13話「本題」side高月
キリキリキリ。
車道側を、自転車を押して進む。
道幅に合わせて歩道と車道を行ったり来たりしながら、他の通行人の邪魔にならないよう歩みを進めていく。
もうここまでくると、シューティングゲームだ。
照りつける日差しのせいで、汗が止まらない。
暑すぎる、なんて文句は心の中でもう百回以上言ってる気がする。
俺は、少し前をスタスタと歩く伊原の背中を見る。
……その姿には、まるで湿度がない。
汗かかないんだなあ、こいつ。
汗っかきな俺にとっては羨ましいような。でも、代謝が悪いとも言えるから微妙か。
やがて赤信号で立ち止まる俺たち。
こうして止まってみると、余計に暑さ――というか、熱さ――を感じる気がする。
とりあえず俺は、信号待ちをする伊原に影ができるよう、立つ場所を選んだ。
日傘になってやろう。
なんて、ちょっとカッコつけた動機にひとりでほくそ笑む。
だが伊原は、その意図に気づいていないのか、まったくこちらを見ない。
やがて信号が青になり、俺たちは再び歩き出した。
ガン無視だ、これ。
やっちまった。
さっきのバーガー店でのことを思い出して、また頭を抱えたくなる。
「俺の嫁」だなんて冗談、言うべきじゃなかった。
普通に「友達」とかでいいのに、奇をてらおうとして判断を間違えた。
俺一人で済むコントなら、まだいい。
だが、伊原の居心地を悪くするような冗談は、どう考えてもNGだろう。
馬鹿かよ。
道化は俺一人でやれよ!
……とまあ、歩きながら一人反省会をしているところだ。
あれから富田も会話の輪に加わろうとしたが、俺と伊原はそそくさと店から撤退した。
というか、伊原が「やってられん」と言わんばかりに無言で席を立ったので、俺がその後についていく形だった。
富田はそんな俺たちを見て、
「えっ、もう行くの」
と首を傾げていた。
頼む。
どうかこの空気感を察しないでくれ。
もう気にせず、堺とのコミュニケーションを続行してくれ。
引っかかるのは、堺の反応だ。
伊原がむせたあたりから、こっちにからかうような視線を送ってきやがる。
あとでライヌで問い詰めてやろう。
しっかし、「俺の嫁」って表現、古いよなあ……。ああ、また思考が最初に戻ってるじゃないか!
伊原が嫁なんて……。
なんか無駄にエプロン姿が似合いそうだとか、鬼嫁になりそうだなとか、面白すぎる設定が浮かんでしまうだろう。
んで、物をしまう場所とかにもこだわりがありそうだから、いちいち「これ取っていい?」とか「これ、ここに置いていい?」とか聞かないといけないんだろうな。
面倒くさいな。
それらが、やけにリアルな映像として脳内で再生される。
……いや、まずこいつ男だろ。
さすがに自分の思考に笑えてくる。
カオスな脳内のまま、俺は歩く。
歩く。
歩く。
……。
「ちょっと、どこまで歩くの」
「え。ああ!」
家の前で立ち止まっていた伊原を、そのまま通り過ぎてしまっていた。
慌てて自転車のブレーキに力を入れる。
そうか。
もう伊原ん家に着いてたのか。どれだけ俺は上の空だったんだ。
そう自分を叱咤するより先に、伊原がため息交じりで、
「そのまま行きたいなら行けば」
なんて投げやりなセリフをぶつけてくる。
すみません。
家、入ります。
少し後ろへ戻る。
そして前回と同じく、玄関脇の傘立て近くに自転車を停めておいた。それを見届けた伊原が、玄関のドアを開ける。先に中へ身を滑り込ませる伊原に、俺も続いた。
俺が完全に中へ入るまでドアを支えてくれる、その地味な優しさがしみるな……。
だが中に入った瞬間、伊原が「あれ」と声を漏らして動きを止めた。
「どうした?」
俺は伊原の肩越しに、家の中へ目を向ける。
そこに立っていたのは、長身痩躯でラフな格好をした男性だった。掃除機を片手に持ったまま、こちらを不思議そうに見ている。
白髪交じりの頭と、顔に刻まれたしわを見るに、四十〜五十代ぐらいだろうか。
ハゲてはいない。
優しそうな、あるいは気弱そうなおじさん、という印象だ。
庇護欲をかき立てられるようなその雰囲気は、どことなく伊原を連想させる。
……誰だろう。
そう伊原に聞いてみようとした、そのとき。
「……ただいま、父さん。いたんだ」
伊原が淡々と、その男に挨拶した。
「おかえり。お友達かい?」
目がなくなるほどにっこりと微笑み、その男――「お父さん」は、掃除機のコードを本体にしまい込んだ。
■
「びっくりした。今日はゴルフでいないと思ってた」
「先方が急用でね。中止になったんだ」
「ふうん」
洗面所で手を洗いつつ、後ろにいる父親へ話しかける伊原。
その間に俺は先にリビングへ通され、椅子に腰掛けていた。深く座りすぎないよう、なんとなく気をつける。
やがて一息ついた頃、伊原父によってお茶が出されたので、
「いただきます」
とだけ言って、静かにすすった。
伊原父は、
「じゃ、ごゆっくり」
とだけ言って、リビングのテレビがよく見える場所にあるソファへ腰掛けた。
だがテレビはつけず、スマホをいじっている。
どうも俺たちの空気を邪魔しないよう、気を遣っている感じがあるな。
過剰にもてなさないよう、あえて距離を取っているというか。
……優しいお父さんなんだろうな。
でも、他人の親だからか妙に緊張する。
面接じゃあるまいし。「ごゆっくり」しなくては。
おーい、伊原は何してんだー。
……なんかボソボソ聞こえるな。
電話かな。
俺が手持ち無沙汰でソワソワしているのが伝わったのか、伊原父は俺のほうへ顔を向けた。
「ケヤキは電話のようだね。……待たせてすまない、ええと」
「高月です。高月コウヤ」
やっと沈黙を破ってくれたことに感謝しつつ、自己紹介する。
「ああ! ケヤキがいつも言ってる、あの」
ぱっと顔を輝かせて笑う伊原父。
「えっ」
ドキリと一拍分、心臓が跳ねた。そして思わず目を丸くする。
……何?
