15話「心配」side高月
ガコンと勢いよくスポドリが排出される。
俺は中腰になってそれを取り出し、ダメ元で自販機の液晶画面を確認した。
ピピピピと甲高い機械音が鳴る。
そして「77677」と表示されたのを見届けて、俺はさっさとスポドリに口をつけることにした。
……当たらないな。
「自販機で運が良ければ、飲み物もう一本」なんて話、もはや都市伝説じゃないのかと疑いたくなるほど当たらない。
真夏のこの時期、飲み物は露命を繋ぐ綱みたいなものだ。
それが無料でもう一本もらえるというのは、運動する俺にとってかなり大きい。
次こそ当たらないもんかな。
そんなことを考えつつ、ふと俺はスマホでライヌのトーク画面を開いた。
【高月:どの辺で待ったらいい?】
【箕面:学校の自販機横で】
【高月:了解ー】
……というやり取りで止まっている。
このズボン、ゆとりがあるからスマホをポケットに入れると、バイブレーションがあんまり肌に伝わらないんだよな。
そのせいで通知や着信に気づけないことがよくあるから、こうしてこまめに確認するしかない。
通知がないことを確かめて、スマホをしまう。
さて。
なんで俺が夏休みに学校にいるのか、という話だ。
それは今日の午後から、箕面と飯を食いに行く約束をしているから。
フードコートで腹ごしらえしたあと、モールをブラブラできたらいい。
そんなプランがあった。
学校で待機している理由は、陸上部である箕面の部活動が終わるのを待っているからだ。
夏休みでも忙しそうだなー、と捻りのない感想が浮かぶ。
しばらくぼうっとしていると、箕面の声がした。
「おーっす! 高月、おはようー」
「おっす。てかもう、こんにちはの時間だぞー」
予定より早いな。
もう終わったのか。
汗の匂いをまとった箕面が、俺のもとへ駆け寄ってくる。
わずかに息を弾ませているあたり、ひと仕事終えたことがうかがえる。
「飲み物かー。俺もなんか買おっと」
そう言って自販機に目をつけた箕面は、スマホを取り出した。
そして、それを自販機にかざす。なるほど、QRコード決済か。
自販機ではなく、スマホのほうを操作する箕面。飲み物は何を選ぶのか。
しばらくして、ピピッと音が鳴った。
ガコン。
出てきたのは、俺と同じスポドリだった。まあ、スポーツマンならそれだよな。
そして、さっきと同じように自販機ルーレットが始まる。
しばらくして表示されたのは……。
「77777」
当たった……。
自販機から、えらく景気のよさそうなファンファーレが鳴り響く。
箕面は、
「よっしゃ! もう一本きた!」とガッツポーズをした。
そして、いったんスポドリを取り出し、もう一度自販機のメニューを見渡す。
羨ましいなあ。
「こういうときは、一番高いの選びたいもんだな!」
「だなー」
箕面は人差し指を顎に当てて、しばらく考え込む。
そして、またスポドリを選んだ。
「結局スポドリかよ」
「だって一番高いし」
あえて違うものを……という発想は、あんまりないらしい。
こいつらしいというか。
俺は壁に背をつけたまま、しゃがみ込む。
隣では箕面がスポドリ片手に「あ゙ぁー」と、風呂に浸かるおっさんみたいな声を出した。
あるいは、ビールをあおった直後か。
「ちと、休憩な」
そう言って箕面は立ったまま上を向き、目を閉じる。
「……」
「……」
しばらくして。
箕面は目を開き、「そういえば」と話を始めた。
「さっき校内で、土室と伊原を見かけたわ。あいつら二人で自習しに来てるっぽかった」
「えっ、マジで」
驚いて、俺はしゃがんだまま箕面のほうへ顔を向ける。お前ら、夏休み中に自習する約束してたのか。
