16話「蛮勇」side高月
カラオケボックスに到着するまでのあいだ、俺は何度か伊原の足元へ視線を落としていた。
歩行に問題が出ていないか、確認するためだ。
道中も、店に着いたときも、階段を上るときも。
俺は最後尾を維持したまま、みんなと移動する。
特に階段では、気を引き締める必要があった。
万一、伊原が転倒しようものなら、後ろにいる俺がクッションになる必要があるから。
だが、今のところ危うい場面はない。
無事、四人揃ってボックス内までたどり着けた。しばらくは安泰だな、と安堵の息が漏れる。
中のソファは「コ」の字型に設置されていた。
奥側から順にハム、箕面、伊原、俺……と並んで座っていく。
何歌おう、とか。
昼飯何頼もう、とか。
和気あいあいとしたムードで話が進んでいった。
伊原はカラオケ自体あまり来たことがないのか、キョロキョロと辺りを見回している。
うーん。
初々しいな。
だけど……。
「走ったって、どのくらい?」
「三十分くらいかな」
「へえ! 結構長いな」
「そうかな」
箕面と伊原は、走り込み談義に花を咲かせている。
「あ〜お〜いさんみゃ〜く♪ かがやくみ〜ね〜の〜♪」
ハムは伸びやかな声で、気持ちよさそうに演歌を歌っていた。
し、渋い……。
で。
俺はストローで、コップの中のソーダをぶくぶくさせているってわけ。
行儀が悪いのは分かってるけど、なんとなくやってしまう。
なぜこんなことをしてるのか。俺にもよく分からない。
ただ分かるのは、視界に入る伊原と箕面の楽しげなやり取りに、妙な違和感を覚えていること。
箕面は、なんでそんなに伊原に構うんだよ……。
「俺さー、陸上部なんだよね! 100メートル11・09秒出してるぜ。200メートルは……」
箕面が自分の顔を指さし、「すごいだろー」と武勇伝を語る。
いやいや。
伊原からしたら、そんな細かい情報どうでもい――
「うん、知ってる。足速いよね、あんた」
「おっ、知ってたのか」
「学校で有名だし」
……。
知ってたんかい。
俺はストローのぶくぶくを、いったんやめた。
「てか、俺が走ってるとこ見たことある? どうよ?」
調子づいたのか、箕面が質問を続ける。
……いや、周囲にバリア張って距離置いてる伊原が、そんなもんにいちいち感想を――
「たまに見る」
うん、と頷いて答える伊原。
完全に偏屈が鳴りを潜めているトーンだ。
「おっ、嬉しいな」
伊原の反応に、背後にキラキラエフェクトでも出てるのかってくらい、箕面が顔を輝かせる。
「どうやったらそんなに走れるんだろ、とか思ってた」
伊原はそう言って、箕面から顔をそらした。
やや上を見るその横顔は、いつかの記憶を振り返っているような、柔らかな眼差しをしている。
「前から、かっこいいと思ってた」
「「マジでえええ!?」」
俺と箕面は、同時に声を上げた。
なんなら俺は立ち上がった。
俺の突然の起立が怖かったのか、ハムがビクッと肩を揺らし、一瞬歌うのをやめてしまう。
伊原も表情を強張らせ、俺と箕面の顔を交互に見ていた。
だが構わず、先に箕面が前のめりになって伊原へ顔を近づける。
近い近い!
「なあ。もしよかったら、走り方見てやろうか!」
提案内容に驚いたのか、伊原は箕面の顔を穴が開くほど見つめた。
だが。
「い、いや別に……」
思案するようにキョロキョロしたあと、伊原は俺の顔を見る。ああ。これ、迷ってるな。
俺はすぐさま間に入ってフォローした。
「あの、無理にこいつのペースに合わせなくてもいいからな、伊原。あと箕面! お前、厚かましすぎんだろ。距離感をだな……」
「いや、お前が言うんかあああい!!」
箕面がコンマゼロ秒で反論してきやがった。声がうるせえ。
「別におかしいこと言ってないと思うぞ。伊原にはもっとこう、優しく……」
「喉、渇いたな」
!!
俺と箕面がぎゃあぎゃあやっている横で、伊原がぼそりと言った。
「あっ、じゃあ俺ドリンクバー行ってくるな。何欲しい?」
箕面が半目で、「いや、反応早すぎ……」とかケチをつけてくるが、無視。
伊原が「メロンソーダで」とオーダー。
よし、OK!
