25 白い炎
ミノタウロスは悠々と砂嵐が消えるのを待つ。
急ぐ必要はない。
寧ろモンスターらしからぬ戦術的な思考で、ここで視界が確保できないまま先に進むことの方が危険だと、そう判断していた。
穿たれかけた心臓の傷は既に塞がりつつある。
驚異的な身体能力と生命力。
ただそれだけでこの個体はダンジョンの頂点に座している。
自らの領域から外に出て、か弱き生物を潰して回っているのはただの本能。
一体潰すたびに、自分の中の力が増していくのを感じる。
それ故の行動であり、その行為には寧ろ面倒さしか覚えていない。
このミノタウロスが望むのは全身全霊を賭けた戦い。
ずっとあのダンジョンの底で挑戦者を待ち続け、それでも来なかったが故にこうして彷徨い出てきたのだ。
だが――ミノタウロスにとっては残念なことに、彼の渇望を満たせるような強者はいない。
「ツマラヌ」
作業めいた虐殺を除けば三度、戦闘を行った。
うち二度は左程の物でもなかった。
攻撃を耐え、潰す。その繰り返しだ。
多少の抵抗はあった。だがそれだけ。
心躍る戦いには程遠い。
「ツワモノ……」
その点先ほどのは悪くなかったと。数瞬前の戦いを彼は反芻する。
殺意があった。
こちらの命を狙おうとする気概があった。
そして事実、届きうる力があった。
そう、殺意。
ここまでの戦いで相手にそれがなかった。腰の引けた様な戦いでは満足できない。
願わくば。
全霊を賭けたぶつかり合いを。
砂嵐が消えた。
何か最後の悪あがきを仕掛けてくるかと。
ほんの少しの期待もあったのだがそれもなく。
眼前で逃げ惑う小さな生き物を潰そうと歩み始める。
果たして、この先にはそんな強者がいるだろうか。
そんなどこか諦め混じりのミノタウロスの前に。
白い壁が生まれた。
◆ ◆ ◆
「ちょっと、戻って、ってば!」
ひんやりとした毛皮を、思いっきり掌で叩く。
寧ろ私の手の方が痛むけど止められない。
普段だったらこんな巨大な虎に咥えられてる状況。
悲鳴の一つや二つは間違いないだろうなと私は思う。
どう見てもこいつパニックホラー系に出てくる類の怪物だし。
だけど今だけは全く恐れない。
どんどんと遠ざかっていく場所で、もっと恐ろしい事が起きようとしているから。
「私は良いから、拓郎の方に戻ってよ!」
私は正直探索者の事はよく分からない。
本音を言えば、嫌いかもしれない。探索者というよりもダンジョンに関わる物が、だけど。
それでも後ろの拓郎がしている戦いがどうなったのかくらいは分かる。
負けたのだ。きっと。
遠目にも見えていた巨大な岩の巨人が消えてしまった。
あんなでっかくて強そうなのがやられるくらいだ。
多分拓郎を守ると言っていた女の子は真っ先にやられてしまったのだろう。
そしてこの虎がここにいる。
という事は、今拓郎を守るモンスターはいないんじゃ?
事実、一瞬視線が合った彼の周囲にはモンスターらしき影は無かった。
「早く逃げてってば……!」
あの砂嵐で動きを止めている今のうちに早く。
私が逃げるよりも、この虎には拓郎の方に行って欲しいのに全然いう事聞いてくれないし!
砂嵐が消えた。
あの牛の化け物が歩みだしたのは私たちの方。
「拓郎は無事なの? それとももう……」
無事であることに賭けるしかない。
そしてこっちに来たことで拓郎が逃げられることを祈るしかない。
だって私か拓郎。どちらかという話なら私は拓郎に生きていて欲しいんだから。
一歩が大きい。
きっと十秒もしないうちに一番後ろの人たちは踏みつぶされる。
三十秒もしたら、私達も追いつかれる。
一度覚悟は決めていたつもりだったけど。
「嫌だなあ……」
希望を見せてから取り上げるなんて随分と酷い事をする神様もいる。
だけど、そうなったら拓郎は探索者をやる理由が無くなるはず。
ここを生き延びられれば安全。
なら、最悪の一歩か二歩くらいは手前かな。
どこから諦め混じりの私の前に。
白い壁が現れた。
◆ ◆ ◆
白い炎が広がる。
新たに生まれ落ちたソレを起点に、炎の線が伸びていく。
周囲を取り囲むように弧を描いていくそれはまるで闘技場を作り出しているかの様。
そして、一気に炎が立ち上がる。
何人たりとも通すことは許さない滅殺の炎。
それによって生み出された白い壁。
行く手を遮られたミノタウロスはゆっくりと振り返る。
その口元には凶暴なほどの歓喜の笑み。
この炎から感じる熱量は彼でさえ危険を覚える物。
そんな物を足止めに使ってくるような相手。
そこに戦闘を望むモノとしては期待を覚えずにはいられない。
そこには炎があった。
ただ白い炎の塊。
それを彼は、卵或いは繭と直感した。
その直感は正しい。
真実、その中では拓郎と蛍火だったモノが己の取るべき姿を定めようとしていた。
かつてないほどの力が漲っている。
それは自分たちから生じた物というよりも、その背後。
あの悍ましき声の持ち主が与えた物だという事は理解できていた。
本来契約したモノが二つに分かたれていた。
それが故に失われていた力。
いや、というよりもこれはダンジョンから力を吸い上げている?
正体は不明。
だけど、今は構わない。
出所が何だろうと、この力を使ってあのミノタウロスを倒す。
彼らの思考はとてもシンプル。
だけど、この力を無作為に振るったところであのミノタウロスには届かない。
方向性を決めなくては。
殴り合いはまず無謀。
全ての力を注いだとしても、あの身体能力と耐久性には届かない。
単純な劣化コピーになるだけ。
だったら考えるべきはやはり、速度。そして火力。
当たる前に、致命的な一撃を当てる。
その為の姿は、もう思いついている。
そして再誕する。
本来ある計画の為に生み出されて、誰かを犠牲に捧げるハズだった。
その本来の在り方から真逆の願いを叶えるために。
炎の繭が弾ける。
生じた炎弾を、ハンドアックスで切り払い、ミノタウロスは眼前に生まれた新たなる強敵を歓迎する。
まず目に付くのは顔面を覆った狐面だ。
白――いや、銀色の毛並みを面の隙間から流し、しかし全高がビルの三階ほどもある巨大な人型。
男とも女ともつかぬ体躯に、しかしその細身には似合わぬ戦装束。
何より特徴的なのは尾。
生えた尾は九つ。
ゆらりと揺らされた一本には風が渦巻き、別の一本には氷が吹き荒れる。
全ての尾に別々の力が宿っているのが傍目にも分かる。
鋭い金色の瞳が鋭く睨むはミノタウロス。
一度自分達に敗北を与えた存在を油断することなく捉え。
ミノタウロスが歓喜の雄たけびをあげる。
負けじと九尾の狐人が吠える。
ミノタウロスはアスファルトを砕きながら。
九尾の狐人は足跡に炎を残しながら。
二匹の獣が互いの中心点でぶつかり合った。