……ということは、連絡先交換とかもう済ませてるんだろうな。
箕面はこちらを見ずに続けた。
「真面目すぎんだろーって。でも、あいつら頭いいもん同士だから、切磋琢磨できそうだよな。はは」
それは言える。
二人とも成績上位組であることは、テスト結果を見ても明らかだ。
だけど、二人は傾向が違う。
ハムは文系寄りで外国語に強いし、伊原は文系と見せかけて理数系にも強い。
得意分野が違うから、補い合える。
でも「読書家」という共通点もあるから、話も合う。
……。
「対して、国語も数学もダメな俺たち! まー、せいぜい本領発揮できるのは保健体育じゃないかなあ。健全な意味で」
「一緒くたにするなよ、俺を……」
あと、「健全な意味で」とかいう補足はいらないと思う。
そこで箕面は何を思ったのか、俺に妙なことを訊いてきた。
「高月ってさー。リアルに誰かと『保健体育』したい、みたいな気持ちはあるのか?」
「うん? 何言ってんだ」
よく分からない。
こっちを見てニヤニヤしながら尋ねる箕面。
すげえ嫌な予感。
「いや、不健全なほうの『保健体育』でさ」
箕面はソワソワしながら説明する。
いや、まずさあ。
「『保健体育』を動詞にするやつ初めて見たわ……」
「で、ホケタイしたい相手とかいるのかなって」
ホケタイ!略すな。
もっと分かりにくいから!
……ってまあ、ここ外だから、直接的に言わず伏せるのは分かる。隠語みたいなものか。
「えーと、ええと」
まあ、そういう欲はある。
けど、特定の誰かって……好きな人って意味か?ううむ、分からんな……。
質問の雰囲気的に、芸能人とかアニメキャラとかはナシなんだろうなあ。
「あっ、二次元キャラとかはナシで」
「分かってるよ。えーと」
何の話だよ、これ!
何を考えるべきなんだ、俺!
眉間に皺が寄るのを感じる。
そこで。
俺のスマホが震えた。ライヌの通知だ。
誰だろう、とスマホを取り出してみる。この妙な空気をさっさと取っ払いたい。
そんな気持ちでサクサク操作する。気を紛らわそう。
とにかく。
別に俺は誰かと保健体育なんて。別に。
【伊原:来週の土曜はいけるよ】
「うぉわっ!」
なぜか驚いて、上体を仰け反らせる俺。
それに箕面もビビって、
「何何!?」
なんて肩をすくめている。
「いきなり大声出すなよ、びびったわ!」
「いや、だって伊原が……」
「伊原?」
あ、つい……。
伊原からの通知なんて、こいつに言う必要ないよな。
……ああそう言えば、前に俺から「いつ遊べそう?」なんて聞いてたっけ。そのレスポンスが今来たのか。すごいタイミングだな。
「いや。なんでも」
とにかく!
ホケタイだの伊原だのは置いておいて!
もうさっさと飯食いに行こうぜ!
「はは。お前ほんと伊原好きだよなー」
仏のように笑う箕面。なんだ、その満ち足りた顔!
「違うって!」
つい足を踏み鳴らして怒鳴ってしまう。
なんだか全身が熱い。人体発火の危険を感じるほどに。
「まあまあ、そういうことにするから! ……あっ、伊原たち出てきたぞ」
「な!?」
マジかよ!自習終わりかよ、このタイミングで!
もっと早く、あるいは遅くに切り上げろよ!空気読めよ!
理不尽な訴えだと分かっていても、こう言いたい。
「俺はいないと言え!」
顔面を両手で覆い、箕面の背後へ潜り込もうとする俺。……その絵面は、あんまり想像しないでほしい。
「馬鹿かよ、見えてるって! おーい、土室ー! 伊原ー!」
ケタケタ笑って、二人に向けて手を振る箕面。
こいつ一生笑ってるじゃん。もう笑い死んでほしい。
「いたいたー。お疲れー、二人とも!」
軽やかで朗らかな声がする。
ハムだ。
その横から、伊原の声もした。
「……不審者がいる」
な!
