7話「猫耳」side高月
昼休みも後半に差しかかっている。
歩きながらグラウンドに目を向けると、雲間でかくれんぼをしている太陽のせいか、辺りは明るくなったり暗くなったりしていた。
だけど雨が降りそうな気配はなく、そこにいる連中は構わず遊びを続けている。
俺はというと、グラウンドの楽しげな光景を横目に、その脇を歩いていた。
ハムの背中を追って。
何の話なんだろうか。
ハムに何を言われるのだろうか。
すでにいたたまれなさマックスだ。手のひらに汗が滲む。
やがて俺たちは、普段は立ち寄らない南校舎の裏側にたどり着いた。庭と呼べるほど整然とはしていないが、そこそこ広さのある空間で、草木の湿った匂いが漂っている。
しばらく進んだところで、ハムは「この辺でいいかな」と言って足を止めた。
そして、その場でくるりと振り返り、俺に顔を向ける。
気まずさから、とっさに目を逸らしてしまう。しかし、それじゃますます感じが悪いと思い直し、改めてハムの顔を見据えた。
その顔には表情がなかった。怒っているようでもない。悲しんでもいない。笑ってもいない。本当に何も読み取れない。
俺がハムの感情を測りかねていると、彼が口を開いた。
「ごめんね、こんな所まで来させて」
そこでようやく微笑むハム。いつもの柔らかな雰囲気が戻ってきた。
「いや、いいよ。……あのさ、話って」
そう切り出して、続きを促す。
ハムは小さく「へへ」と笑い、からかうように言った。
「何言われるのか怖いんだー」
「当たり前だろ。さっきの今で、こんな……」
ハムはまた笑う。
「怖いの?」
「だって、ほら、さっき割り込みしたじゃん、俺」
……あまり先ほどのことは思い出したくない。
苦々しい記憶に向き合いつつ、俺は説明する。
「割り込んだ? 何のことかな」
頭にはてなマークでも浮かべていそうな様子で、首を傾げるハム。その顔から笑みが消えた。
え……。
「さっきだよ! ほら俺、二人の邪魔しちまって」
ハムは傾けていた首を戻し、はっきりと答えた。
「別に僕、邪魔されたなんて思ってないけど。ああして会話に加わるのって、自然なことだと思う」
あれ。ハムはさっきの割り込みをなんとも思ってなかったのか……!? 明らかに不自然だったと思うんだが。
続けて、ハムは俺に問いかけてきた。
「高月くんとしては、『邪魔』をしたつもりだったのかな」
「そっ! それは、あの……」
何か痛いところを突かれたようで、言い淀んでしまう。
「邪魔というか、その」
否定しろ! 俺! 邪魔をしたわけじゃないって!
なんで否定の言葉がすぐに出てこないんだよ!
なぜか思いどおりに言葉を操れなくなった俺を、ハムが神妙な面持ちで見つめる。やがて要領を得ない返答に、「ふー」と息を吐いた。
俺から視線を外し、遠くを眺めるように顔を上げる。そのまま静かに話し始めた。
「……さっき伊原くんと話してた。高月くんの言うとおり、面白い人だなあって感じたよ。読書家なだけあって、とても博識だった」
「……」
やっぱり本の話で盛り上がれるんだな、こいつら。
また胸がチクリと痛む。
「何より、普段はガードが固いのに、話してみるとお喋りだった……うーん、可愛いよねえ」
そう言ってニコニコと微笑むハム。先ほどの交流を思い返しているのか、嬉しそうだ。
俺は衝動のまま、一歩踏み出して反論した。
「はあ? 可愛い!? 全然だが!?」
お前のその「可愛い」なんて感情、気のせいだぞ! ……という感じで、ハムの感想を否定しようと飛び出した言葉だったが、これじゃ「俺が伊原を可愛いと思っていない」という意味になるな。
……完全にセリフを間違えた。
「可愛いよ? ……猫みたいにね」
伊原を猫に例えるハム。
猫って……。
……。
ふと、脳内で猫耳をつけた伊原を想像してみる。
招き猫よろしく丸めた両手で、顔をくしくしと擦る猫伊原。
そこに手を伸ばした瞬間、ビビって払いのけてくるんだ。触れんなとばかりに。
瞳孔ガン開きの目で睨むんだろうな。
あとそうだな……語尾には「にゃ」とかつけてほしい。
んで、首元には鈴付きの首輪を……。
だめだ、想像したら面白すぎる。
「伊原に猫耳なあ……なんかソッチ系の趣味の人に狙われそーな危うさが……いや、まあ様にはなるかもな」
吹き出すのをこらえつつ、俺は同意した。
するとハムは、なぜか不思議そうに片眉を上げる。あれ、これもしかして俺……。
「猫耳って……猫のような性格してるなあって話だけど……」
「……」
ハムが俯き、口元に手をやった。
また墓穴か。
ああああ、しまった!! ハムの中の「猫伊原」と俺の中の「猫伊原」は、全然違うものだったようだ!!
馬鹿かよ。「猫っぽい」と聞いて、なんで「猫のコスプレ姿」が浮かんだんだ俺!
どう考えても話のテーマは「性格や振る舞い」についてだったろ!
