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26話「見学」side伊原

 週明けの放課後。


 帰り支度を済ませた俺は、高月に誘われるまま教室を出た。

 駐輪場に到着するまでの間、高月はやたら上機嫌のようで、隣で歩きながら鼻歌など歌っていた。


 そんな彼に「何が楽しいの」ときいてみれば彼は笑顔で「別にー」などと濁す。ジムに見学希望者が現れたのがそんなに嬉しいのだろうか。


 やがて、俺達は駐輪場に到着する。高月が自転車へ手際よく鍵を差し込み、やたら大きなスポーツバッグを前カゴへ突っ込む。


 ……グローブでも入っているのだろうか。


「ここからちょっと歩くことになるけど、いいか?」


 ハンドルを両手で握ったまま、俺にきいてくる高月に、俺は当然と言わんばかりに頷く。


「別にいい。あの辺りまでは箕面と行ったし」

「そうか」


 徒歩でいくなら20分弱ぐらいになるか。だけど一度通った道のりだからそれほど負担には感じなかった。


「じゃ、行くか」

「うん」


 高月が顎で校門の方角を指し示す。そしてゆっくり歩き出した彼に、俺も続いていった。


■


 その場所は、箕面と行ったコンビニの近くの雑居ビルにあった。建物の2階の窓に「KICK BOXING GYM」や「初心者歓迎」といった文字が貼られている。


 外から室内の様子はみえない。だけど、やや年季の入ったロゴを見るに、地元密着の歴史あるジムだと伝わる。


 俺がビルを見上げていると、高月が自転車を停め終えた。


「ここの2階なんだよ。来てくれ」


 そう言って高月は、後方の俺をチラ見しながらビルに入っていく。そんなに確認しなくても俺は逃げないのに。


 その視線が鬱陶しくなってきたので、俺は、さっさとビル内に入ることにした。


■


 ジムに入室してまず感じたのが、強烈な革製品と消毒液の匂い。そして、ミットか何か、ボンッと殴るような音がリズミカルに聞こえてくる。


 いかにも運動施設といった雰囲気に俺はすこし身構えてしまう。


 最初に入った部屋はロッカールームらしく、社会人風の男性数名がベンチにまばらに座っているのが見えた。ここがロッカールームのようだ。


「こんちは〜友達連れてきました!」


 入口の受付でカード認証を終えた高月は、室内全体に響く大きな声で挨拶した。

 すると室内の男達は一斉にこちらに視線をよこし「こんにちは!」と溌剌とした声で返してくれた。


「こ、こんにちは……」


 ちゃんと皆の顔を見るべきなのに、恥ずかしさでつい目線を下にしたまま挨拶をしてしまう俺。そんな俺に高月が「はは」と笑う。


 だけど周りは気分を害した様子はなく、「ゆっくり見ていってね」と声をかけてくれた。


「伊原、ここはスリッパとかはないんだ。靴下のまま上がれ」

「へえ」

「あっちのメインフロアだと裸足になる必要があるからな。裸足じゃないと滑って危ない」

「ふうん」


 高月が事細かに説明してくれるのを俺は頷いて聞く。未知の空間にいるからか、なんだか高月が頼もしく感じるな。


「じゃ。更衣室で着替えるから、お前はここで座って待っててくれ」


 そう言って高月は、着替えを持って更衣室へ入っていった。


■


「なんか、印象変わるね」

「マジで?ははは」


 しばらくして、無地のドライTシャツに黒ハーフパンツといった出で立ちで、高月が更衣室から出てきた。


「じゃ、どんな印象?」


 やたらソワソワした口調で俺に質問してくる高月。何か明確に言って欲しい言葉があるのだろうか。


「……爽やかだなあって」

「あ、あーそう?」


 高月は嬉しそうにしつつも、どこか物足りなさそうな顔をしている。


 外したようだ。


「じゃあっち行くか。荷物はそのロッカーに入れたままでいいぜ。あっ靴下は脱いどけよ」


■


 高月が壁一面の大鏡に向かって動いているのを、俺は端っこのベンチから眺めていた。


 どうやらシャドーボクシングのようで、ジャブやストレートといった動作を一定のテンポで繰り出している。


 なんとなく、鏡越しに高月の顔を見てみる。


 ……そこには、普段とは違うストイックな男の顔があった。


 いつもの人懐っこさは消え、静かな表情で前を射抜く眼差しをしていた。眉間にシワを寄せているわけでもないのに、迫力がすごい。


 だが、鏡の俺の視線に気づいた高月がふっと表情を和らげ微笑む。


「……っ」


 さっきの顔とのギャップのせいか、ドキリと心臓が弾んだ。


 なんなんだよあいつは……。


