11 天球会の暗躍
「いやあ素晴らしい。仕込みは上々ですね」
ダンジョン氾濫元から約5キロ。
とあるビルの屋上から天球会司祭、アダム・月村は目論見通り氾濫を始めたダンジョンを見て満足げに頷いた。
「組合も、まさか真っ当にダンジョン攻略をしている中に我々のシンパが紛れ込んでいるとは予想もしていなかったと見える。いや、分かっていても止められなかったかな?」
ダンジョンの中はブラックボックス。
そこで何をしているかまでは分からない。
拓郎たちがそうしたように、中で襲われた時に訴え出ての調査はあるし、未帰還ともなればやはりその原因については調べられる。
だがしかし。
表向き真っ当にダンジョンをクリアされていたら。最後の帳尻さえ合ってしまえばその過程は見通せない。
「出現したダンジョンを攻略するのではなく、その魔力を隠蔽する。今回も我々が一歩先んじたね」
恐ろしい事に、組合よりも天球会の方がダンジョンの構造に詳しい。
だからこそ、このように裏をかいた行動が可能となっている。その差は詰まりつつあるが、言い換えればまだ天球会が優位に立っていた。
「……そうしてダンジョンが増える。見えていなくてもダンジョンはそこにあるのだから。その影響で連鎖的に増えていく」
それがダンジョンの性質。
集まれば集まる程、増えれば増える程周囲に与える影響が大きくなり新たなダンジョンが生まれる。
それを避けるために早期の攻略を推奨しているのが組合だ。
「だけどそれも最後の一歩。閾値を超えるまでの話。一度超えたら、崩壊が始まる。残念だったね、組合の諸君。今度も我々が一手先んじた」
一点に集中したダンジョンは、自分達の魔力で潰れる。
そうして生まれるのは目に見えない、魔力的なブラックホールだ。
一定地域のダンジョンが全て、この場に吸い寄せられている。
その結果、第三研究所ダンジョンは超多重衝突ダンジョンと化した。
中にはモンスターが溢れかえり……そして収まりきらなくなった物から吐き出され続けている。今まさに!
「ああ、素晴らしき哉! 全ては計画通り! まさに神の御加護の賜物!」
歓喜の表情で天を仰ぐアダムだったがふと笑みを消して眼下を見下ろす。
「しかし、組合の対応は兎も角……中に取り残された探索者は優秀な様だ。この短時間で民間人を粗方シェルターに避難させてしまうとは」
それではいけない。
ダンジョンの氾濫によって都市の一角を丸ごとダンジョンで飲み込む。
それはあくまで事前準備。
本命は――そこに多くの人の血を流す事なのだから。
「ここは一つ、協力者にも動いてもらおうかな」
一つ呟いて。
協力者にだけ分かる符丁を送る。
そして。
「さて。兄弟。君はこの窮地をどうするのかな?」
遥か先。
決死で戦う拓郎の姿を捉えて笑みを深くする。
最早状況は詰みに近い。
今更一探索者が慌てたところで手遅れだ。
それにまかり間違ってもこの状況をひっくり返されて困るのは彼自身。
だというのに。
「ああ。楽しみだ。君という祝福の塊が我らの策を跳ねのける。それ即ち! 神の意志に相違ない! 人は、我々こそが真の霊長であるという証!」
拓郎がこの危地を脱することを、誰よりも望んでいるのは間違いなく……この男だった。
◆ ◆ ◆
何度目になるか分からない溜息を私は吐き出した。
一回するごとに、自己嫌悪でこのまま地面に沈みたくなる。
「失敗したなあ……」
言うまでも無い。先ほどの拓郎との口論だ。
「ちゃんと、お礼は言わないと行けなかったのに」
その前に、拓郎を責め立てるようなことを言ってしまった。
頭では分かっていた。
彼のお陰で延命できている。
今という楽しい時間を過ごせている。
これが拓郎じゃなかったら迷うことなくお礼を言える。