「あーはは……やっぱそうだよ、な」
恥ずかしさのあまり、俺は顔を覆う。
覆えば余計に熱がこもりそうだったが、とにかくそうせずにはいられなかった。
ああ、掘った墓穴をいっそ掘り進めてブラジルまで逃げようか。
見ると、ハムが口元を押さえて震えている。しかし、とうとうこらえきれずに吹き出した。
「あはは! 猫耳つけた伊原くんもいいかもね!」
いつも上品なハムにしては豪快な笑い。「嘲笑」でないことを祈るよ。
にしても、いっそ笑ってくれたほうが助かるな、これ。どうかこの失態を上質なギャグにしてくれ、ハム。
でも待てよ、この感じ……。
少し落ち着いた俺は、改めてハムの言動を振り返る。
そのうえで、恐る恐る尋ねてみた。
「ハムって、伊原のこと、さ」
「うん?」
俺の様子が変わったのを見て、ハムが表情を戻す。
「どう思ってる、かなって」
これ、自分はとんでもない問いを投げかけているんじゃないのか。まるでパンドラの箱に、わざわざ鍵を差し込むような。
だけどハムは事もなげに言い切った。
「友達。向こうはどう思ってるかわからないけどね」
そう答えると、困ったような笑みを浮かべて目を伏せた。
「……」
まあ、知ってた。
というか、そうじゃなきゃ困る。
俺はその返答に胸をなで下ろす。
なぜかって。そりゃ友人同士の仲が悪かったら……嫌だろう? そういうことだ。
だからハムが伊原を「友達」と呼んでいることに安心したんだ。
「やっぱり伊原くんは愉快な人だと思ったよ。口下手だけど、読書や高月くんの話になると、それはもう饒舌で」
ほうほう、読書やタカツキが好きだと……。
一瞬そのセリフを聞き流しかけたが、俺はワンテンポ遅れて固まった。
「俺がなんだって?」
思わず穴が開くほどハムの顔を見つめる。
「高月くんの話題、伊原くんの口からよく出るよ。お気に入りなんだなーって思えるくらい、君をよく見ている」
「マジ……」
「高月くんはこれこれこういう奴でー、こういうことしてたー……みたいな話をするよ」
……うん。その「これこれ」の内容については訊かないほうがよさそうだな。どうせ文句ばっかだと思うし。
「持久走のことだけじゃない。君のすねの痣についても気づいてた」
「え、痣?」
「転んだのかな、なんて言ってた」
一瞬、何のことかと首を傾げる。
あー……これか。
俺は自分の右脚を軽く持ち上げて確かめてみた。
キックボクシングジムでスパーリング(対人戦)をやったときにできたやつかな。ローキックを食らったとき、たまに残る痣だ。まあ、いつものことだからほとんど気にしてなかったけど、そうか、あいつこんなところまで……。
本当に伊原は、俺のことを「読書」と同列に扱えるぐらい気に入ってくれてんのかな。だったら嬉しいものだ。
さっきまで自爆続きだった俺だが、気持ちが軽くなっていくのを感じた。
ハムがふふんと笑い、片手を腰に当てる。
「僕がここで伝えたかったことは、伊原くんは決して君を嫌ったわけじゃないということ。さっき君はとても悲しそうだったから……」
そんなふうに見られてたのか。確かに俺、伊原によく思われなくなることにビビりすぎだよな。
「でもあいつキレてたぞ」
「まあ、イラッとはしてたかもね」
「ほら」
やっぱり。怒らせてしまったことに変わりはないんだな。
「だけど、イラッとしたからといって嫌いになったわけじゃないんじゃない?」
「……そういうもんかあ?」
「彼が毒舌なのは通常運転だし」
「でもあいつ逃げちまったし……」
明らかに伊原は俺と距離を取りたがっていたように見えたんだが、その辺りをハムはどう捉えているんだろう。
「あれは教室の先生に呼ばれたからだよ?」
「えっ、そうだっけ」
先生に呼ばれたから中に入った?
なんのことかと、また頭が混乱する。
「用事があったみたい。ショックのあまり聞こえてなかったんだー」
笑い出すハム。その瞳には、ちょっと意地の悪さが宿っているようだ。
おいおい、なんか俺だけがさっきの出来事を大ごとに捉えていたみたいだな。
そもそもあいつは口が結構悪い。態度も基本キツい。これがデフォルト。
それを俺はよーく知っているつもりだったのに。なぜ今になって怖くなったんだろう。
前に椅子事件で俺の体温にケチをつけられたとき、俺は腹を立てるだけで終わったはず。そこにショックだとか弱気な感情なんてなかった。
なぜ……。
すると、少し離れた場所からチャイムが鳴った。
「あ、予鈴だ……戻ろうか」
「お、おう」
ハムは俺の横を通り過ぎ、校舎へ戻ろうとする。その姿につられるように、俺も後ろをついていった。
「なんか、サンキューなハム。俺、謎に慌ててた」
俺の礼に、ハムは「いーよいーよ」と笑い混じりに返す。
「いやー、腰を据えて話すのもいいねえ。収穫あったし」
歩きながら感慨にふけっている様子のハム。
その妙に晴れやかな声色に、疑問が浮かんだ。
収穫ってなんだろう。
そう尋ねようと思ったけど、やめた。




