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30 緋鞠は結構悩んでる

―――――――――――――――

 五年前

  3月某日

―――――――――――――――


「今日から兄妹になるんだよ」


 お父さんからそう言われて、困惑したのを覚えている。

 だって拓郎は拓郎だ。


 赤ん坊の頃からずっと一緒にいた。

 私の半分だった。

 お父さんを除けば間違いなく一番大切な人。


 兄ってなに?

 弟ってなに?

 姉になったらどうすればいいの?

 妹なら何をすればいいの?


 兄妹になったら、私と拓郎はどうなるの?


 分からなかった。

 それは拓郎も一緒で。


 いつの間にか逆転していた、目線の高さで。瞳が戸惑うように揺れていた。


 小学校の卒業と同時に、拓郎とお義母さんが引っ越してきた。


 拓郎が家にいるのは初めてじゃないのに。

 泊まることだってあったのに。


 いやだからこそか。


 つい。


「いらっしゃい」


 と言ってしまって、お義母さんに困った笑みを浮かべさせてしまった。

 今日からここは二人の家でもあるのに。


 頭では分かっているのに心が追いついてこない。


 そんな風にギクシャクしたまま私達の新生活は始まった。


 ◆ ◆ ◆


「緋鞠ちゃんごめんね、拓郎起こしてきて貰っていい?」

「はい。おばさ……ええと」


 この頃の私はお義母さんを何と呼べば良いのか決めかねていた。

 口慣れたおばさんと呼ぶのか。

 新しい関係性であるお義母さんと呼ぶべきか。


「いいのよ。いつもみたいにおばさんで」

「はい……おばさん。私起こしてきます」


 いや、決めかねていたのはお義母さんとの距離感ではない。

 再婚が決まる前から、産みの親を知らない私は彼女の事を母だと思っていたし、そうだったら良いのにと思っていた。


 だから、呼び方が定まらない原因はそこでは無い。


「あ、緋鞠ちゃん」

「はい?」

「制服よく似合ってる。素敵よ」


 そう言って彼女はウインク。

 拓郎に言わせれば年考えろ、とのことだけど私はお義母さんのこう言う茶目っ気のある仕草が大好きだった。

 何せ、実の父が普段ニコリともしない堅物なので余計に。


「ありがとうございます!」


 朝から笑顔を浮かべて、私は扉の前に立つ。

 ノックする前に深呼吸。


 自分の姿を見下ろす。

 真新しい中学の制服。作る時はまだ再婚していなかったから、拓郎にも見せるのは初めて。


(少し前髪が気になる。いや、大丈夫。さっきおばさんも素敵って言ってくれたし!)


 そう自分を奮い立たせて、私は拓郎の部屋をノックしようとして、空振った。


 反対側から開けられた扉を掴んで、拓郎が眼を見開いている。

 その姿は――見慣れない詰襟の学ラン姿。


(いい。すごくいい。何というか、普段の格好とは違って硬い感じがするのがいい! 少しダボッとして袖が余ってるのもなんかいい!)


 私がそんな風に語彙力を喪失していると、拓郎はちらっとこちらを見て。そしてすぐに逸らした。


「……おはよ」

「お、おはよう」


 申し訳程度に朝の挨拶をして拓郎は私の脇を擦り抜けていく。

 え、それだけ? 私の制服姿見て何の感想もなし?


「拓郎。早く朝ごはん食べちゃって……やだ、ちゃんとシャツしまいなさいよ」

「んー」

「もう中学生になるっていうのに、こんなんで大丈夫かしら」


 そんなふうな親子の会話が聞こえてくる。

 ……良いなあ。私、お父さんとあんな風に気楽に話せない。


 研究者だというお父さんが何をやっているのかはよく分からない。

 だけど、多分職場でもあんな調子なんだろうなというのは分かる。


 いや、寧ろ逆かも。

 職場の調子を、家に持ち込んでいるのだきっと。


「武雄さんも。今日会議ですよね? 朝からのはずでしたけど」

「ん」

「子どもの入学式だって言うのに……会社も融通がきかないったら」

「ん」

「終わったら抜けて参加されるんですよね? 席とっておきますから」

「ん」


 ……なんでアレで会話が成立しているんだろう。

 

 拓郎が食卓の上で視線を彷徨わせる。

 お父さんが拓郎に向けて、醤油を差し出した。


「ん」

「ん」


 ぺこりと頭を下げて受け取った拓郎は目玉焼きにかけて、元の位置に戻した。


 ……ほんとになんであの2人も会話が成立しているんだろう!?


