27話「空振」side高月
まず俺は、伊原にバンテージの巻き方を教えるべく、貸出用のものを一つ手渡した。それを受け取った伊原は目を丸くして「これ全部巻くの」と戸惑いの声を漏らす。
「ああ、全部な。面倒だろうけど、大事なことだから」
そして俺もバンテージを手に取る。伊原の隣に腰掛けて、手本を見せるためだ。
「まず俺がやってみるな」
それに頷く伊原。俺は手を動かし始めた。
伊原はそんな俺の手元を、隣からじいっと見つめている。……なんだか照れくさいな。
変に意識していると巻き方を間違えそうだから、できるだけ考えないようにしよう。そう思いながらも、落ち着かない気持ちのまま巻いていく。
やがて、片手分を巻き終えた。
「……こんな感じ。重要なのは、しびれるほどキツく巻かないことだ」
「へえ」
「伊原もやってみ」
「うん」と言って、伊原はバンテージのループ部分を親指にはめた。そして手首に数周巻いて、指へ……飲み込みが早いな。
だけど、やっぱり途中でつまずいたようで。
「あー、布が裏返ってる」
「どこ?」
俺はバンテージがねじれている部分を指差した。だけど伊原は問題の箇所がわかってもなかなか直せず、もたもたと手を動かすばかりだった。
「貸してみ」
見かねた俺は伊原の手を取り、布を巻き直してやる。そのまま残りも巻いていくことにした。
「痛いか?」
「大丈夫」
「キツかったら言えよ」
そう確認しながら作業を進めていると、俺はあることに気づいた。
……伊原の手があったかい。
だから何だという話なのだが、俺からすれば大ごとで。あと、必然的にそうなるとはいえ、顔が近い……。
遅れて恥ずかしさに襲われた俺だったが、伊原の手を痛めないよう、指先の作業に集中することにした。
「こう、最後は手首に巻いて……ほら、できた」
ひとまず巻き終えた俺は、伊原の手を離す。謎の緊張感からようやく解放され、思わず肩の力が抜けた。
試しにというように、伊原はバンテージを巻かれた手を動かしている。
「なんか、変な感じ」
漠然とした感想を述べて、グーパーと動作を繰り返すその様子がなんだか微笑ましい。
「慣れないうちはそうなるさ」
「へー」
その初々しさに思わず笑みがこぼれてしまう。俺は無意識のうちに、もう一度伊原の手を取った。
「本当にしびれとかないか?」
そう言って、指先から手首まで軽く確かめる。
「や、大丈夫だから」
すると伊原は、困惑した様子で自分の手を引っ込めた。なぜだろうと思ったのも一瞬。しまった!
「あ、ごめん! 触りすぎたな」
慌てて俺も手を引っ込める。罪悪感のせいか羞恥心のせいかわからないけど、妙に心拍数が上がってしまう。
■
10分くらい経った頃。
なんとかバンテージを巻き終えた俺達は、メインフロアのマットの中央へ移動した。次は基本フォームの指導だ。
伊原が右利きなのを踏まえ、足の位置や腕の角度などを細かく指示していく。
「そう、右足を後ろにして。肩の位置をもうちょっと……」
「こう?」
伊原はこちらを見ながら手足の位置を微調整している。
「うーん」
そうだな……もうちょっと、こう。
中途半端な姿勢を正したいあまり、俺はうっかり伊原の肩に手を伸ばしかけた。……がギリギリで止まる。
無断で触るのはいろいろとまずいだろ!
