5話「誤解」side高月
おそらく、「彼」にとってそいつらは「死」に値するほど恐ろしい存在だったのだ。
そして、その「死」が今から通らなければならない道を塞いでいたから、「彼」は立ち止まって動けずにいたのだろう。「死」の予感だけが迫ってくる状況に、絶望していたようだ。
そのときの「彼」には、「引き返す」という選択肢はなかった。真面目だから。自分で乗り越えなければならないと、思い込んでいたんだ。
見かねた俺は「彼」の手を引いて、一緒にそこを通ることにした。
「俺がいるから大丈夫」
……なんてカッコつけたセリフを吐いた気がする。
「彼」は俺の後ろで俯いたまま、黙ってついてきてくれた。
「チッ、邪魔だな。どけよ」
俺は低い声で、道を塞ぐそいつらに言い放つ。
あとで聞いたんだが、「死」と呼べるほど恐ろしいこいつら三人の正体は、「彼」をいじめている同級生らしい。
俺の声に少しビビったのか、連中は「ああ、おう……」とだけ言って道をあけた。
だけど、「彼」がすんなり通り抜けることに不満があったのか、「お前だっさ」と嗤う声が聞こえてきた。
おそらく、後ろにいる「彼」へ向けた捨て台詞だ。
差し出した俺の手を取り、勇気を振り絞って歩みを進めた「彼」への悪口……いや、冒涜だ。
俺はその冒涜が聞き捨てならず、連中を振り返って言ってやった。
「こいつ俺のダチだし、なんかしたら殺す」
このとき、俺はどんな顔をしていたのだろう。
……言うまでもない。連中の強張った顔を見りゃわかる。
そして「彼」も、同じように怖がっている様子だった。
……しばらく歩いてから、俺は「はー」と息を吐く。
ヒーロー然とした振る舞いに、我ながら自画自賛したい気分だった。
今のは憧れの特撮ヒーローのモノマネで、だからこそああいう行動を取ったんだと自分では思う。
だけど、ヒーローって「殺す」なんて言葉使わないよな……まあいいや。
俺は「彼」がまだ怯えていて、震えも収まっていないことに気づいた。
なんとか落ち着かせたい。
こういうときって、どうするんだっけ……。
そうだ。
■
「おーい、大丈夫かあー、高月ぃー」
「んー……へーき」
保健室のベッドに横たわる俺に、箕面が声をかけてくる。俺はまぶたを開け、ぼんやりと天井を見つめた。
少し顔を横に向けると、箕面の姿があった。
変な夢見てたなあ。昔の記憶だったっけ……ああ、もう忘れてきた。
そうだ。俺、四時間目の体育で持久走やらされてたんだっけ。んで、いつの間にかぶっ倒れたんだよな……。水分補給は意識してたんだけど。自分の持久力のなさにつくづく嫌気が差す。
「平気そうでよかったよ! お前がバテるなんて珍しいこともあるんだな!」
やたら通る声で箕面が話しかける。
寝起きだからちょっと声のトーンを下げてくれないかな、なんてクレームをつけたくなるが、まあ気を遣って見舞いに来てくれてるし、言わないでおくか。
「僕も来てるよ。心配だったからね」
箕面とはまた違う声がした。
友達のひとり、「土室」という男だ。
優しくおっとりした雰囲気から、クラスでは「癒し系」などと評されていたっけ。八方美人なのが玉に瑕か。
そんな土室を、俺はなんとなく呼びやすいからと「ハム」と呼んでいる。本人も笑いながら受け入れてくれた。
ハムは丸椅子に腰掛け、文庫本を手に持っている。見舞いと言いつつ、しっかり暇潰しも兼ねているな。
「元気そうでよかったよ。熱中症って睡眠不足が原因になることもあるから、ずっと寝てたのもそれじゃないかな」
「あー、夜遅かったのはあるかも」
「何、ゲームとかしてたのかー?」
「ネットで動画観てた」
いよいよ賑やかになってきた空間に反応して、俺は上体を起こした。
「あぁ〜……っ、よく寝た」
あくびと伸びを同時にする俺。
「いやあ、高月が熱中症と聞いたときは、『バカでも熱中症になるんだな』とか思ってたよ」
箕面がわははと笑いながら言う。そこは心配するところだろ。
「風邪じゃあるまいし……あとバカではないぞ」
「ほんと、気をつけろよー」
ツッコミどころ満載な箕面だったが、そのいつもどおりの調子に救われている俺がいたりする。
「ん……?」
何かに気づいたのか、ハムが保健室の入り口へ顔を向けた。つられて俺も同じ方向に目をやる。
「あっ、伊原くん。どうしたのかな?」
「えっ、伊原?」
思わず大きな声が出た。
いるのか、そこに伊原が?
