」と言った。実家がピザ屋だった。あいにく、炎天下の中では、百円のために数百メートルの移動をするのも危険なのだった。
ゴブソンはヘルメットの顎の隙間から麺を入れる。最初の週に店主が一度だけ「兄ちゃん、それ暑くない」と聞いて、それきり何も言わなくなった。この街のこういうところに、俺たちは助けられている。
* * *
八月二十一日、午後二時。
カウンターの上のテレビは、いつもワイドショーがついている。音は小さい。誰も見ていない。
その日、画面が山あいの町を映した。
市役所の人が頭を下げていて、後ろに立入禁止のテープがある。字幕が出ていた。
【ダンジョンコア破壊、確認】
最初に気づいたのは大井だった。箸が止まった。
県の攻略部隊が地下二十二階でコアを破壊した、とアナウンサーが読んでいた。以降、当該ダンジョンから出現していた個体はすべて消滅した。周辺での目撃報告はゼロ。町は五年ぶりに避難勧告を解除する。
解説の人が模型を指しながら説明していた。
ダンジョンには核がある。そこから魔力が供給されている。核を破壊すると供給が止まり、『そのダンジョンに属する個体は、その場で消滅する』。
死体は残らない。ドロップも出ない。
消えるのだと、その人は言った。
俺は、その意味を理解するのに、十秒くらいかかった。
最初に浮かんだのは「よかったな」だった。町のじいさんがインタビューで泣いていたからだ。五年ぶりに畑に出られると言っていた。俺はそれを見て、素直に、よかったな、と思った。
次に、隣を見た。
宮田がコップを置いていた。置いただけで、飲んでいなかった。大井は箸を持ったまま、丼の中を見ていた。テレビを見ていなかった。『見ないようにしていた』。
三人が三人とも、同じものを聞いて、誰も何も言わなかった。
ゴブソンは食べていた。
いつもと同じ速さで、いつもと同じように、顎の下から麺を入れていた。
画面が切り替わった。
【東京第三ダンジョン、深層攻略進む】
現在、攻略部隊は地下四十四階。コアの所在は四十七階以下と推定。到達は八月末から九月初旬の見込み。
画面の右側に、表が出た。
【主な出現個体】
ウェアラブルウルフ。バルーンラビット。サンドイッチマンイーター。
ヒップホップゴブリン。
解説の人が、その行を指して補足した。ホブゴブリンの亜種で、盗んだ衣類を着る習性があるので、都市部の個体はヒップホップ系の格好になる。分類名はそこから付いた。音楽とは関係ないんですけどね、と言って、スタジオの何人かが笑った。
俺は、その名前をこの日はじめて聞いた。
二か月、毎日一緒にいて、俺はあいつのことを、レンタルギターのヘッドから取った名前で呼んでいた。あいつの種類にちゃんとした名前があることを、知らなかった。
ヒップホップじゃねえよ! ロックだよ! しかもめちゃくちゃ王道寄りのロックだよ!
あいつのギター聴いてみろよ! あれ聴いてヒップホップなんて感想が出るわけねえんだよ!
こっちは何回やってもあのリフに追いつけなくて、途中でいつも分からなくなるんだぞ! にわかが勝手にジャンル変えるな!
もちろん、口には出していない。
部隊の集合写真が映った。二列目の左から三番目に、朝倉千秋がいた。
大井が口を開いた。
「あの、すいません、チャンネル――」
言いかけて、やめた。この店のテレビは、客が変えていいものじゃない。
沈黙が長かった。
それを終わらせたのはゴブソンだった。
「替え玉」
「はいよ」
店主の声だけが元気だった。
俺たちは、その日、ラーメンの話も練習の話もしないまま店を出た。
* * *
消滅、というのは、そういうことだ。
当該ダンジョンに属する個体は、その場で消える。
東京第三ダンジョンから出てきたゴブリンは、東京第三ダンジョンに属している。
俺は、そのことを、その夜ベッドの上で三回くらい確認した。何度確認しても同じだった。
スマホを出して、朝倉にメッセージを送った。
「見た?ニュース」
既読はつかなかった。
次の日もつかなかった。その次の日もつかなかった。
深層は圏外だ。補給で上がってくるまで、彼女は何も受け取れない。前に「三日おきくらいには上がる」と言っていたが、深くなるとその間隔も延びる。
だから俺は、『恋人が生きているかどうかを、ニュースで確認する』ようになった。
朝の番組で、進捗が読み上げられる。第三ダンジョン、地下四十五階。負傷者二名、いずれも軽傷。その二名の名前は出ない。
名前が出るのは、軽傷ではなかったときだけだ。
俺は毎朝、七時のニュースを最後まで見るようになった。
* * *
練習は続いていた。
あの日から、ゴブソンはラーメン屋でテレビの下の席に座るようになった。画面が見えない席だ。理由は言わない。俺も聞かない。
大井と宮田も、何も言わない。
八月二十三日の練習で、俺は一度だけ聞きかけた。
「なあ、この前のニュース、」
「ん」
「……いや」
「なんだよ」
「なんでもない。今の、もう一回頭から」
ゴブソンは「おう」と言って、頭から弾いた。
言えば何かが起きる。言わなければ、今日の練習は最後まで成立する。
俺はいつも後者を選んだ。そしてそれを、優しさだと思っていた節がある。
* * *
その週の終わりに、大井がスケジュールを貼り出した。
八月二十四日、練習。二十六日、練習。二十八日、通し。二十九日、機材確認。三十日、休み。
『三十一日、フェス』。
その隣に、俺は頭の中で別の予定を並べていた。
コア到達、八月末から九月初旬。
どちらが先になるのかは、誰にも分からなかった。