伊原から俺の話、出てるの?
「ケヤキが『教室で、いつも声かけしてくる変な人』なんて言って話してくるんだ」
不審者情報かよ。
あと、その言い方をそのまま俺に伝えるあたり、このパパさん結構天然じゃないか。
「ああ、まあ、話しかけますね。ええ」
ハハハ、と苦笑いしつつ答える。たぶん俺、ちゃんと笑えてない。
「君の話をするとき、ケヤキはとても表情が柔らかくなるんだ。この前なんて『小説を褒める奴、目的は……』と、嬉しそうにしてたよ」
ニュース記事の見出しか!その後に〈続きを読む〉なんてリンクが貼られてそうだよ。
って……。
「嬉しそう、ってマジですか……」
一拍遅れて、俺は聞き捨てならない情報に気づいた。
「うん。やっと友達ができたんだ、って思えたよ」
そんな事実を喜ぶように、また伊原父が微笑む。
そういえば、ハムにも近いこと言われたな。
「高月をよく見ている。饒舌だ」って。
伊原が俺のことを見てくれてるのは薄々感じてたけど、「嬉しそう」ほどのポジティブなキーワードが出たのは初だな。
そうか。伊原の中で、俺は「楽しい・面白い奴カテゴリ」に入り込めたんだな。
少なくとも不審者とは認識されてないようで……ああ、よかった。
やっと自然な笑顔になれたよ、俺。
安心しつつも、今度は別の意味でソワソワしてくる。なんとなく、太ももをさすさすと手のひらで擦ってみる。ついでに足先まで落ち着かない。
そんな俺に伊原父は、
「その、よければ……」
と、少し申し訳なさそうに切り出してきた。
「気難しい息子ですが、どうぞよろしく、ね」
俺はすぐさま伊原父へ全身を向ける。そして背筋を伸ばして答えた。即答だろ、こんなの。
「は、はい。絶対に幸せにしてみせます!」
良き学友として、いい関係を築く!
彼は取っつきづらい、なんて周りに言われようと、伊原が「すごく面白い」人間であることを疑わない!
……そんな誓いを脳内で立てていく。
だが、伊原父はそんな俺に「あ、ありがとう?」とぎこちなく感謝を述べた。俺の声がデカすぎたか。
すると長話が終わったと思しき伊原が、リビングのドアを開けて俺たちの空間に合流してきた。
「父さん。次の土日、カエデ泊まるって」
スマホ片手に、そう伊原父へ報告する。
誰だ、カエデって。
「そうか。なんというか、いつも突然だねえ……」
困ったような、難しそうな、複雑な顔をする伊原父。
どうした。
「でも、ケヤキとしては嬉しいんだよね。彼女に会えるの」
伊原父にそう言われると、伊原は照れくさそうに「まあ」なんて言って視線を泳がせる。
なんだなんだ。そのカエデとやらに会えるのが嬉しいのか。
俺は眉をピクリと上げた。
「ケヤキがいいならいいよ。だけど父さんは、あんまり顔を見せないようにするね」
しんみりと、そう伊原に告げる伊原父。
「なんか、ごめん……」
俯く伊原。
その言葉には、罪悪感が滲んでいる。
なんだなんだ。俺はここにいていいのか、この空間に。
重力が増したかのように、急にリビングが重苦しい雰囲気に包まれた。
「待たせたね、高月。部屋、行こう」
声音をいつものトーンに戻して、ようやく伊原はこちらを見た。
「あ、う、うん」
俺は立ち上がり、とりあえず部屋へ向かう伊原についていくことにする。
後ろから、伊原父が「ごめん高月くん、気にしなくていいから」とフォローを入れてきた。
■
目の前にある色とりどりの菓子に、俺はごくりと喉を鳴らした。
カラフルなマカロンに、ミニドーナツ。
脇にはチョコバー数本とポテトチップスが添えられている。
弁当かってぐらい色彩豊かなひと皿に、俺は釘付けになった。うーん、美味そうだ。
食っていいか、とチラリと伊原の顔を見る。
しかし伊原は、無表情のまま「待って」と手のひらをこちらに向けてきた。
何故止める。
「あっ、まだだめ?」
そのまま伊原は目を閉じる。
「……」
「……」
数秒、沈黙が流れた。
……いつまでこうしてりゃいいんだ。
「……っく、ふふ」
すると伊原は、そのままわなわなと笑い出した。
「いや、なんだよ!」
声を張って聞けば、伊原は変なコメントをよこした。
「犬……っ」
「いぬ?」
「なんでもない。どうぞ食べて」
半笑いのままそう許可する伊原に、俺はなんだか釈然としない気持ちになる。どういうおふざけだよ、これ。
とはいえ、伊原がこういうノリをしてくるぐらい心を開いているのは、まあ分かる。
よかった。
店での「俺の嫁」発言のことは水に流してくれたようだ。
「そういえば、店であんたが言ってた、『俺の嫁』って……」
うおおおおい!
