6話「焦燥」side高月
ここはいつも静かで平和だな……。
図書室に来るたびにそんな感想が浮かんでくる。だって、教室とここじゃ賑やかさが天と地ほど違うから。座っている人の姿もまばらだし、視覚的にも静かだ。
俺が珍しくここに来たのは、アイデア探しのためだった。
アイデアというのは、伊原が書いている小説の執筆に役立ちそうなネタのこと。
なんでこんなことを思い立ったのかというと、伊原が若干スランプに陥っているからだ。
休み時間でも授業の合間でも、机に肘をついてぼんやりしている彼の様子に気づいたのは、ここ最近のこと。
物書きの性分からか、もともと考え込むことが多い伊原ではある。ただ、最近はことさら手が動いていないように見えた。
理由を尋ねようと話しかけたら、「ネタが浮かばない」とのこと。それはもう、「出すものを出せない便秘状態か」と思うぐらいのひどいしかめっ面だった。……さすがに便秘うんぬんは言わないでおいた。
実のところ、伊原に文才があるのかは不明だ。小説の世界において、こいつがどの水準にいるのかもわからない。
だけど、相当ストイックに創作しているから、かなりこだわりは強いんだと思う。こだわるって、一点にフォーカスするイメージがあるんだよな。
だから煮詰まったときには、縦方向の掘り下げじゃなくて、横方向の刺激が必要なんじゃないだろうか。視野を広げるような感じで。
……と、しばらく考える俺。
そして、伊原の顔色をうかがいつつ、「アイデア出しとか、なんかできることあればなー」なんてつぶやいてみる。
だが、伊原は「別に協力しなくていい」と断ってきた。
よし、協力するか。
こういう経緯で、今日俺は普段行くことのない図書室に来ているわけだ。あいつのネタ出しに貢献すべく、まずは自分の引き出しを増やそうと考えた。
とりあえず俺は「一般文芸」と表示された棚まで行く。
そして本を手に取っては、中身をパラパラと斜め読みする。これを数回繰り返す。
琴線に触れる本がないか探してみる。
ラブロマンス、ミステリー、群像ドラマ……さまざまなジャンルを片っ端から眺めていく。
だめだ……活字がしんどい。
ある程度ページをめくってみるものの、どれも長続きせずに本を閉じてしまう。やはり俺に読書は向いていないようだ。
じゃあ漫画コーナーでも……って、ないんだったな、この図書室。
妥協案としてライトノベルコーナーに行ってみる。妥協点にしてすまん、ラノベ作家さん。
心の中で謝りながら、適当なライトノベルを一冊取り出してみた。
タイトルは……。
『電子の世界に転生した俺、プログラムで彼女を作る』
ライトノベル特有の長ったらしいタイトルに、俺は苦笑してしまう。
表紙には、アンドロイドのように機械のパーツをまとった無表情の女性が、数字に触れている絵が描かれていた。
少しページをめくると、冒頭のカラー漫画が目に入る。そこに登場する少女は、表紙とは打って変わって穏やかな笑みを浮かべていた。ギャップ萌えを狙ったキャラデザなんだろうな、と即座に理解する。
漫画内のあらすじと思しきモノローグを読んでみる。
『表情のない少女を……プログラムで笑顔を再現……だけど内発的な心のエネルギーがない……俺は0と1で彼女の心を作れるか……』
……うん、入口としてはわかりやすいな。これにするか。
本を閉じ、片手で持つ。
もう一冊、何か借りることにしよう。どれがいいもんか。
フルカラーの歴史書。
図解たっぷりの実用書。
戦争について考えさせられる写真集。
手当たり次第に室内をぐるぐる回っては、足を止める。傍から見たら落ち着きのない奴に見えるだろう。静かに本を読んでるみんな、ごめんな。
それにしても俺って、「画」ありきのものばかりに目が行きがちだ。さっきのラノベだって、ビジュアルで選んだ節があるし。
とはいえ、普段活字を読まない俺にしては、上出来なくらい本と向き合ったんじゃなかろうか。
そう自己評価を下して、俺は受付カウンターへ向かった。
■
「へえ、この作家の作品が好きなんだね」
「まあ、そうかな」
「この人の作品ってジャンルいろいろあるけど、なんでだろう、この人だーってわかる『色』があるよね」
「そう。どのジャンルでもテーマは普遍的なものに落ち着いているから、奇抜な世界観でもわかりやすい物語が多い。この部分が一貫しているから『色』として感じられる」
……。
ああ、またか。
図書室から戻ってきた俺は、教室前の廊下で伊原とハムが喋っている場面に遭遇した。廊下の角を曲がりきる前に、思わず立ち止まってしまう。そして少し物陰に隠れ、二人の様子を覗き見た。
伊原は廊下側に体を向け、ハムは窓の外を向いて、窓枠に肘をついているようだ。
……なんだ、この「こなれ感」のある会話風景は。まだ二回目ぐらいの交流だろ、お前ら。
異様なのはそれだけじゃない。
初めての会話のときから感じていた、伊原の口数の多さだ。
……二人が最初に会話したとき、ハムはさりげなく伊原の席まで行って声をかけていた。「なんか今日やたら暑いねー」といった具合に。
それに伊原が同調して、交流が始まった。伊原から見て話しやすい相手だと認識されたのだろう。
そして、やっぱり小説を見られたくないのか、それとなく机の上を片付ける伊原。ハムはその行動に一切言及せず、変わらない調子で天気のことなどをペラペラと喋っていた。
まるで、伊原のほうから食いついてくるのを待つように。
相槌を打つだけでも成立するような会話で。
伊原が動き出すのを待っていた。
それはきっと、伊原にとってありがたかったに違いない。
その証拠に、今も明らかによく喋っている。とにかく饒舌だ。
絶対に「俺のとき」よりも口数が多い。数えたわけじゃないが、一言あたりの文字数は「ハムのとき」のほうが多いはず。
「……」
モヤモヤが止まらない。
伊原には俺のほうが先に声をかけたはず。
それに、交流した回数だって俺のほうが多い。
なのになんでハムは、たった二回の会話で伊原からあんなにたくさんの言葉を引き出せるんだよ。
あれか、「本」という共通の話題があるから、意気投合するのも早かったのかな。
共通の話題なら俺だって……あれ、あんまりないな。俺が趣味でやってるキックボクシングの話なんか、伊原は興味ないだろうし……。
……これが「既得権意識」なのだろうか。
自分が先に得たものだから優先権は自分にある、と主張するような文脈で使われるらしい。さっき図書室で読んだ本に書いてあったのを思い出す。
でも、俺が優先権なんてものを主張する筋合いはないし、第一、伊原が誰とつるもうが本人の自由だ。
……いや、優先権って何の?
