026誕生
現実世界における俺の妹、主治広院。この『ブレードパラダイス』ではプレイヤーキャラクターとして貧乏貴族マズーシ家の長女ヒロイという役についている。サブクエスト:カイザ王子との結婚を攻略するのにもってこいのポジションだ。
彼女は緑色のドレスのすそを持ち上げ、アクジョに挨拶した。
「こちらこそ。立ち話も何ですから、どうぞ邸内へ。お父様、お水をお出しして」
老人はのんびりと屋敷の裏へ回っていった。アクジョは面を上げ、やや気遣わしげに問いかけた。
「あの、昨夜私がつけた傷は、もう治して……?」
「はい、施術院で『治癒の法術』をかけてもらいました。もう傷跡さえありません。お気になさらず」
ヒロイには王子とのキス、アクジョにはヒロイへの傷害という後ろめたさがある。どっちが重いかといえば、後者であろう。やはり人を傷つけてはいけない。一歩間違えば広院を殺していたかもしれないのだ……
客間で兵士に見守られながら、ヒロイはまずブドウ酒をすすめた。アクジョは儀礼的に口付けるにとどめる。
それを見守ってから、ヒロイは宣言した。
「あたし、カイザ王子殿下と婚約する予定ですわ」
空気が余裕のないガラス細工のように凝固した。アクジョがその中で必死に口を動かす。かすれた音が出た。
「それは王子様がお決めになられたのですか?」
「いいえ」
アクジョの救われたような吐息がもれる。しかしヒロイはたたみかけた。
「今夜、王家の方々と食事会がございますの。王子殿下はその場で正式に表明なさると思います」
「なぜ断言できるのです?」
ヒロイは嫌味ったらしく自分の唇をなでた。昨晩のキスをアクジョに思い出させようというのだ。
「アクジョ様ならお分かりでしょう? それに王子殿下はすでに婚約指輪を外していらっしゃる。あなたとの婚約破棄は間違いない、そうですよね?」
アクジョは悔しげにうなずく。
「はい。でも、でもカイザ王子様はまだ……!」
「くどい」
広院は豹変した。口調がぞんざいになる。
「あんたは負け犬よ。殿下はもともと金蔓としてのあんたに興味を持っていたんだから。それがあの狂態。あたしまで殺しかけてね。それで殿下が心をまた寄せてくれると、ホントに信じてるの? だったらお笑いぐさだわ」
アクジョも憲兵も、広院の粗暴な態度にあっけにとられている。俺は奴の兄としてただ1人、パリピの地が出たな、と肩をすくめた。
広院はテーブルに両ひじをつき、組み合わせた指にあごをのせた。ニヤリと笑う。
「大体あんた、カイザ王子殿下とキスしたことあるの? あたしと彼がしたような、熱烈なキスを」
アクジョは歯ぎしりし、酒の入った杯を掴んで振りかぶった。広院に投げつけようとしたのだろう。だがその手は宙で止まり、ワナワナと震えた。
「ぐっ……!」
中身がこぼれてアクジョの服や床を汚す。広院は官憲に腕を押さえられる彼女を冷笑した。
「そうやって怒り狂うと見境なくなるところが、王子殿下に嫌われたんじゃないの?」
「あなたって人は……!」
「ヒロ、突っ立ってないであんたのあるじをなだめたら? また傷害を加えてこようとしてるのよ、その狂人は」
俺は妹の皮肉に対して首を振った。
「お前はしたい放題だな。そのうち痛い目にあうぞ」
「まさか」
広院は夢見る乙女のような目つきになる。
「貧弱な自分の地位を跳ね返し、一国の王子と添い遂げる。何てすごいんだろう! アクジョさん、あんたの役目は終わったの。もう舞台から退場してね」
アクジョは悔しさのあまり涙を流し、杯を取り上げられると両手に顔をうずめた。しばらく彼女のしのび泣きが室内を支配した。
と、そのときだった。
「ケイゴ様!」
新たな兵士が屋敷の中にまろび入ってきた。その額は汗びっしょりで、どこかから走ってきたものと見える。
さめざめと泣き続けるアクジョを横に、ケイゴと呼ばれた憲兵が答えた。
「何だ、あわてて」
「たっ、大変です! 王子が……カイザ王子殿下が……」
唾を飲み込んだ。
「冒険者ギルドで勇者の試験を受けています! 合格すれば恐らく魔王討伐行に出陣するものだと思われます!」
俺にとっては朗報、広院とアクジョにとっては凶報だった。
俺たちが冒険者ギルドに駆けつけてみると、ちょうど試験が終わったところらしい。建物裏の闘技場のような敷地で、大勢の見物客が拍手喝采を王子に浴びせていた。
カイザ王子は片手をあげてそれに応える。試験官が叫んだ。
「殿下こそは100年ぶりの『勇者』と認定されました!」
俺は興奮していた。昨夜のドラゴンによる大量殺戮を目の当たりにして、彼は決心したのだ。ゼイタク王国にとどまって権力にしがみつくより、勇者として魔王を倒そう、と。
やった。これでやっと、女神シンセが要求していた魔神――魔王打倒の旅に出られる。俺は歓喜を分かち合おうと、広院やアクジョに首をめぐらした。
だが――
「何考えてんの、カイザ王子殿下!」
「無茶よ、魔王を殺しに行くなんて!」
2人はそれぞれ、王子の判断に否を下している。愛する男の重大な決意が、彼女らの心には響かなかったらしい。
特に広院は悲惨だ。王子と甘い時間を過ごして結婚にいたる予定だったのが、急にご破算となったのだから。彼女は大いにうろたえ、何とアクジョと抱き合った。一気に境遇を同じくして、呉越同舟と相成ったらしい。
カイザ王子がこちらに気づき、近寄ってきた。




