060勇者対魔神
魔神はその額に四つの目を開いた。あごをもごもご動かしていたかと思うと、鋭く長い牙が四本生える。その体は完全にワルイのものであり、元勇者エイユの面影はまたたく間に駆逐されていった。
彼の体から突風が渦を巻いて放出されている。こちらの目が開けられないほどだ。
「ふむ……。朕の力もだいぶ回復してきたようだな。少し闘気を発しただけでこの地震だ。とはいえ、圧死しても馬鹿馬鹿しい。ちと抑えるかの」
女神に歯向かいし者は、そう言って竜巻を引っ込めた。途端に揺れがおさまる。一転、辺りは静寂に包まれた。
「ま……おう、さま……」
ボロ雑巾のようになったソーキンが、這いつくばりながら主人を見上げる。俺の『音撃』乱打に、相当なダメージを受けている様子だ。彼はすがるように魔神の服の裾を掴んだ。
ワルイは汚いものを見るように第一の部下を見下ろした。侮蔑の色が濃い。
「歴代の魔王を擁立してきた影の存在よ。勇者がここに来るのを食い止められなかった点で、もうお前に用はない」
側近の顔に向けて人差し指を向けた。額の四つ目が輝く。
「死ぬがいい」
次の瞬間、人差し指の爪が伸びて、ソーキンの頭部を貫いた。食らった側は全身を大きくわななかせると、力が抜けて、沈むように倒れ伏した。死んでしまったのだ。
俺は動悸を鎮めようと深呼吸した後、10メートルほどの距離を置いて、ワルイと対峙した。
「部下を殺すなんて最低な奴だな。ソーキンはあんなにつくしていたのに」
「愚か者はいらぬ、ただそれだけのこと。……朕は女神に受けた傷も癒えつつある。もう少し経って完全に復活したら、この『ブレードパラダイス』とかいう世界から抜け出して、あやつらに復讐するのだ。だがその前に、まずは天敵であるおぬしらを殺すとしようか」
カイザ王子は利き腕の肘を折られたものの、先程ソーキンに蹴り飛ばされた剣を拾い終えたところだ。勇者カレイドも同様に、態勢を立て直して俺の横に立つ。ただ魔王の側近に打撃を受けた痛手は、この最深層では治しようもない――神の技である『治癒の法術』は使えないからだ。もし使えていたら、2人ともとっくに傷を治療していただろう。
「わっ!」
俺はいきなり先制打を放った。銀の波がほとばしり、魔神目がけて飛翔する。その数瞬後、敵は叫んだ。
「愚者!」
金色の波がワルイの口から吐き出される。それは俺の塊を打ち砕いて四散させると、更に飛んでこちらの胸元に命中した。
「ぐはっ!」
俺は胸骨の辺りを殴りつけられ、ひとたまりもなく弾き飛ばされる。激甚な痛みが噴火のように爆発して、気がついた時には仰向けに倒れて転がっていた。
まさか、怨敵が同じチート技を使えるなんて……
「ヒロ!」
勇者2人がのたうち回る俺をかばうように前に立つ。俺は手で胸を押さえ、どうにか首を持ち上げた。
カレイドが先に魔神へと疾走する。剣を振って真空の刃を飛ばした。だがソーキン同様、それは相手の目前ではねつけられる。やはり、近づいて直接斬撃を与えなければならないようだ。
もちろんワルイが斬られるのを大人しく待つはずもない。彼はこちらへ腕を水平に持ち上げると、その五指から鋭い爪を槍のように伸ばしてきた。
「ぐふっ!」
カレイドがうめいて宙に浮き上がる。それで俺にも事態が飲み込めた。王子の第一の忠臣は、魔神の刺突に鎧を貫通され、そのまま持ち上げられたのだ。カイザ王子が叫んだ。
「カレイド!」
ダンジョンの支配者はくつくつ笑う。
「さすがは伝説の装備。内と外の双方に力場を作って、我が爪が肉体に刺さるのを未然に防いでおる。……ならば、これはどうかな?」
ワルイが腕を振った。カレイドの体が猛烈な勢いで壁に叩きつけられる。それは一回では終わらず、左から右へ、右から左へと何度も行なわれた。金属と岩壁が激突する轟音と共に、被害者の真っ赤な血が床に降り注ぐ。
カイザ王子が衝撃波を見舞った。それは狙いあやまたず、魔神の5本の爪を叩き斬る。カレイドは床に落ちて、ぐったりと仰向けに伸びた。切断された爪が墓標のように刺さったままだった。
勇者カイザは利き腕が折れているにもかかわらず、もう一方の手に剣の柄を握り締めて、ワルイに躍りかかる。敵はカレイドに対したのと同様に爪を繰り出してきたが、王子は蝶のように宙を舞ってそれをかわした。虚空で一回転しつつ、抜群の当て勘で白刃を振り下ろす。
元魔王は脳天から裂け、真っ二つになった。血飛沫が噴出し、千切れた体が左右に倒れる。カイザ王子が歓喜の声を上げた。
「や、やった!」
だが次の瞬間、王子ははね飛ばされていた。横転したワルイの体の右半分が、たちどころに再生して、元どおりの体になって蹴りを見舞ったのだ。切断された左半分はそのまま死んでいる。
魔神は生え出た左腕と左足を含む左半身をコキコキ鳴らし、まさに悪魔としか言いようのない笑いを浮かべた。
「ほう、どうやら朕の力は思っていたより回復していたようだな。この再生能力! 勇者など恐れるに足らなかったということか」
もう駄目だ。こんな怪物、どうやって倒せと言うんだ。カレイドは意識がないらしく倒れたままだし、カイザ王子は痛打に血反吐を吐いている。俺は胸の激痛で声を出すどころではない。
万事休すか――
そのときだった。通路の奥の方から、何かが迫ってくる大音が聴こえてきたのは。




