017指輪
「アクジョにプレゼント? 何だ、それは」
ウーザイはたるんだ頰をゆるませ、懐中から手の平サイズの箱を取り出した。フタを取る。中でロウソクの光を受けて輝いているのは――
「指輪?」
俺はプロレスラーのような肉体のウーザイを見上げた。彼はにんまりと笑っている。
「結婚指輪さ。この前も言ったが、アクジョはカイザ王子との縁談なんか破棄して、俺とくっつけばいいんだ。お前もそう思うだろ、お嬢ちゃん」
こいつ、頭がおかしいのか? それとも単純に脳筋なのか? 自分の地位が国王一家より上だと思い込んでいるのだろうか。だとしたら単なるバカだ。
ウーザイは黄昏の世界で、まるで自分の幸福な未来を見い出しているかのように、視線を宙に固定して喜んでいる。俺はため息をついた。
「そのアクジョは今頃カイザ王子一家と会食中だ。お前がつけ入る隙なんてあるわきゃないんだよ。分かったらさっさと帰れ」
「あ? 何か言ったか?」
ウーザイは夢から覚めたように俺へ目線を戻した。都合の悪いことは聞こえないらしい。俺はため息をついた。
「お前、何でそこまでアクジョに入れ込むんだ? どうもただの幼馴染ってわけじゃなさそうだが」
ウーザイは指輪の箱を再びフタすると、ふところにおさめる。アゴをなでた。
「いや、俺もこの気持ちに気付いたのは去年からだ。それまではご近所の貴族同士、幼馴染として家族ぐるみの付き合いをしていた。アクジョは8歳の時にはもう、親の考えでイナーズの奴と許嫁になっていた。それもあって、あいつとは恋愛関係になることもなかったし、それが当然だと考えていた」
デカブツはしんみりと語る。辺りはすっかり暗くなっていた。
「何よりも、アクジョの存在は俺にとってまぶし過ぎた。雲より上の天女みたいに、決して触れることのできない相手だと、俺はどこかで妄信していたんだ」
太い眉毛の端がつり上がり、胸底に怒りの渦が発生したことがあらわとなった。
「それが崩れ去ったのは、国王陛下が御子息のカイザ王子とアクジョとの婚約を下知なさった時だ。それはつまり、アクジョとイナーズの縁談が放棄されたことを意味する。ごくあっさりとした終焉だった。その出来事は俺の頬をしたたかに張った……」
勢いよく鼻息を吹き出すさまが、まるで機関車のようだ。
「俺はびびっていたのさ。アクジョとの関係を変化させることに対して、な。だが一国の王子は、俺の高嶺の花をつみ取ろうとしている。俺から奪い去ろうとしている。それで俺はアクジョへの自分の想いに気付き、それを確固たるものとした。王子が出来るなら俺だって出来ないはずがない。俺はアクジョを取り戻し、妻にめとるために立ち上がった。それからだ、連日のようにこの屋敷を訪れるようになったのは」
で、連日のように断られているわけか。俺はストーカーじみた求愛についていけなかったが、それでもウーザイの心に一点の清涼を発見した。
「あと3ヶ月、毎日来るつもりか?」
大男は当然だとばかりにうなずいた。その目に決意の火がともっている。
「アクジョのためなら何でもやってやる」
俺はうんざりしながら、手で追い払うしぐさをした。
「今日はアクジョがいないんだ。さっさと帰れ」
「何だと?」
ウーザイは俺をにらんだ。が、先日受けた鼻の傷がうずいたか、急におじけづく。
「ま、まあいいだろう。今日のところは引き上げてやる」
デカブツはランタンの明かりをぶら下げたまま、きびすを返して立ち去っていった。
「何だかカイザ王子様と話が弾まなかったわ……」
アクジョは広院のいない会食なのに、それを満喫できなかった表情で夜遅く帰宅した。
「どうしたのかしら、あのお方は。まるで心ここにあらずって感じだった」
ああ、とうとう王子の心が広院に傾斜し始めたか……。アクジョは暗い気持ちを切り替えるように、「ところで」と話を変えた。
「首謀者が判明したわ」
俺は目をしばたたいた。
「首謀者? 何の?」
「この前の食事会で給仕の仮面を脱ぎ去り、カイザ王子様のお命を狙った男のよ」
そう言えばそんなこともあった。アクジョはメイドのメシツとカイに上着を預けつつ、まるで秘密の会話をするかのように声量を落とした。
「憲兵の厳しい拷問のすえ、とうとう白状したわ。あの男、数年間カイザ王子様に給仕としてつかえつつ、このゼイタク王国の情報を他国――マンプク王国に流していたの。スパイだったのね」
数年間ものあいだ、誰も奴が他国の間諜であるという事実に気づけなかったのか。でも、それなら何で急に王子殺害へ動いたんだ?
「マンプク王国は魔王のダンジョンがある大陸に近くて、その国王はひそかに魔王と契約を交わしているらしいの。人間のいけにえをささげる代わりに、王国へ攻め込んで来ないように、ってね。カイザ王子様のお話では、そのマンプク王国国王ゲップが、なぜかカイザ王子様を重要視しているそうなの。魔王にとって都合が悪い存在らしくて……。スパイが殺害に踏み切ったのも、魔王から直接指令を受けたからみたい」
魔王がカイザ王子を重要視、か。国王シャシ三世を暗殺してゼイタク王国を転覆させるのなら、確かに分からなくもない。国王は頂点に立つ人間であり、いなくなれば貴族たちによる内乱が起きることは必定だろう。そうなればマンプク王国は安泰にひたれる。
それがなぜカイザ王子を狙ったんだ? ひょっとして……
「なあアクジョ、カイザ王子は『治癒の法術』を使えるのか?」
「え? ええ。何なの、急に」
「で、王子は剣術や格闘術にも長けている……」
「もちろんよ。幼い頃から厳しく育てられていらっしゃるわ」
女神シンセは『カレ』と口にした。もしかして、それはカイザ王子のことではなかったのか?
カイザ王子こそが、勇者候補の筆頭ではないのか?




