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18話「子供」side箕面

 クラスのみんなは、「夏休み明けの学校」をどう感じているのだろうか。


 個人的には、久しぶりというより「この前も来たな」という味気ない感想しか浮かばなかった。


 どうも、部活で頻繁に学校に通っていたせいで、校舎に対して新鮮な印象を抱けない。おかげで部員以外の友人とは話が合わないこと。


 もう何度も見たよ、このグラウンドも校舎も……ってな。


 だけど、いざ教室に足を踏み入れると、「久しぶり」の感覚がようやく理解できた。


 ……教室にたくさん人がいるなあ。


 新学期なんだから当たり前だけど、夏休み中にはほとんど聞こえてこなかった賑わいだ。


 クラスを見渡せば、髪を切った奴、前より肌が焼けた奴、ギリギリまで課題に向き合っている奴……と、実にさまざまな様子がうかがえる。


 その中に、眠いのか机に突っ伏している奴が一名。


 机の上で両腕を組み、そこに顔を伏せたまま動かずにいる。


 ……新学期早々、寝不足かな、こりゃ。


 俺はそいつのそばまで近寄り、いったん大きく息を吸う。


 そして、その頭のすぐ近くで挨拶した。


「おっはよーう!! 高月ぃーーー!」


「のわっ!」


 俺の大声に、そいつ……高月コウヤは弾かれるように顔を上げた。


 ……危うく、その頭が俺の顔面に衝突するところだった。


 高月は不機嫌そうに、目を閉じたまま眉間を指で揉んでいる。顔がいいだけに、その仕草はちょっと迫力があるな。


「朝からうるせー……はよ……」


 寝起き感マックスのか細い声で返してくる高月に、俺は思わず笑い出した。


「寝坊助には、こんぐらいの声量で挨拶しないとな。目ぇ覚めたか?」


「普通の声でいいっての……」


 そう言って、口に手も当てずに大あくびをする高月。


 目、まだ開いてないぞー。


 すると、俺たちの後ろから「おはよ」と小さく挨拶する声が聞こえた。


 伊原だ。ちょうど教室に来たところか。


「おっ、伊原ー! おはよう!」


 振り返って、元気よく返す。


 そして高月も目を開け、急にはっきりした声で続けた。


「おはよう、伊原」


 そんな俺たちを伊原は一瞥し、そのまま自分の席に鞄を置いた。


 前より明らかに態度が軟化している。


 さて。


 もう一度、高月の顔を見てみる。


 まだどこかぼんやりしているが、さっきより明らかに覚醒度が上がってるな。……高月の目覚ましには、カフェインではなく伊原が良さそうだ。


 よし、もう一段階起こしてやるか!


「なー高月。実は俺、伊原に付き合おうと思ってさー」


 ガタン!


 硬い音が鳴った。


 どうやら椅子が後ろへ弾かれたらしい。高月の椅子が。


「っ……主語を」


 突然立ち上がった高月は、一瞬何か言いたそうにこちらを睨んだが、その後、自分を落ち着かせるように目を閉じて着席した。


 よーし、理性が働いたな。よしよし。


「いや、前もちらっと話したけど、伊原が走り込み始めたっていうからさ。動き見てやろうと思って」


「あー、それか」


 俺の説明に合点がいったのか、伊原を見て頷く高月。


 でも、まだ何か不満げだな。


「まー、俺はいいよ」


 肘をついてそんなセリフを言う高月に、俺はまた笑った。


 だって、どう考えてもこの話に「高月の許可」は必要ないわけで。


 さて。そろそろ鞄を置きに行くか。


■


「何、また寝不足なの? あんた」


 珍しい。


 伊原が高月の席まで来て、話しかけている。


 稀有な光景に、後方の席に座る俺は目を見張った。


「ああ、いや、ははは」


 伊原に指摘され、頭を掻きながら力なく笑う高月。


 まあ、力がないのは笑い声だけで、背筋は伸びている。


 コイツにもし尻尾がついてたら、ブンブン振ってるに違いないわ!