箕面が「じゃ、コーラで」とオーダー。
はいはい。
歌うのを一瞬やめたハムが、「オレンジジュース!」とオーダー。
あいよー。
……行ってくるか。
俺は部屋から出ようと、ドアノブに手をかけた。
「み〜ろよ〜もえて〜いる〜♪ あ〜かね〜ぐ〜も〜♪」
……完全にハムの演歌カラオケがBGMと化している。
ごめんな。
謝罪の意を込めてチラリと振り返り、そのまま通路へ出た。
■
ここは二階だから、一番近いドリンクバーへ行くには、一階へ降りる必要がある。
階段までは一本道なのだが、借りているのが一番奥の部屋なので、少し距離があった。
ちょっと歩くか。
そう思った矢先。
通路の途中で、店員らしき女性が空のお盆を持ったまま立ち尽くしているのが見えた。
どうしよう、困った……とでも言いたげに、キョロキョロしている。
異変を感じた。だが、俺は引き返さないぞ。
「どうしたんですか」
俺は何の躊躇いもなく、女性の背中に声をかけた。
女性は「あっ」と声を漏らし、振り返る。
結構若い人だな。
その女性は明らかに困りきった顔をしているのに「大丈夫です……」なんて言う。
そんなに顔色悪いのに「大丈夫」はねーよ!
向こうに何かあるのか?
犬の糞とか落ちてて通れないとか?
状況確認のため、通路の向こうへ目をやる。
……階段口を塞ぐように、若い男が二人立っている。
チャラそうというか、柄が悪そうというか。人を見た目で判断するのもよくないけど。
二人はケラケラ笑って会話しているようだが、ときどきこっちを見てくる。
そばの店員へ目を戻すと、怯えた表情で彼らを見つめていた。
あいつら、この女性店員に用があるのか。
「あの二人、なんかあるんですか」
もう一度、聞いてみる。
「あの、本当に、大丈夫ですから。お部屋に……」
店員は力なく笑って、さっきと同じように「大丈夫」と言った。
大丈夫じゃないのに。
「邪魔ですね、あいつら。どかしてきます」
「えっ」
店員の慌てたような声を背中に、俺は足早に男二人のもとへ向かった。
男たちは俺に気づき、会話をやめる。そして、スッと階段への道を開けた。
……やっぱり、俺じゃなくてあの女性店員が目当てっぽいな。
これは……。
俺はそこを通らず、立ち止まった。そして二人に向かって、噛みつくように言ってやる。
「あの、邪魔なんですけど」
「んん?」
男二人は俺の言葉に、困惑した顔で互いを見た。
「え、開けてますけど?」
「通ればいいんじゃないですかね?」
さも「何言ってんだこいつ?」と言わんばかりの顔に、俺はため息をついた。
だから、通れるかっつーの。
そのとき、背後から肩を掴まれた。振り返ると、青ざめた店員の姿がある。
「お、お客様! ここは離れ……っ」
そう俺に促そうとした瞬間。男二人の声音が、いやらしいものへ変わった。
「おっ、チカノちゃんみっけ♪」
「最近会えないし、シフト減ったー? 心配だったから来ちゃったよ」
店員は二人の顔から、勢いよく視線をそらした。絶対に視界へ入れたくない。そんな意思すら感じられる。
「な、何度も言ってますが、私は店員です……。お客様に対して、そのような関わりは……」
恐怖に支配されながらも、慎重に言葉を選んでいるのが伝わってくる。
「おいおい、真面目ちゃんかよー! もっとアタマ柔軟にしなってー」
「真面目は損だぜ。人の出会いってこんなもん! だから連絡先だけでも、ね?」
ニヤニヤ、ニヤニヤ。
男どもは自分勝手なセリフを吐きながら、店員へにじり寄っていく。
……やはりナンパだ。
それも、かなりたちの悪いナンパときたもんだ。
こんな邪魔な場所で……。
店員は俺のほうへ顔を向ける。
そして、こう告げた。
「大丈夫ですから、先に」
作り笑いを浮かべながら、顎で階段口のほうを示す。
盾のようにお盆を持つ手が、震えている。
目の端には、こぼれそうでこぼれない涙が浮かんでいた。
……大丈夫じゃないだろ。
「助けて」って言ってるだろ!
直接口にしたわけじゃない。
だけど、確かに言ってる!
彼女に言いたい。
いくら店員だからって、立ち向かわなくていいんだって!