 ちくりと、胸が痛む。


 私にはあんな風にできない。

 なのに、あそこでは父の言葉が分かっている。通じている。


 私には、分からないのに。


 まるで、あの三人が家族で私だけは――。


「緋鞠ちゃん? 緋鞠ちゃんの分も朝ごはん出来てるよ?」

「あ、はい! いただきます!」

「緋鞠」


 急いで食べようとしていたら、お父さんが急に話しかけてくるからご飯を喉につまらせかけた。


「な、なに?」

「入学おめでとう」


 そんな風に言われるのが意外で、私は眼を白黒させてしまった。

 そんな言葉、言われたの初めて!


「拓郎くんも、入学おめでとう」

「ありがとうございます」


 そのやり取りを、お義母さんがうんうんと満足そうに頷いていた。

 それで分かった。


 多分、お義母さんがお父さんに、祝いの言葉を言うように予め言い含めていたのだ。


(凄いなあ)


 その一言に尽きる。

 お義母さんがちょっとなにかしただけで、家の中がどんどん変わっていく。


 それは少し怖くて、寂しいけど。きっと良いこと。


 ああ、だけど。


 まだ私も、拓郎も。

 その変化に追いつけていない。


 拓郎達がこの家に住むようになってから二週間。


 私と、拓郎は殆ど会話できていない。


 ◆ ◆ ◆


 中学最初の週は……まあ控えめに言っても大失敗だった。


 まず自己紹介で噛む。自分の名前はもう噛み噛みだった。

 入学直後の実力テストで、無記名をやらかしてしまった。

 そんな間抜けはどうやら私一人だったらしく、お情けで点数は付けてもらえたけど、次は0点だぞとこってり脅された。


 それもこれも、新しい名前がまだ馴染んでいないせいだ。


 藤島緋鞠。

 私の新しい名前。


 口馴染みがない。

 手癖でかけない。


 自分の名前なのに。自分の名前ではない。


 誰かに名前を呼ばれてもそれが私だってすぐに気付けない。

 これに関しては。


「名前で呼んで。私そっち方が慣れてるんだ」


 と言って何とか……ならなかった。

 女子はともかく男子にそれを言うと、色々と面倒くさそうというのは流石に理解できていたし。


 ただ結果として男子から呼ばれてもすぐに返事をしないお高く止まったやつ、となってしまった事に気づくのはまだ先の話。


 拓郎は、違うクラスだった。


 なんと驚くことなかれ。

 幼稚園から小学校をあわせて九年間、私達はずっと同じクラスだった。


 だけど多分、家族になったから。

 別々のクラスに分けられたんだ。昔、双子の同級生がそんな事を言っていたのを思い出した。


(ちょっと心細い)


 拓郎のいない学校なんて初めてだったから。いや、隣のクラスにはいるんだけどね。


 そんな風に失敗を繰り返しながら一週間。

 

 その間もやっぱり、私と拓郎の間には殆ど会話がなかった。


 挨拶はする。

 日常会話もする。


 だけど。それ以外がない。


 ただ、すれ違う時。

 拓郎の瞳の中に感情が揺らめいているのが分かる。

 この頃の私はその感情に適切な言葉を割り振れなかったけど、今なら分かる。


 あれはきっと罪悪感だった。


(ねえ、拓郎。私達って、いつもどんな会話してたっけ?)


 多分意味のない他愛ない会話をしていたはず。

 ほんの一月前まではそうだったのに。


 今じゃどうやって話しかけていたのか。それさえ遠い記憶になりつつある。


 これはいつまで続くんだろう。

 いつになった終わるんだろう。


 何故、始まってしまったのだろう。


(もしかして、ずっとこのまま?)


 これから先。ずっと一生。

 こんな風に当たり障りのない会話しかしないで。


 いつか大人になって。

 家を出て。

 誰か知らない人と結婚して……?


 そんなこの後の人生ずっと、拓郎とはもうお喋りできない?


(嫌だ)


 そう考えた時に全身に奔った悪寒は忘れられない。

 ああ、そうだ。


 正直に告白しよう。

 私は。私が魔力欠乏症で余命幾ばくもないと聞いたときよりも、この瞬間の方がよほど恐ろしかった。


 人生が終わることよりも。

 人生が地獄となることの方が遥かに怖かった。


 だから。

 だから。

 だから、私は飛び出した。


「拓郎! 一緒に出かけるよ!」


 未来のことなんて考えずに、現在を取り戻すためだけに。


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