「えーと。その、体をだな……触ってもいい?」
「妙な訊き方しないでくれる」
じろりと睨んでくる伊原に、俺は「違うって」と弁明する。
「肩! 肩の位置を直したいんだって!」
返答を待たずに、俺は伊原の肩を少し押して、姿勢を整える。勢いがよすぎたのか、伊原が息を詰まらせた。
さて、次に気になるのは構える手の位置だ。また無意識に手が伸びかけたところで、なんとか踏みとどまった。
「次。右手、触ってもいい?」
「う、うん」
「あっ、左手も」
「部位ごとに聞かなくていいって! 考えてよそのくらい!」
伊原が顔を赤くして首を横に振る。俺もつられて顔が熱くなる。
「じゃ、じゃあ、逆に触ってほしくないところ言ってくれよ、具体的に! そこ避けて触るから!」
「はあ!? このまま殴っていい?」
俺はその怒声に、思わず一歩後ずさってしまった。
……なんで俺、怒られたんだろう。
■
あれから俺は、基本フォームから軽いミット打ちまでをひと通り教えた。
やはり伊原は吸収が早い。多少のブレやぎこちなさはあるものの、正しい位置や動きはしっかり覚えている。
やがて、自分の動きがしっくりきたようで、伊原はひどく満足げだった。ついでに俺も誇らしい気分だ。
「今日はこんくらいにするかー」
壁掛け時計に目をやりながら、終了を告げる。俺の声を聞いて、伊原は動きを止めた。
「貸出用のウェアとグローブとかは、そのまま置いてっていいから。先に着替えておけよ」
「わかった」
息を弾ませたまま、伊原はタオル片手に更衣室のほうへ向かった。
……同級生だけど、なんだか可愛い弟ができた気分だ。誰かにものを教えるなんて柄じゃないと思ってたけど、案外やりがいを感じられるものなんだな。
立ったまましみじみと物思いにふけっていると、いつもお世話になっている男性コーチ……摂津さんに話しかけられた。俺よりずっと体格の良い巨漢ではあるものの、表情も口調も柔らかな人だ。
「お疲れさん、高月」
「あ、お疲れさまです!」
俺はその姿を見て軽く会釈する。
「どうだった、彼?」
「筋は結構いい感じでしたよ。スタミナはまだ心許ないですけど、飲み込みはすごく早いです」
摂津さんは俺の報告に「へえ」と言って、人差し指を顎に当てていた。その瞳には期待の色が浮かんでいる。
「僕も見てたけどね、フォームの崩れにくさはさすがだと思ったよ。伊原くん、来てくれるといいけどなあ」
「俺もそう思います」
……もしこっちのジムに伊原が通うことになったら、どれだけ放課後が楽しくなるのだろう。
学校だけでなく、こうして自分を鍛えるときにも伊原がそばにいてくれたら、どれだけ愉快な日々になることか。
幸せな予感に浸る俺に、摂津さんが「彼と仲がいいんだね」と穏やかな笑みを浮かべて言ってきた。
「伊原はすげー面白い奴なんで! 一緒にいて退屈はしませんね」
即座に俺がそう返すと、摂津さんは「はは」と楽しそうに笑っていた。
「なんというか、ラブラブって感じだね。君達」
「えっ……」
摂津さんが妙な表現をするものだから、俺はつい素っ頓狂な声を上げてしまう。ラブラブって、男の友達同士に対しても使えるのかな……。
「い、いや、そういうんじゃ……はは、どうかな……」
バッサリ否定したらそれはそれで失礼な気がするので、否定寄りに言葉を濁す俺。そして何かをごまかすように、手元のタオルで首筋を拭った。
なんだか急にここから逃げ出したくなってきたぞ!
■
「本日はありがとうございました」
受付で、ジム内のメンバー全員に聞こえる声で挨拶をする伊原。それに対してみんなも「お疲れさま」と口々に返していた。
「高月も、ありがとう」
俺にも柔和な表情でお礼を言ってくれた。笑って「こっちこそ!」と返せば、伊原は恥ずかしそうにそっぽを向いた。
……なんだか、胸がムズムズしてきたな。
「高月はまだ残るんだね」
「ああ。……一人で帰れそうか?」
「馬鹿にしないでもらえる」
いつもの毒舌に、俺はまた口角が上がるのを感じた。
こいつめ!
……その後、伊原をビルの入口まで見送ったのだが、「どこまで来るの、鬱陶しい」と言われてしまった。少しショックだ。
だけど、俺の胸の内は希望に満ちていた。
……もっとも、その希望も翌朝には打ち砕かれることになったわけで。
■
「決めた。俺、陸上部に入りたい」
朝の教室で、伊原は箕面にそう告げたのだ。
それを聞いた箕面は、顔を輝かせ、勢いよく椅子から立ち上がった。
……その際、周囲のクラスメイトの視線が一斉に二人へ集中した。
「おおっ! 本当か!」
「うん。個人戦だし、肌に合いそうかなって」
「マジで!? やりたいって思ってくれたのも、こうして伝えてくれたこともすげー嬉しいな!」
箕面は喜びのあまり、伊原の両肩を鷲掴みにしてその決意を称えた。伊原は「ちょっと……」と言いながら、嫌がるように身をよじる。
「途中入部って形になるけど、よろしくな!」
「う、うん」
そう言って伊原は身をよじるのをやめ、控えめに笑った。
……俺は持ってきた鞄を机に下ろすこともできず、ただ立ち尽くすほかなかった。