「へー、伊原くんって可愛いところあるんだね」
は?
「かっ! ……男にかわいいとか、ないし」
可愛い、だと。
どういう会話の流れでそうなったのかはわからなかったが、伊原を褒めちぎるハム。
さすがに言われ慣れていないのか、オロオロする伊原に、ハムは追い打ちをかける。
「そういうところも愛嬌じゃん。可愛いよ」
「っ……」
とうとう伊原が照れてしまう。わずかに頬を赤らめ、廊下の床に視線を落としていた。
俺の中で何かが限界を迎えた。
「おーい、お前ら! 何の話してんだー」
その空気を引き裂こうと、周囲への配慮もなくデカい声を出してしまった。二人はビクリと反応し、こちらに顔を向ける。
俺は大股の早歩きで彼らのもとへ近づいた。
伊原が焦りを滲ませた表情で俺を見ている。
「……っ、何か用?」
さすがに俺が本調子じゃないことを察したのか、恐る恐るといった調子で用件を尋ねてくる。
「高月くん。あのね今、伊原くんが高月くんのこと……」
一方、ハムは俺の姿を見ても涼しい顔のままだ。それがやけに鼻につく。
おかしいぞ、俺……ハムは友達なのにな。
「……本のこと話してたろ」
「えっ? うん」
ハムは相も変わらず、淡々とした口調で答える。
俺のイライラにちょっとは戸惑ってほしいものだと、思わず拳を握りしめた。
そして力んだまま、伊原のほうへ顔を向けて言った。
「なあ伊原。俺さっきいろんな本、図書室で借りてきたから、これで一緒に、な」
いやに通る声が俺の口をついて出る。
伊原は、そんな俺の顔を怪訝そうに見つめ返した。さすがに会話への割り込み方が強引すぎたか。
「何、突然」
「え」
伊原の不機嫌そうな声に、思わず狼狽えた。
「いや、さ。本をだな。借りてきたから……」
「なんで」
「えっ」
なぜここで聞き返す。「なんで」はこっちのセリフだよ。
伊原は悩ましげに眉を寄せる。ポリポリとこめかみを掻いていた。
「……まさか……はぁ」
露骨に大きなため息をつく伊原。
そして呆れたように目を閉じ、腕を組んだ。
「協力はいらない、って言ったはずだけど」
「……」
「『アレ』の話なんだよね? じゃあここでそれ関連の話しないでもらえる?」
ぎくり。
……いくら伊原の執筆活動そのものを伏せていたとしても、それにつながる話題も避けるべきだったよな……しくじった。
なんでこんな最悪のタイミングでこの話を持ち出してしまったんだ、俺!
伊原はさらに追い打ちをかけてきた。
「さすがに、無神経」
「う……」
あまりの正論に反論できない。何もできない。
何も……言えない。
もう伊原の顔が見られない。
だから彼の表情はわからなかったが、きっと軽蔑の眼差しを向けられているに違いない。
そう言い放った伊原は腕を解き、無言のまま俺たちから離れていく。どうやら教室に戻るようだ。
「伊原……」
嫌われたのかもしれない。もう話してくれなくなるんじゃないか、これ。今後無視されるんじゃないのか、これ。
一瞬で駆け巡った最悪の想像に、ゾッと身震いする。
腹の底を冷水が一気に駆け抜けるような感覚に襲われ、俺は硬直した。
……って、その場に残ったハムに謝らないと!
「すまんっ、ハム……俺……!」
体を90度に折り曲げる勢いで頭を下げる。
この事件のもう一人の被害者、ハム。
気分よく伊原と会話していたところに俺が乱入してきたのだから、いい気はしなかっただろう。
しかも、あんなテンションだったんだからなおさらだ。
だが意外にも、ハムは落ち着いた声で「顔を上げて」と言った。
顔を上げると、そこには穏やかな表情のハムがいた。笑ってはいないけど、「今の事件」なんてなかったかのように平然としている。
「高月くん」
「は、はい」
負い目を感じるあまり、つい敬語で返事をしてしまう。
何を言われるのか、さっぱり想像がつかない。
俺は身構えた。
だけど、真摯さが伝わるように、まっすぐ目を見て……。
「いいと思うよ」
そう言ってハムは笑みを浮かべた。
「……」
……いや、何がですか?
皮肉ですか?
よく理解できず、真意を探るようにまじまじとハムの顔を見つめてしまう。
ハムは俺から視線を外し、窓の向こうへ顔を向けた。
「……場所、変えようか。まだ時間あるし」
淡々と提案するハム。
先ほどまで雲に覆われていた空の隙間から、陽の光が差し込んできた。その光を浴びるハムの後ろ姿を見ても、やっぱりわからない。一体何を考えているのだろう。
だけど俺は、その提案にうなずくことしかできなかった。