そっちから蒸し返すやつがあるか!
ギクリと、菓子を持つ俺の手が硬直する。
落とさなくてよかった。
「あっ、あれはマジごめん。堺……いや、あいつらとのノリで、つい」
反射で謝る俺。早口になってしまうのが情けない。
「ほんと。笑い死にするかと思った。変な冗談だなって」
「悪い……ん?」
笑い死に?
どういうこと?
つか、なんでこいつさっきから楽しそうなんだ。
「……怒ってないのか?」
恐る恐る尋ねてみる。
「なんで」
平然と、質問を質問で返してきた。
「いや、だって、ええ?」
もしかしてアレ、ツボってむせてただけなのか?
「いや、ここ来るまで、その、何も話さなかったじゃんか」
「あんた見ると、また笑いそうになるから……」
「い、いや、むせたあともなんか、キレ声だったというか」
「むせた直後なんて、ああいうもんじゃない」
ということは、俺だけがまた大騒ぎしてたパターンか!あと「俺の嫁」発言、そんなに面白いかよ!
「男相手に嫁、って……ふは」
また軽く笑う伊原をよそに、俺はあるモヤつきを感じた。
あれ。
なんか思ってたのと違う感触だな。
うまく表現できないが、伊原はどうも「男同士でそんなのありえない」というニュアンスで笑ってるっぽいよな。いや、その反応でいいはずなんだけど。
なんか俺が、納得いかない。
もっとこう、真面目に――
……真面目に?
「どうしたの。早く食べたら」
伊原の声に、俺は慌てて意識を目の前に戻した。
何考えてるんだ、俺は。早く食わねえと!
誤魔化すように、次々とお菓子を頬張る。
美味い。
そんな俺に、伊原が「こぼしたら出禁にする」などと言いつけてきた。絶対にこぼさんぞ。
■
「カエデっていうのは俺の妹」
「カエデ」については正直、聞いていいのか迷ったが、意外にもすんなり答えてくれた。俺は心の底から安心する。
「あー、そうなんだ。別居?」
「うん」
そう頷く姿に、シリアスな空気はない。
一瞬、重い事情なのかな、などと頭をよぎったが杞憂だったようだ。
伊原は学習机の椅子に座り、ポテトチップスを食べながらテレビを見ている。俺がいるというのに、自分の世界に戻るの早いな。
カエデについてはもう、触れないでおくか。
で。
いい加減、本題に移ろう。
俺は正座する。
そして、少し真面目なトーンで伊原に話しかけた。
「なあ、伊原」
「何」
まだ重要そうな話だと思ってないのか、テレビのほうを見たまま返事をする伊原。
こちらを向かせたいもんだ。
「冗談とか茶化しじゃなく、マジな話。俺さ、やっぱ伊原と、その……付き合いたくて」
「は!?」
首もげるぞ、と心配になるくらいの勢いで振り向く伊原に、今度は俺がビビった。
何だよ急に。オーバーリアクションだな。
驚天動地、とでも言いたげな表情で固まる伊原に構わず、俺は続ける。
「い、嫌だって言うんだろうけど、その、俺が諦めきれなくてだな」
…………なんか、俺、重要な単語言い忘れてないか。
まあいいや。
伊原はなぜか急に顔を赤くして、両手をわなわなと震わせる。その拍子にポテチが落下した。
こぼしたぞ。
そして、口をパクパクさせながら、叫ぶように反発してきた。
「い、いきなり、な、何言ってるんだよ、あんた! 俺はお前にそういう気持ちはないぞ!」
いつもとは違う乱暴な口調。そこまでキレることないだろうに。
……やっぱり駄目なのか。創作のお手伝いなんて。
気持ちがしぼんでいくのを感じる。
「マジか……少しくらい、いいアイデア出せると思うんだけどなあ」
そんなつぶやきに、伊原が「へ?」と間の抜けた声を出した。




