26 真なる者:上
振るわれたハンドアックスの軌跡が良く見える。
それは私にとっても少し新鮮。
ここまで相手の動きがはっきりと見えた事は記憶にない。
見えていれば、避けるのも容易い。
膝から力を抜く。
落ちていくように屈み、姿勢を低くする。
一瞬で地面すれすれまでに頭を落とし。
その姿勢から踏み込んだ足を軸に旋回。
足払い――ただし、風を切り裂く程の速度。
ミノタウロスの重心を完全に振り払い、奴を仰向けに転倒させる。
イメージ通り。
俺は、新しくなった身体が期待通りに動くことに確かな満足感を得る。
とても馴染む。
今までが寧ろおかしかった。そう感じる程に違和感がない。
私はそこに危機感を覚えるべきなのだろう。
この戦いが終わった後に元に戻ることを望むのならば。
だけど。
ダメだ。
こうしている今の充足感。
それがあれば良いではないかと。
自分たちの中の個が薄まっていくのを感じる。
「短期戦だ」
敢えて口にする。
意図して、思考を分けようと努力する。
「分かりました」
一つの声帯から別々の声音。
まだ、私は俺だ。一つの中に二つがあると認識できる。
だが――本当に、その二つを正しく区分けできているのだろうか。
引っ繰り返ったまま空を見上げるミノタウロス。
あまりに隙だらけ。
その姿へ、追撃はしない。
……下手に追撃を仕掛けたら、恐らく奴はあの爆発で仕切り直す。
狙うはカウンター。一撃を加えて即離脱。
ミノタウロスが跳ね起きる。
「強者オオオオオ!」
「なっ」
「にっ」
意味を持った言葉の叫びに、俺は咄嗟に反応しかねた。
歓喜の雄たけびと共に突っ込んでくるミノタウロスをいなしながら、分割した思考で考える。
喋った?
それと同時に、力強さが増した気もする。何故だ?
いや、今の拡大した知覚を持った状態ならば分かる。
周囲の魔力が増している。
かつて寝屋が見せた魔力波形――魔紋だってこの眼なら見通せる。
それがこの氾濫領域のあちこちで溶けて、ダンジョンに流れているのが分かった。
その全てが元は人だったことは想像に難くない。
この周囲だけではない。外縁部でも見えるのは、ミノタウロス以外にもシェルターを潰しているモンスターがいるという事か?
氾濫源、第三研究所ダンジョンから立ち上った光の柱――あれは集められた魔力の余波が立ち上った物。
注ぎ込まれた魔力の行く先は……見えた。
「ダンジョンの拡張……!」
☆4相当だったダンジョンが急激に☆5に近づいている。
いや、このペースが維持されるのだったら☆5さえも通過して☆6にだって届くかもしれない。
同時に分かったことがもう二つ。
目の前のこいつ。
このミノタウロスからへその緒の様に伸びた太い魔力の流れ。
「こいつがダンジョンマスターですね」
「つまり、これを倒せばこの氾濫も収められると」
そしてもう一つ。
周囲の人たちから伸びていく細い魔力の流れ。
それは全てダンジョンに通じていて、その中の一人には緋鞠もいた。
理解する。
これだ。
これが魔力欠乏症の原因。
ダンジョンに、魔力を吸い上げられている事が理由!
「最高だな」
「こいつを倒せば全部片付きます」
この場の危険も。
緋鞠の魔力欠乏症も。全て。
その言葉にミノタウロスは獰猛に笑う。
「やって、みろ」
片言で挑発的な言葉。
推定☆6のユニークモンスターが流暢に言葉を話すのならば……☆5モンスターならばそれなりに喋れるのか?