拓郎だから、言えなかった。
「何やってんだろ、私」
急な事で驚いた。
拓郎が探索者。
ダンジョンに潜って、戦って、魔石を集める人。
全く予想していなかったかと言えば――それは嘘になる。
拓郎が高校に行かず、就職すると言った時。
その辺りから嫌な予感はあった。
例えば、有名な思考実験にカルネアデスの板がある。
船が難破して漂流中の人が一人しか掴まれない板にしがみついて浮いている。
その時に別の誰かが板にしがみつこうとするのを突き飛ばすのは殺人か、緊急避難か。
もしもそのシチュエーションに私たちが置かれたら。
彼は板を私に譲り渡して溺れていくんじゃないか。
だから万に一つくらいの可能性としては考えていた。
現実的には難しいとも思っていた。
費用面でも能力面でも。
「争いごとなんて、苦手だったじゃん……」
拓郎が喧嘩をしていたところなんて一度も見た事がない。
私が癇癪を起した時だって、いつだって譲ってくれたのは彼だ。
誰かとぶつかることになっても、自分から折れてた。
そんな彼が探索者をやっている。
それはどれだけ本来の彼を殺した結果なのだろう。
――私が、彼の未来を歪めてしまった。
「それだけは、したくなかったのにな……」
魔力欠乏症の事が分かった時に、そう誓ったのに。
自分らしく生き抜く。
そして私が自分らしく生きるなら、拓郎も同じように。
でも。
そう、でもだ。
じゃあ実際どうすればいいのだろう。
拓郎に探索者を止めてもらう?
……そうすることに、どれほどの意味があるのだろう。
彼の努力を全て無視して、彼に私を看取れと。そう言うのか。
さっきから思考はここで止まってしまう。
ぐるぐると。同じところを回り続けている。
どうするのが私と拓郎。二人ともが納得できる未来なのか。
「……あれ?」
また思考がドツボに嵌りかけたところで、私はふと周囲の気配の変化に気付いた。
同じ感覚を覚えた人がいるのか。周囲をきょろきょろと見渡している。
そしてシェルターの中心に。
まるでコマ落ちした動画の様に。
ダンジョンは現れた。
「……え?」
黒い歪み。
厚みの無い、空間の解れ。
その真下で何かが割れたような気がしたけど、それどころじゃなかった。
「だ、ダンジョンだ!」
誰かの叫びでシェルター内にパニックが広がり始める。
安全だったはずの場所に現れた異物。
更にその横から魔法陣と共にモンスターが現れたとなれば、収拾がつかない。
よく分かんない、骸骨の奴。
RPGで出てきたら序盤の雑魚敵にしか見えない。そんな奴だった。
「開けろ開けろ! 中に居たら食い殺されるぞ!」
ダンジョンだと叫んだ人が率先してシェルターから抜け出そうとする。
その素早い動きに合わせてシェルターの扉を必死で開けようとしているのは、凄いなと思った。
何しろ私。今こうして色々考えているけど身体はびっくりして全く動いていない。
初めて間近で見たモンスターに怯え切って、逃げることも出来ない。
(ああ、凄いな拓郎は)
骸骨が空っぽの眼窩を私の方に向けた。
眼球なんて無いのに、視線が合ったと直感した。
(こんなのを相手に、戦ってるんだ)
さっきだってもっと大きい奴に果敢に向かって行っていた。
逆に大きすぎて現実味なんてなかったけど。
目の前にいるこいつは現実感をいやでも叩きつけてくる。
棍棒めいた、粗雑なつくりの武器を振り上げる姿を私は見つめる事しかできない。
逃げなきゃと思っているのに。
ただ思考を埋め尽くしているのは。
(ここで死んだら、拓郎泣くだろうな)
ただそれだけ。
『――はあ。世話の焼ける』
眼前に迫る棍棒を前に、そんな声を聞いた気がした。
そして意識が暗転する。