俺の位置からは姿が見えなかったけど、ハムは気づいていたみたいだ。
おずおずといった様子で、伊原が入り口から顔を覗かせる。その表情は気まずそうに強張っていた。
「あっ、見舞いの順番待ってた? じゃ、俺は退こ……」
そう言って箕面がベッドのそばから離れようとする。
だけど、その腕をハムが掴んだ。
何か言いたげに箕面の顔を見つめるハム。その視線から何かを察したのか、箕面は小さくうなずく。そして改めて丸椅子に腰を下ろした。
あれ、退かないのお前ら?
「伊原くん。椅子もう一個あるから、こっち使っていいよ」
ハムがそう手招きして、隅から椅子を出してくる。
「別に、いらない」
ハムの言葉に伊原は素っ気なく答える。こいつまた……。
そして、もう用事はないと言わんばかりに踵を返そうとした。しかし。
「高月くんが心配だったんだよね?」
その言葉を聞いて、伊原はピタリと動きを止めた。
「っ、別に……その」
か細い声でなんとか言い訳しようとする伊原。否定はしない様子に、俺は思わず口角が上がるのを感じた。
それにしても、顔が少し赤い気がする。気のせいかな。
やがて箕面が、張り詰めた空気をほぐすように声を上げた。
「わはは、高月も伊原に会えて喜んでるぞ! 露骨にニヤつきやがってー」
「ばっ、ニヤついてねーし!!」
恥ずかしさのあまり、反射的に怒鳴ってしまった。
俺のデカい声に、箕面はますます笑いやがる。
いやまあ、心配して来てくれたってんなら、誰であろうと嬉しいだろうよ。
伊原はそんな光景を見て、「自分も加わっていい」と判断したようだ。ハムが指さす丸椅子のところまで歩み寄り、ゆっくりと腰掛けた。
「死んでなくてよかった」
いきなりパンチの効いたコメントをする伊原。
おかしかったのか、ハムと箕面は吹き出してしまう。
「生きてるっての。……てか、見舞いとか来るタイプなんだなお前」
「まあ暇だったし」
ベッドの向こうにある窓へ目を向けながら答える伊原。ほんと素直じゃねえな。
だけど、そんなこいつの顔から目が離せなかった。
「最初に高月くんの異変に気づいたの、伊原くんだったよね」
ハムがここで意外な事実を教えてくれた。
伊原が気づいた……? 俺の体調不良に? 一番に?
その言葉がぐるぐると脳内を巡る。
「そ、そうなのお前」
思わず伊原に尋ねる。
「……周りが鈍感すぎる」
はあ、とため息をつく伊原。持久走のときを思い出しているのか、表情が苦々しい。
そして俺の目を見て、はっきりとした口調で言った。
「あんたが寝不足なのはわかってた。授業中ウトウトしてたし。そんなんで臨む夏日の持久走なんて自殺行為じゃない? ……見てたら案の定フラフラしてたし、気づかないわけない」
そう話す伊原の声色は、至って真剣だった。
俺の自惚れかもしれないが、どこか切実さすら帯びているように聞こえた。
伊原はどれだけ俺の様子を見ていたのだろうか。
というか、周囲の人間に対して一線を引くこいつが、本当に関心を持って俺を見てくれていたのか。
初めて小説を見せてもらったときだって、「まだいたの」なんて言うくらい、俺の存在が薄かったのに。
でも、もし俺に興味があったのなら、この上なく嬉しいと思う。
そう考えると、体温が上がっていくような気がした。空調が効いているはずの、この部屋で。
「あ、ありがとな……助かったよ」
照れくさくて、ごまかすように自分の後頭部をワシワシと掻く。やばい、伊原の顔見れねえ。今なら何をやっても、どこを見ても、不審者みたいになっちまうんじゃないか。
「まあ、いい」
つられたように伊原もソワソワし始める。
ハムと箕面は、微笑ましいものを見るような眼差しで俺たちを交互に眺めていた。やめろ、その気色悪い雰囲気で笑うのを……。
■
「そういや、ハム。伊原があとから来たとき、なんで退かなかったんだ?」
「うーん」
手に持っていたほうきの動きを止めて、俺は尋ねた。
次の日。
放課後の校舎裏で掃除を任された俺は、雑談がてら同じ班のハムに話しかけた。こうでもしないと精神的に疲れてくる。持久走といい、やっぱり単調な作業は性に合わない。
後方で俺と同じくほうき掃除をしているハムは、手を止めずに質問へ答えた。
「あそこで退いたら、伊原くんはきっとまた僕らとの距離を感じる。……本人はそれでいいと思うかもしれないけど、僕は寂しいかなって」
「えっ」
寂しい? ハムが? なんで?