「えっ! マジ!」
俺は思わず両手を顔から離し、周囲を見渡した。
まず伊原周辺をチェック。いない。
次に、ハムと箕面の周辺をチェック。いない。
……しばらくキョロキョロしてみたが、不審な人影など見当たらない。顔を知っている教員と学生しかいない。
どういうことだ。
「伊原、不審者ってどこに」
伊原のほうを見ると、片手で顔全体を覆っている。
どうした。
そして伊原は、震え声で言った。
「あんたが……いや、ふふ……」
すごく苦しそうに声を絞り出す。大丈夫かな。
見れば、ハムと箕面もなんだか苦しそうだ。
毒ガスでも食らったのか、みんな。……じゃあ、俺だけ効かないのは何でだ。
だけど、そんなとき。
あれ……。
俺は伊原を見て、あることに気づいた。
伊原の足元に、違和感がある。
……右足、ちゃんと地面踏めてないな。わずかに、爪先の向きがおかしい。
「伊原、足どうした」
「うぇっ。あ、っあし? ああ」
ゲホゲホとむせつつ、俺の質問に健気に答えようとする伊原。
ごめんな。
気になってしまって。
……。
ようやく「はー……」と息を吐き、みんなも落ち着きを取り戻してきた。一斉に解毒されるタイプのガスか。
「……ちょっと、捻った」
伊原が俯きがちに、ポツリと短く答える。
「マジかよ。大丈夫か」
俺は伊原の足元へ、片膝をついてしゃがみ込んだ。
その拍子に、伊原が捻ったほうの足をわずかに浮かせる。
大仰に包帯を巻いているわけでもなく、足首に湿布がひとつ貼ってあるだけだ。これじゃ、ぱっと見では怪我人に見えないな。
「慣れないのに、走ったのが悪かったかな」
「走った?」
頭上から聞こえた声に、俺は顔を上げる。
すると伊原は、なぜか顔を背けてしまった。
「運動量を増やしたいって。適度な運動は脳のパフォーマンスを高めるからって、伊原くんが」
代わりに説明するように、ハムが事情を話してくれた。
「なるほど。やっちまったな」
確かに、伊原は勉強だけでなく創作もしている。脳のコンディション不良は、死活問題だよな。それを防ぐための一環として運動するのは、一理ある。
だけど。
捻った足を見て、俺は思う。
……あんまり無茶はしないほうがいいんじゃないか。なんて、おせっかいな気持ちが湧いてきてしまう。
走る習慣がついてない中で、いきなりダッシュなんてしたら、そりゃ怪我もする。
転び方によっては、捻挫じゃ済まないことだってあるし。正直、今回は運がよかったほうだ。
それに、運動習慣つけたいっていうんなら、一回俺に相談でもしてくれても――
そう思ったとき。
「いいねえ、いいじゃん! 準備不足はあるかもだが、実際に走ったのはすげえよ! 何、もしかして運動、目覚めちゃったかー?」
心配する俺をよそに、箕面が呑気な調子で褒めちぎる。
「目覚めたというか、健康のためかな」
人見知りだったはずの伊原が、そう平然と答える。
あれ。
箕面と伊原って、そこまで接点あったっけか。俺は立ち上がって、二人の様子をうかがう。
二人の間に、別段張り詰めた空気なんてない。伊原の表情も、なんだか明るいし。
俺が初めて話しかけたときの警戒心、どこいった。
「なんか、喉渇いてきた」
伊原はそう言って、自販機のほうをチラリと見る。
ああ、なんか飲みたいのか。
それなら俺が――
「おっ、ならちょうどいいや」
箕面が弾んだ声でそう言うと、地面に置いていたスポーツバッグを開けた。
ジジーッとチャックの音を立てて取り出したのは、先ほど当たった未開封のスポドリ。
箕面はそれを片手に持ち、澄んだ表情で伊原へ差し出した。
「これ。当たったやつだから。タダだし飲んでいいぞ」
「え……」
