038人質交換
上空は風が強いのに地上は穏やかだ。街道の前面と後面に兵士たちが居並び、俺とカイザ王子に今にも槍を繰り出さんとしている。
そしてその中で、エライングはハンニバルに命じた。
「女を下ろしてやれ。クッタよ、今助けてやるぞ」
ハンニバルが女を静かに地面に下ろした。服装はさらわれたときのままだ。ただ、顔は奥を向いていて確認できない。
カイザ王子は首都警備隊隊長に剣の切っ先を向けた。
「まずアクジョを置いて後退しろ。その上で本人かどうか確認させてもらう。さあ、早くしろ!」
「分かった、分かったから落ち着けよ、カイザ」
さすがに勇者の武器の輝きは、突きつけられた者に恐怖をもたらすらしい。エライングたちは3メートルほど後退した。女が置き去りにされる。
黒いボブ、身長、着ているものからして、ヒロイに間違いない。カイザ王子はクッタに前進するよう命じながら、一日千秋の思いで待った彼女との再会に、やや夢見心地のていだった。油断しているようにも見えた。
何かおかしい。女の肌の色だ。たいまつの明かりでは上手く識別できない肌の色が、若干広院と異なっているように思える。俺は女に近づく勇者を引き止めようとした。
「待ってください、王子殿下。これは……」
しかしそのときにはもう、カイザ王子は女のかたわらにひざまずいていた。兜を脱ぎ、自身の赤い頭髪をさらす。
「眠っているのか? 僕だ、カイザだ。起きるんだ、ヒロイ……」
次の瞬間だった。それまで微動だにしなかった女が、急に上体を跳ね上げ、王子の顔を切りつけたのは。
「ぐあっ!」
血潮が舞って炎の光を反射させる。別人だ。広院に似せた別の女性が、彼女の服を着て王子を罠にかけたのだ。その手に小さなナイフを仕込んで……
カイザ王子は顔を押さえて仰向けに倒れる。そこへ更に斬りかからんとする女――その顔は広院とは似ても似つかなかった――目がけて、俺は怒鳴った。
「ニセモノっ!」
銀の波が口からほとばしり、ニセ広院の頭頂部に当たって彼女を吹っ飛ばす。クッタは槍ぶすまの内側に逃げ込んだ。エライングが自分側に転がった伝説の兜を奪い取って叫ぶ。
「今だっ! 者ども、勇者を殺せっ! 名を上げろっ!」
カイザ王子が剣を杖によろめき立った。左目を裂かれたらしく、押さえる左の手の平から多くの血があふれてこぼれ落ちる。
「おのれ、謀ったなエライング!」
兵士たちが長槍を繰り出してきた。カイザ王子はその群れに剣を一振りする。つかの間の月明かりが、衝撃波で胴を切断される兵士たちを浮かび上がらせた。彼らは断末魔の絶叫を上げ、血祭りとなって地面に転がる。
エライング警備隊隊長は強烈な先制打に腰を抜かしてへたり込んだ。
「こ、この化け物め……!」
「ヒロ、僕の背中にしがみつけ!」
俺は返事もせず言われた通りにした。王子の着る和製ファンタジー風の鎧は無骨で、ひんやり冷たい。
「跳ぶぞっ!」
勇者カイザは大地を蹴った。風切り音と共に、右の建物の屋根に飛び上がる。3メートルは跳躍しただろう。勇者の装備の力は身体機能にもおよぶのか。
「痛っ……。よくもこのカイザに傷を……!」
王子は患部を押さえたまま苦悶した。足下の街道ではエライングやクッタ、ハンニバルが逃亡し、新手の弓兵たちが矢をつがえている。俺は焦って進言した。
「ここにいると矢で狙われます。別の場所に逃げましょう」
「わ、分かった。しっかりしがみつけ、ヒロ!」
カイザ王子は苦痛の混じった声で応じると、屋根の上を駆けていく。その速さも軽さも尋常ではなかった。家から家へ飛び移るさまは、まるで豹のようなしなやかさだ。
やがて疲れ切った、とばかりにカイザ王子は足を止めた。俺は背中から離れると、自分の服の右腕部分をちぎり取る。腰を落ち着けた王子の背後に回り、彼の左目へ包帯のように巻きつけた。
「まずはこれで血止めをしましょう。治癒の法術をかけてもらうまでの辛抱です」
「ああ、すまない。それにしても伝説の兜を奪われてしまった。取り戻すものが増えたよ、まったく」
カイザ王子は力なく笑った。引きつった笑顔はすぐに痛みで消え去る。俺は質問をぶつけた。
「これからどうしますか? ヒロイの行方はまた不明になりましたし……。ゲップ国王でも捜しますか?」
王子は立ち上がった。その顔はすっかり血まみれだ。手負いの虎と言うべきか。
「どうやら向こうから仕掛けてくるようだ」
月光が空を飛ぶ巨体を照らし出す。ドラゴンだ! あの灼熱の火炎を吐き出す、蛇のような魔物が、首都上空にその姿を現していたのだ。
「こちらへ飛んでくる……! 兜がない今、炎を食らったらやばいかもしれないな。近づかれる前に斬殺してしまおう」
俺はしかし、その竜の首から紐でぶら下げられた人物に気がついた。まさか……!
剣を今まさに振らんとする王子に、俺は抱きついて止めた。
「待ってください! あの龍の首から提げられているのは……ヒロイですっ!」
「何っ?」
魔物は漆黒の中を飛翔し、こちらへグングン近づいてくる。下着姿の少女――広院を吊るして。
このまま剣の真空波でドラゴンを斬ったら、彼女も落ちて死んでしまう。いや、ぐったりしている妹は、すでに命がないかのようだ。
「くっ……! 斬れない!」
敵は目前まで接近してきた。大口を開ける。
刹那の間を置いて、火炎放射が俺たちを包み込んだ。