 露骨に喜ぶな! 面白すぎる。


 話に混ぜてもらおうと、俺はもう一度高月のもとへ足を運んだ。


 そんな俺に先に気づいた伊原が、「あ」と声を上げる。


「箕面。またこいつ、ちゃんと寝てないみたいだけど」


 高月を指さし、そう律儀に報告してくる伊原も、なんだか健気に思える。


 俺は高月の机に手をつき、体重を預けた。


「だなー。高月がこんなんじゃ、伊原も心配だよな」


「い、いや……まあ」


 俺の言葉に、照れ隠しなのか俯いて否定しかける伊原。


 可愛らしいもんだ。


「休み続くと生活リズムバグっちまって……悪い」


 そう言って、またあくびをする高月。今度は口に手を当てて。


 あー、これ眠気が戻ってきたな。


 ……。


 一瞬、会話が途切れる。


 気まずいわけではないけど、しばし沈黙が流れた。


 すると伊原が顔を上げ、「そういえば」とこちらを見てきた。


「フォーム見てもらうの、今日、いい?」


 意欲に満ちた、はっきりとした声だ。


「おっ、早速か! いいけど、部活の後になるぞ」


 伊原がやる気になっているのが素直に嬉しくて、つい声のトーンが上がってしまう。


 俺は机についていた手を離し、腕を組んだ。


「五時四十分ぐらいからグラウンドで見てやるよ。五時半まで部活だから、その後で。時間いけるか?」


「うん」


 俺の返答に、伊原が小さく笑った。


 つられて俺もニヤニヤしてしまう。


「あんたの生態も知りたかったし、いい機会」


「はは、生態て! 珍獣かっての、俺は!」


 俺のツッコミに、伊原がますます笑みを深める。


 ……伊原って、こんなに話せる奴だったんだな。


 入学したての頃とはえらい違いだ。


 毒を吐いて周囲と距離を置いていた人間が、ここまで変わるとは。


 もちろん、俺も何度か話しかけようとは思ったけど、あの警戒オーラに気圧されて断念してたんだよな。


 ……これも全部、高月のおかげだな。


 よくわかったんだよ。


 伊原が「実は面白くて愛嬌がある奴」だってこと。


 伊原のことをもっと知りたい。


 伊原にも俺のことを知ってもらいたい。


 そして、頑張ろうと意気込むこいつの背中を押してやりたい。


 そうすりゃきっと、こいつはもっと面白くなる。


 俺はそう信じている。


 高月は俺たちのやり取りを、不服げに、だけど無関心でもなさそうな面持ちで眺めていた。


■


■


 人もまばらな夕方のグラウンド。


 帰宅ムードの陸上部員たちから少し離れた場所で、俺と伊原は特別レッスンを開講している最中だ。


 もちろん、伊原限定の。


 こんな時間に「いつも机で一人で過ごしていた伊原」が体操着姿でいるもんだから、他の部員たちも物珍しそうに俺たちの様子を眺めていた。


「そう。腕はもっと後ろに振る。そうそう、そんな具合」


「こう……?」


「横に振らないように。後ろへ振れば、腕は勝手に前へ戻る。……そう」


 俺のアドバイスに「ふむふむ」と頷き、その場で腕を振る伊原。


 次に、短い距離を走ってもらう。


 ……ここまで指導してきてわかったんだが、伊原は抽象的なアドバイスを具体的な動作に落とし込むのが上手い。


 例えば、俺が「身体が先、足は後」と端的に伝えると、それを「身体を前進させた後、真下に足を置く」という認識に、一発で結びつけた。


 実際に少し走らせてみると、ぎこちないながらも、指示した内容を意識しているようだった。


 よし。


 腕振りは感覚を掴めてきたな。


「なー、伊原」


「……っはあ。何……」


 走るのをやめた伊原が、息を弾ませながらこっちを見た。


「一旦、休憩しようぜ」


■


 俺たちは、グラウンド脇にあるベンチに腰掛けた。


 指示ばかりでそんなに動いてないけど、部活中の習慣で、俺はスクイズボトルに口をつけた。


 ああ、これ部活じゃなかったな……なんて考えが一瞬よぎる。


 そんな俺の隣で、伊原がスポドリをゴクゴク飲んでいる。


 えらくしっかり飲んでいるもんだから、「喉渇いてたか?」と訊いてみた。


 飲み終えた伊原は、はあ、と小さく息をついてから答える。


「……それは大丈夫。運動前にもしっかり水分とってた」


「そいつはいい心掛けだ!」


 ポン、とその肩を叩いてやった。


 伊原はびっくりしたのか、肩をすくめて反対側へ身体を反らした。


 しまった。ボディタッチは苦手か。