 そして、すぐそばで監督していたトレーナーが「高月、集中!」と注意されている。それに高月が「すいません」と謝り、表情を戻した。


 ……ほんの少しだけ、かっこいいと思った自分がなんだか嫌だ。


 俺はできるだけ高月の顔を見ず、全身の動きだけを眺めるようにした。


■


 あれから高月はサンドバッグを打ったり、ミット練習などに励んでいた。


 ……キック以外も結構やるんだな。


 最初こそ俺の存在に気を取られているようだったが、徐々に本調子になったようで、こちらを見向きもしなくなった。


 しばらくすると、タイマー音が鳴り響いた。休憩時間に入ったようで、高月が動きを止める。周囲のみんなも同じように動きを止めて、部屋は一気に脱力した雰囲気に変わった。


「どう?いい雰囲気だろ、ここ」


 タオルで首元を拭いながら高月がそばまでやって来た。いやに汗臭い。


「トレーニングはストイックだったけど、それ以外の時間は結構ゆるいね」

「こういうのは、メリハリが大事なんだよ」


 高月は、隣に腰を下ろしてペットボトルに口をつけた。そして飲み終えたのか、ふうっと息をついて下を向く。


 疲れたのかな。


「……」

「……」


 しばらく沈黙に浸っていた俺達。高月の休憩を邪魔しないよう、話しかけずにいた。


 だが、黙っていたらやがて高月の方から口を開いた。


「……俺さ。ジム以外にも習慣作ろうと思っててさ」

「うん?」


 突飛なテーマに俺は彼の顔を見つめた。


「前に、お前が教えてくれた『ジャーナリング』ってあったろ?あれ、ちょっとやってるんだよな」

「へえ」


 ジャーナリング……アイデアの感度を高める良い方法として紹介したことがあったな。それにしても、書くことが嫌いな彼にしては珍しい。


「何。そんなにアレ気に入ったの」

「気に入ったってか、今の俺に必要なんだろうなって思って」


 束ねたグローブを両手で転がしながら言う高月。そのまま、彼は静かな口調で続ける。


「自分で自分を客観視する練習ってこと。……カラオケんときみたいに、自分がなにしてんのか分からなくなったら駄目かなと思って」


 いつかの出来事を回顧するように目を細めた高月に、俺は「そうなんだ」としんみり零してしまう。


「ジャーナリングにそんな効果があるかはわからないけど、まあ、書く習慣はいいかもね」


 そして俺は「あとさ……」と言って言葉を付け足した。


「無理して今向き合う必要ないんじゃない?」

「え……」


 俺の改まった口調に高月が顔をこちらに向けた。


「……全部水に流せとはいわないけど、あの事思い出そうとして苦しむ高月はあんまり見たくない」

「い、いや苦しいとまでは……」


 苦しくないわけないだろう。


 自分の知らないところで自分が勝手に動いているんだ。その責任を感じているのもわかる。


 ……だけど、高月には前を向いていてほしいと願わずにはいられなかった。


 それに……。


「本当に危ういなら、そのときに俺、言うし」

「っ!」

「その時に、怒ったり責めたりするから」


 だから、「今の高月」はそのままで良いんじゃないか、と俺は思う。


 高月の言う「もう一人の自分」とやらはこっちが対処すればいい。


 高月は俺の顔を見て「でも」と何かモゴモゴ言いたそうにしている。しかし、途中で心変わりしたのか「いや、いい」と言って笑った。


「……ありがとな。伊原」

「ん……」


 俺も笑って頷いた。


 二人でそんな会話をしていると、トレーナーと思しき30代ぐらいの筋肉質な男性がこちらに声をかけてきた。


「君、ちょっと体験してみない?」

「え……」


 突然の提案に、俺はトレーナーの顔を見上げる。その横で高月が「あっいいですね!」と同調してきた。


「い、いやあの」


 別にそういうつもりで来たのではないんだけど……。


 訴えるように高月とトレーナーの顔を交互に見る。


「高月!顔見知りだし、教えてやったらどうだ?」

「え!俺がですか!」


 横で無駄に大きな声でリアクションする高月。なんだか勝手に話が進められている気がする。


「伊原、ちょっとだけやってみようぜ?」


 期待に満ちた顔を近づけてくる高月。その輝く瞳に俺はロクな反論もできず、目を逸らすしかなかった。


 ああもう、表情豊かだなこいつ!


 少し間をおいてから、俺はしぶしぶ口を開く。


「ちょっとだけ、で……」



 結局、折れてしまった。

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