「ちょっとぬるいかもだけど」
「でも、それ」
「いいって」
そう言って箕面は、さらにスポドリを伊原の胸元へ近づける。
伊原は困惑気味に、手を宙で彷徨わせている。
「ほれ」
早く受け取れ、とでも言うようにスポドリを揺らす箕面。
「あ、ありがと」
伊原はぎこちなく、ゆっくりと両手でそれを受け取った。照れくさそうだけど、その顔にはうっすら笑みが浮かんでいる。
本当に嬉しそうだ。
伊原はさっそくスポドリに口をつける。
その様子を、俺はなんとはなしに眺めていた。
……最近、やたらアクティブになってきたな、伊原。
外の世界に、ちょっとずつ目を向けてきているというか。……いや、全然いいことだけど。
外界に触れれば、創作も捗るだろうし。
だけど。
ついこの間まで机に齧りついてたような奴が、そんな急に変わるものなのか……?内向きだったエネルギーを外へ向けるって、相当な力がいるはずだ。
何かきっかけがあったのか。
そうぼうっと考えている俺の横で、ハムが笑顔でこっちを見ている。
なんだよ。俺の顔になんかついてるか。
それを問い詰めようとしたところで、箕面がまたデカい声を出した。
「なあ! 二人とも! もしこのあと用事ないなら、飯行かね?」
「はあ!?」
思わず俺が反応してしまった。
「お前さあ、話聞いてたか。伊原は怪我人で……」
「別にいいけど」
えっ。
俺の説明に被せるように、伊原が承諾してしまった。
「マジか! んじゃ予定変更ー。あんま歩く必要のない、そうだな……カラオケでも行くか! 飯も出るし、あそこがいい」
承諾を得たと見るや否や、箕面は今後のプランについて話し始める。
「いいねえ。カラオケは久しぶりだなあ」
それに迷いなく同調するハム。
待て待て。なんか勝手に予定変更されてしまったぞ。
「俺に合わせていいの」
伊原が箕面に尋ねる。
「せっかく四人集まってるし、親睦を深める意味でもいいと思うぜ。高月と二人でブラブラなんて虚しいからなー」
「おいこら」
そう言って、俺は睨むように箕面の顔を見る。
……「ブラブラしようぜ」って、お前が誘ってきたんだろーが!
相変わらずの飄々とした笑顔に、俺は目元がひくつくのを感じる。
「伊原。怪我人だし、その、無理に合わせなくても……」
そうフォローしてみるも、伊原は鬱陶しそうに目を細めて言い返した。
「怪我人怪我人うるさいな。俺はいい、って言ってるけど?」
彼にしては珍しい、すごく明瞭で力強い言葉だった。
半ギレ……いや、完全にキレてるトーンで。
そこで俺は、
「でも、これ以上足に負担を」
と言いかけて、やめた。たぶん今、何を言っても余計キレられるな。
「高月くん。伊原くんは大丈夫そうだよ。歩行は問題なかった。立ち止まると、ちょっと違和感あるぐらいで」
ハムは「まあまあ」と言いつつ、伊原側に立って補足した。
……まあ、いいか。
伊原がキレるのは通常運転だし。
怪我は、本人が大丈夫って言ってるし。
……いろいろ心配しすぎかもなあ、俺。
「ま。いいよ、カラオケで」
さっさと切り替えろ、俺。
「んじゃ、行きますか!」
箕面がその場を仕切って、校門方面へ歩き出す。その後ろを、ハム、伊原、俺……と続いていく。
うん。伊原の歩きは普通だな。
そして駐輪場を横目に、「あー、ここ来るまでに使った自転車は置いとくかぁ」と、相棒である自転車のことを思い出した。
道中は、万一を考えて伊原の様子が分かるように、その後ろを歩くことを意識してみる。これ、ベストポジションだよな。よし。
伊原はそんな俺に、一瞬チラリと目を向けた。
けれど、すぐに鼻を鳴らして前を向いてしまった。