もう、限界だった。
これからすることは、きっと愚か極まりない行動に違いない。
俺は、男たちと店員のあいだに割って入った。
店員へ背を向け、男たちの前に仁王立ちする。
そして、そいつらの顔をキッと睨みつけて言った。
「いい加減にしたほうがいいですよ」
「は?」
「えっ、なに」
男たちは状況がまだ飲み込めていないのか、気の抜けた声を出す。
「俺たち、別に穏便にやり取りしてたつもりだけど?」
そう言って、やたらオーバーな身振り手振りをする男たち。
どこがだよ。
やり取りしてる相手の表情、見えないのか。
「お前ら、この店員さんに気があるのか」
敬語はもう外していいかな。こいつら、精神年齢低そうだし。
「まー、気はないこともないよ? いい子だなって」
「かわいいし。てか、僕くん、関係なくね?」
…………。
しばらく沈黙が、その異様な空気を包んだ。
こいつらの言い分に、まったく納得がいかない。
俺は拳を握り、俯く。
そして、絞り出すように言葉を続けた。
「気があるなんて、嘘だろ」
嘘に違いない。
だって。
「は?」
「え?」
だって。
「お、お客様! もうっ、いいですから!」
店員が慌てて、後ろから俺の腕を引っ張ろうとする。
だが、すぐさま振り払った。
そして。
「気があるってんなら、お前らが合わせろよ!」
俺ははっきりと、二人の目を見て言った。
「はっ、なに?」
……間抜けな反応だな。いっそ清々しいまである。
「はは、いやいや! 合わせてますけど? この子のためにシフト合わせて迎えに来てるし!」
ヘラヘラしつつも、焦りを覚えているらしい二人。
違うわ、ボケ。伝わってないのか、これ。
だからさ。
「この……客を優先することをずっと意識してる真面目な店員を、自分の都合で変えようとすんなってこと!」
「はあああ? 僕くん、頭大丈夫?」
「変えようとしてないけど? ただ、柔軟にーってアドバイスしただけだけど?」
とうとう男共が、不快感を露骨に表した。
だが、怯まず続ける。
「嘘だな! この人を自分好みにしようとしてんの、丸分かりだよ! 禁止されてる連絡先交換を強要するあたり、自分勝手じゃねえかよ!」
息を吸う。
「なら、お前らがこの人に向けてるのは特別な気持ちなんかじゃない。ただの性欲だ!」
そう断言してやった。
それを「性欲」呼ばわりされたのが逆鱗に触れたらしく、男の一人が俺の胸ぐらを掴む。
「いい加減にしろ、ガキ! 人の気持ちを下衆な言葉で片づけやがって!」
憤怒の形相で俺を睨む男。
俺は胸ぐらを掴まれたまま、睨み返した。
そして横にいる店員へ、「早くここを通れ」と目配せする。
だが、俺を一人にできないのか、オロオロするばかりで動かない。
すると。
「高月!!」
通路の奥から、バタバタと駆けてくる足音。その方向を見る。
……あれ。
おい。
駄目だろ。
まだ走ったら。
だって捻挫。
というか今、危ないからこっちに来るな――
伊原。
その瞬間。
男の舌打ちと同時に、頬へ衝撃が走った。
「っぐ!」
咄嗟に片手を頬へやる。
熱い。
熱い熱い。
ああ。
これ、殴られたっぽいな。
あーあ。
こいつ、傷害罪で逮捕だな。
馬鹿だなー。
「っ、やめろ!」
駄目だ。
駄目だ駄目だ駄目だって!
「っ、伊原! こっちに来るなああ!」
怒鳴りつけるように訴えた。
だが。
まだ俺の胸ぐらを掴んでいる男のもとへ駆け寄った伊原は、その腕をグイと引っ張り、俺を解放させようとする。
「高月を放せよ、クズ!」
今までに聞いたことのない怒声を張り上げる伊原。
「うぜえ! ダチかよ、こいつ!」
胸ぐらを掴んでいた男は、力任せに伊原の手を振り払った。その拍子に、俺は解放される。
だが。
伊原は衝撃でよろめいた。
そして、踏ん張った。
捻挫しているほうの足で。
踏ん張った。
「っ!」
痛みに顔をしかめる伊原。
そこへ、もう一人の男が追い打ちをかけるように――
伊原の足を踏んだ。
「てめーも邪魔なんだよ」
そう吐き捨てながら。
捻挫しているほうの足を。
「いっ……っ!」
さすがに痛みに負けて、伊原が再びよろめく。
そのとき。
俺の中で、何かが音を立てて切れた。
だけど。
思考は、ひどく冷静だった。
このままじゃ後ろへ倒れる。
頭を打つ。
頭なんて打ったら、一大事だ。
……駄目だ。
そんなの、俺が許さない。
こんなとき、どうすべきか知ってるだろ。
俺。
一回できたことなんだから。
やってみろ。
……分かった。
俺は伊原のもとへ、すっ飛ぶ。
まず、頭まわりをしっかりホールド。
次に、身体を抱き込んで横へひねる。
そのまま、自分が下敷きになればいい。
それら全部をやり終えた頃には、もう大丈夫。
伊原は守れてる。
でも。
俺がどうなるかは。
知らないけどな。