思わず素っ頓狂な声が出る。
「最近、思うよ。みんな誤解してるんじゃないかって。伊原くんを。ちゃんと関われば、ちゃんと何かを返してくれる人だと思うんだ。持久走のときなんて、特にそう感じた」
「……」
そう言いながらハムは、ほうきで集めたゴミや葉っぱをちり取りに入れる。そして一区切りついたところで、しっかりと俺を見据えて言った。
「高月くんのおかげだよ」
穏やかな表情でそう伝えてくるハム。
「俺が……?」
ハムは小さく笑ってうなずいた。
「僕に『彼ともっと話してみたい』って思わせたのは、高月くんだよ」
どういうことだ。
「いやいや。俺が? なんで?」
言葉の意味がうまく掴めない。たまらず聞き返すと、ハムは口元に手を当ててけらけら笑う。
「だって高月くん、伊原くんの話するとき嬉しそうじゃん」
「ええ!?」
「それ聞いて、『伊原くんは楽しい人』なんだと思えてきてさ……」
そんなに嬉しそうだったかな、俺!?
この事実を知って、顔が熱くなるのを感じた。
確かに、俺が伊原と話すようになってから、ハムたちとの会話にも彼の話題が出るようになったけど。
伊原は実は結構おもしれーやつだとか、独特な世界観があるだとか、そんな話をする機会が増えたんだ。無論、小説を書いていることは伏せている。
あれ。こうして振り返ると、毎回俺から伊原の話をし始めていた……ような気がする。
ハムが伊原に興味を持ったのは、それがきっかけか。
俺の言動をそんなふうに受け取るとは……ハム独特の感性だと思う。
恥ずかしいやら情けないやらで限界を迎えた俺は、さっさと掃除を再開することにした。ハムもまた、ほうきを動かし始める。
『ちゃんと関われば、ちゃんと何かを返してくれる人』
鋭いなあ、ハム……。
頭もいいし読書家だし、俺なんかよりずっと伊原と仲良くできそうだよなあ。
そう思った瞬間、得体の知れない焦りが胸をよぎった。
「ま、まあ。楽しいやつじゃないかな、伊原」
俺はぎこちなく返事をしてしまう。それを聞いたハムは、すぐに俺の様子がおかしいと感じたようだった。
「どうしたの、高月くん?」
そう言って探るように俺の顔を見つめてくるハム。
「ああいや」
焦燥に駆られたまま、俺は口ごもる。頼む、なんて答えたらいいかわからないから、ここは流してくれ。
俺がモゴモゴしていると、ハムはそれを察したのか「ま、いいや」と言って引いてくれた。
そうだ。ハムという男は、踏み込んでほしくない領域を察したら、サッと身を引ける気遣いのできるやつだった。
一方で俺はどうだろうか。伊原の小説を半ば無理やり覗き見しようとした前科がある。あのときの彼は、察するまでもなく明確に嫌がっていた。
そんな俺とハム。
伊原からすれば、一緒にいてどちらが心地よい存在になり得るかは明白なんだよな。
……いや、何を俺は焦っている?
なんでハムと競うような考えが頭をよぎる?
「……っ」
ぼうっとしていたら、足元に集めていたゴミが風で散らばってしまった。
ああクソ、やり直さないと。




