019侵入
巨漢の心が揺らいだのを俺は見逃さなかった。もう一押しだ。
「ひょっとしたらカイザ王子は、すでにアクジョとキスぐらいしてるかもしれない。何ならもっとすごいことまで……」
「もっとすごいことまで……?」
ウーザイは呆然自失のていだった。しかしその顔は、次第にこみ上げる怒りに汚染されていく。
「……許さねえ。たとえこの国の王子と言えど、アクジョに対してそんなまねは許さねえ!」
彼は相貌を真っ赤にして地団駄を踏んだ。相当頭にきているようだ。俺は最後の薪を目の前の炎にくべた。
「ウーザイ、取り戻すんだ! アクジョを、王子から!」
「おうよ!」
威勢良く応えた単細胞は、早速反転して門の方へと走り出す。俺も後に続いた。ともかくこれで宮殿に行ける。後のことはあんまり考えていないが、どうにかなるだろう……
馬車の中におさまった俺とウーザイは、宮殿へ向かってひた走っている――はずだった。何しろ乗り込むと同時に降り出した強い雨により、俺たちはあわてて窓を閉めなければならなかったのだ。外の様子は全く分からず、ただ雨やひづめや車輪が立てる物音、それから強い揺れとで、どうにか疾走していることが実感できただけだった。
「アクジョ……待ってろよ。このウーザイ様がカイザ王子から助けてやるからな」
ものすごいストーカー的な意気込みだ。俺は窮屈な車内で身を縮こまらせた。肩でもすくめたい気分だ。
揺れがなくなり、雨音だけとなる。前方の小窓を開け、御者が顔だけ出した。
「着きましたぜ、旦那がた。宮殿へ続く門の前です」
俺は先に降り、叩きつけてくるような風と雨をもろに浴びた。たちまちずぶ濡れになる。支払いを終えて続いたウーザイが、ひどい天候に顔をしかめた。
3メートルほどもある巨大な格子の門には、この嵐にもかかわらず守衛4名がついている。お勤めご苦労様。
ウーザイが騒音に負けじと彼らに怒鳴った。
「俺はフゴー家令嬢アクジョの三軒隣の貴族、ウーザイだ。舞踏会に出席したい。ここを通してくれ!」
遠くから雷の空気を裂くような轟音が鳴り響いてくる。いかづちまで落ちてきたか。守衛が応じた。
「招待状はございますか? ないのであれば、どなたといえどもお通し出来ません」
「ない」
「ではお引き取りを」
そっけない返事にデカブツがいきり立つ。しかし筋が通らないのはこっちの方だ。まさか宮殿の守衛をどついて気絶させるわけにもいくまい。
俺は門の左右につらなる塀を見た。石造りの強固なそれは、高さ2メートル半の上に槍のような格子がギラリと天をついている。これを乗り越えられれば、門にこだわる必要はない。
「ちょっと散歩だ、ウーザイ」
俺は大男の服をつまんで引っ張り、塀ぞいに歩き出した。相変わらず激しい風雨で、稲妻の音も加わってやたらとうるさい。
「お、おい、どこに行くんだお嬢ちゃん」
俺は門からだいぶ離れたと見るや、ウーザイを離して壁に向かった。果たして俺の思惑通りに出来るだろうか? だが、ここまで来て試さないわけにもいかない。
『音撃』で塀を砕き、そこから庭園内に侵入する。それが馬車内で俺の考えた突破法だった。ウーザイを失神させたのとはわけが違う威力を、果たして出せるかどうか。
俺は深呼吸すると、腹に力を込めて叫んだ。
「砕けろ!」
俺の渾身の一吠えは、すさまじい銀の波となって囲壁に炸裂した。前代未聞の爆風に、目の前の遮蔽物が木っ端微塵に吹き飛ばされる。
成功だ。ポッカリ開いた穴の向こうに、宮殿の姿が遠く現れた。嵐のおかげで、俺の声も爆音も、さっきの衛兵たちには半ば聞こえなかったはずだ。とはいえここでゆっくりなどしてられない。
俺は呆けた顔でボサッと突っ立っているウーザイを再び引っ張った。
「行くぞ、ウーザイ。宮殿まであと少しだ」
でかい図体の男はびしょ濡れの顔をぬぐう。それで気を取り直したか、俺の後に続いて走り出した。
「なあお嬢ちゃん、お前はいったい何者なんだ? 何だ、さっきの技は。ひょっとして魔物なのか?」
「今はどうでもいいだろ、そんなこと」
連続する稲光のおかげで、真っ暗闇の中でも見当をつけて駆けることが出来る。俺たちはたちまち宮殿に到達し、その大口のような玄関へ水浸しで登場した。ここにも兵士が見張り番をしている。
「ここは由緒正しき陛下の宮殿です。現在は舞踏会が催されています。すみませんが、招待状を見せていただけますか」
やっぱり身元を確認された。俺とウーザイはもちろんまごついて、どうやって切り抜けるか思案する。
その時だった。
会場内から耳をつんざく悲鳴が上がる。どこかで聞いた声だ。その後、建物の中が人のわめき声で騒然となった。明らかに何か起こった、としか考えられない。
兵士たちが確認のためドアを開ける。それと同時に奥から別の守衛が走ってきた。
「大変だ。事件が起こった。ちょっとお前らも手を貸してくれ」
「は、はいっ!」
衛士たちが宮殿の中に駆け去っていく。俺とウーザイは取り残された。
俺はこの好機を逃さない。
「俺たちも行ってみよう、ウーザイ!」
「よ、よし!」
この宮殿には以前にも入ったことがある。俺は道順を覚えていて、すぐさまホールに到着した。
そして、信じられない光景に息を飲んだ。
広院が肩を裂かれたらしく、出血してへたり込んでいる。その隣で兵士たちに取り押さえられているのは――
真っ赤に染まった短剣を握る、アクジョその人だった。