その学術的好奇心は多分拓郎と呼ばれていた個の思考だろう。
そこまで考えて恐ろしさに気付いた。
かつての自分の事だというのに、何故こんなにも他人事のように感じられるのか。
それを振り払うように指を揃えて手招きする。
「状況がシンプルで良かった」
「後三時間を待たずともお前を倒せば終わりです」
ああよかったと。
私は安堵できた。
だって。
この状態が後三時間も保てるとは思えなかったから。
与えられた強力なバックアップ。
流し込まれる膨大な力。
それは本来の姿になったから得られたナニカとの契約の結果。
だけど。
相手の力が膨大過ぎるのか。
それとも俺達にまだ何か欠陥があるのか。
この身という器はその力に耐えられていない。
限界を超えて注がれた器はどうなるか。
溢れるなら良い。
溢れる量よりも更に多く注ぎ込まれたら。
末路は推して図るべし、だ。
故に短期戦。
九つの尾を揺らす。
そこに込められた力は――俺が手にしていたリング。
「魔法融合」
二つの尾が膨れ上がる。
風と岩の力。
何度も繰り返してきた、組み合わせ。
「収束」
それを更に凝縮。
手甲を通り越して、グローブレベルまで力を凝縮させる。
守りのことなど一切考えない。
ただ、打撃力を高めるための魔法融合。
その前のめりさは、俺らしいと私は笑う。
足捌きで振るう斧を躱す。
身体の傾きだけで鋼の暴風雨から逃れる。
薄皮一枚。
大仰に避ける時間すらも惜しい。
その生み出した時間がこちらが攻め立てる時間へと変わる。
「魔法融合」
もう一つの尾が膨れる。
そこに込められたスペルはストレングス。
肉体強化を瞬間、限界を超える程に身体に漲らせる。
拳を打って引く。
それだけの動作。それを通常の十倍近い速度で行えば、それだけが十分な必殺の一撃になる。
そして十倍の速度で行えるという事は。
今まで一発叩き込んでいた時間に十発叩き込めるという事。
「ハンマーストーム」
鉄塊の如き拳を私はミノタウロスに浴びせていく。
一方的な展開。
あいつは私の速度についてこれていません。
攻めと守りの比率は限りなく10:0に近づいている。
だというのに。
(これだけの打撃を受けて、尚無傷!)
想像以上の耐久性……いや、むしろこれは想定すべきことでした。
相手も際限なく魔力を吸い上げているのだから。
俺と同じようにどこかで限界はあるかもしれない。
待っていれば奴も弾けるのかもしれません。
それは分からない。
まさかそこに賭けて逃げ回るわけにも行かないですしね。
少なくとも今。
こちらの攻撃力の上昇と奴の防御力の上昇は釣り合っていないことは確かです。
「まだ、こちらにも引き出しはありますよ」
少年めいた声でそう嘯く。
残る尾は六本。
今のこの器ならばその全てを同時にこの身に宿すことだって叶うだろう。
嘗てとは比較にならない力。
レベルに直せば三桁に近い数字。
それが与える全能感に酔いしれそうになってしまいます。
「九つの力の融合。見せてやる」
少女の声でそう啖呵を切る。
大丈夫。まだ俺は二つの意識があると認識できている。
拓郎と蛍火という個はまだ分けて考えられている。
その事に安堵して、四本目と五本目の尾の力を吸い上げていきます。
「魔法融合」
同時に身に宿した石柱の力を励起させる。
荒れ果てた通りに立ち並ぶ柱はまるで墓標を連想させる。
そこへ指先から伸びるのは――細い糸。
柱と柱を繋ぐように糸が伸びていく。
銀色に輝くそれを、ミノタウロスは煩わし気に手で払おうとし。
頑強な筈の皮膚に、切れ目が走った。
スパイダーウェブとアイアンエッジの融合。
ワイヤーカッターめいた糸を縦横無尽に張り巡らせている。
ここを力任せに突破しようとするのなら、少なくないダメージは覚悟してもらう。
腕から流れた血を見て、ミノタウロスは激昂するでもなく楽し気な笑み。
「それでこそ戦い甲斐があるという物」
「……随分と流暢になりましたね」
「あまり時間は無さそう」
奴の知能は一つのバロメーターだ。
恐らく今は☆5相当。
更に上。☆6に至るまではどのくらいだ?
下手をしたらここからユニークモンスターの様な特殊能力が生えてくる可能性もある。
呟きながら再び速度で相手を翻弄しようとし。
頬に感じる熱さ。
避けきれず、ハンドアックスの刃がほんの数ミリ肌を切り裂いた。
満足げに笑うミノタウロスは言う。
「追い付いた」
先ほどまでは躱せていた攻撃が届いた。
即ち速度でも相手が伸び続けている事の証左。
「それは良い事です。先ほどまではノロマ過ぎて……合わせるのが大変だったからな」
やはり肉弾戦は不利か。
ならば。
もう一つの本領。
炎の力を使うべきでしょう。