「急に触んないでくれる」


 わずかに不快感を滲ませる伊原。ああ、初期の感じが戻ってきた。


 でも、嫌な気持ちをはっきり伝えてくれるのは助かるな。


「悪い悪い! 俺さ、すーぐ相手の背中をバシッと叩いたり、身体に触ったりしがちなんだよなー。またうっかりやっちまったら言ってくれよな」


 俺がそう釈明すると、伊原は「わかった」と言って姿勢を戻した。


 警戒心は薄らいだようだ。


「特に高月とつるむと、やたらビシバシ叩いちまうんだよな。あいつさ、面白いし、ツッコミどころ多いし」


 そう言って、わははと空を仰いで笑っていると、隣の伊原が「あのさ……」と話しかけてきた。


 顔を向ければ、どこか遠くを見るような目で俯いている。


 大事な話なのだろうか。


 そう思い、俺は笑顔を引っ込めた。


「高月のことなんだけど」


「おう」


 やはり高月か。


「カラオケの時の、やたら静かに怒ってたあいつ」


 カラオケ……あのやべー顔してた時の高月ね。


 伊原は意を決したようにこちらを見て、訊いてきた。


「あんな感じになるの、よくあることなの」


 ……。


 その言葉は、「高月のことを知りたい」という前向きな興味から出たものじゃない。


 さっさと恐ろしいものの正体をはっきりさせたい。


 そんな心理が働いているとみた。


 うーむ。何をどこまで言うべきか。


 俺は腕を組み、首を傾けた。


 幼馴染というか、腐れ縁というか……高月とは付き合いが長いもんだから、いろいろ知っていることはあるんだよな。


 答えに詰まる俺を、伊原が急かしてくる。


「教えてほしいんだけど」


 ……真っ直ぐな瞳が訴えている。


 伊原の顔は、真剣そのものだった。


 決して面白半分で訊いているわけじゃないのは明らかだ。


 そんなに高月を暴きたいか。


 ……まあ、いいか。


「……あのやべー高月はさ……」


「うん」




「昔の高月にすごく近い」


「え……」


 目を見開いて固まる伊原。


 まあ、そんな反応になるよな。


 ……今はだいぶマイルドになっているから、余計にギャップが怖いもんな。


 俺はボトルを脇に置き、背もたれに寄りかかった。


「高月は昔っから、ちょっと短気っていうのかな。気に入らないことがあると、すげー怒ることが多くて」


「……」


「周りの大人も、それには参ってたんだよな……」


「……そう、なんだ」


 伊原が目を伏せ、また俯いた。


 伊原の中の高月評は大丈夫だろうか。


「でも、正義感はあったんだよ。ヒーローみたいに振る舞うことに執着してた。でも一方で、自分の思い通りにしたい欲求、みたいなものも強かったんだろうなって」


 今の高月はきっと、そんな過去の自分を自覚しているんだろう。


 ときどき「黒歴史」を思い出したみたいに、顔色を悪くして愚痴ってくるし。


「あ、でもな。高月のやつ、ある時から急に大人しくなったんだよ」


「ある時……?」


 伊原が顔を上げた。


「いつ頃だったかな。理由はわからん。けどまー、テレビか何かに感化されて、少し大人になりたいとか思ったんじゃね」


「……」


 ……実際。


 俺は高月に、宝くじ当選レベルの良いことでもあったのかと訊いたことがある。


 結局、あいつは何も教えてくれなかった。


 だけど。



 その時の高月は、なぜか頬を紅潮させていたな。


 しばらく問い詰めてたら殴られたよ。


 エロ本でも拾って「大人」を知ったのかなー、ってな。


 ……これは伊原には言わないでおくか。



 

 しばらく黙っていた伊原が立ち上がった。


 そして、顔だけこちらへ振り返って口を開く。


「……驚きはしたけど、まあ、聞けてよかった。ありがと、箕面」


 怖がらせるかなーと思ったけど、伊原は予想していたより平然としていた。


 そして、なんやかんや言いつつも、律儀にお礼を言う伊原に、くすぐったい気持ちが芽生える。


 こういうとこ、きちんとするのな。


「じゃあ、休憩っつったけど、もう時間も時間だし、帰るか」


 続いて俺も立ち上がる。


 バッグからスマホを取り出し、時計の表示を確認した。


 十八時半か……。


「じゃあ、また明日」


 伊原はそう言って、先に帰り支度を始めた。

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