12話「当日」side高月
【高月:次の日曜日だけど、一応メモしておくよ。
11時にメクドナルドバーガーの店舗で待ち合わせ。俺はそこまでは自転車で向かうけど、昼食後は自転車を押して、一緒に伊原の家へ行く、で!】
【伊原:はい】
【高月:誰かと外食なんて久しぶりだ!】
【伊原:はい】
【高月:当日また連絡するわ。おやすみ!】
【伊原:おやすみ】
水曜の夜9時前。
一区切りついた伊原とのライヌでのやり取りを終え、俺はいったんスマホの画面を閉じる。
そしてベッドに横たわり、満ち足りた気分を味わう。
なぜって、あのひねくれ伊原とメッセージ交換ができるようになったからだ。そりゃ感慨深い気持ちにもなるだろ。
それに伊原は、あんまりスマホを触らないタイプだ。
小説の執筆もアナログでやっているし、デジタルデバイスがあんまり好きじゃないんだろうな、と予想してみる。
そんな伊原がここまで心を許してくれるなんて、やっぱり面白くて奥深い人間だと思う。
そこで俺は、先ほどジムで使っていたバンテージとグローブが、まだ鞄の中にあることに気づく。
しまったままだと臭うから、グローブは陰干し、バンテージは洗濯に回さないといけない。
すっかり忘れてた。
俺は息を吐きながらノロノロと起き上がり、動き出す。
月・水・金のジム通いはそこそこ長いのに、このルーティンを忘れるとは。
そこで、間延びした声が飛んできた。
「邪魔するよ〜」
風呂上がりと思しき厚顔無恥女が、ノックもなしにドアを開け、ズカズカと部屋に侵入してくる。
歩く加湿器よろしく、むわっと生ぬるい空気が入り込んできた。
「邪魔するなら帰れよ。つか、入んなって……」
舌打ちをしながら、うっとうしそうに言ってみるも、彼女は涼しい顔で聞いておらず、俺に向かって仁王立ちした。
こいつは俺の姉、「キョウカ」だ。
長身で、切れ長の目を持つ女。
黙っていれば、まあ、美人なんだろう。
歳は4つ上だ。
仁王立ちされるとまあまあ迫力のあるその姿に、俺は「な、なんだよ」とたじろいだ。
すると、キョウカが両手をパシッと目の前で合わせてきた。
嫌な予感。
「あのさ! 次の日曜日。買い物付き合って」
「は? なんで」
眉をひそめ、思わず聞き返した。
買い物なんて友達を誘えばいいのに、なぜ俺なんだ。
「友達を荷物持ちにできないでしょ。車とかに積めたらいいんだけど、免許なんてないしー。あんただけが頼みの綱」
何を買うつもりだよ。
またオタクグッズとかじゃねーだろうな。
この前は、たしか抱き枕とか持って帰らされたんだよな、俺……。
キョウカは「ねっ!」なんて言って首を傾げて微笑むが、あいにく心が揺れ動くこともない。
「荷物持ちとか嫌なんだけど。あと、日曜はマジで無理だから」
そう断ってみるも、キョウカは食い下がる。
「なんでー。日曜はいつも空いてるコウヤなのに」
ブーブー言うキョウカに苛ついてきた俺は、適当な返事を繰り返す。
「はいはい、無理無理」
だからさっさと出ていけ、というように俺は片手をひらひらさせた。
そして、さっさとバンテージを取り出そうと、フックにかかった鞄をゴソゴソ漁る。
姉は無視して、自分のタスクに戻るんだ。
そこでキョウカは、とんでもない発言をした。
「あ! 彼女できたでしょ」
「なっっ!」
ギクリと、衝撃のあまり手が止まる。
同時に、体の奥がカッと熱くなった気がした。
中腰だったせいで、後ろに倒れそうになったわ!
だが、この反応がかえってキョウカに確信をもたらしたようで……。
「やっぱり! デートなんだ! なーら仕方ないなー」
キラキラと目を輝かせてそう宣う彼女に、つい怒鳴ってしまう。
「違ぇわ! 友達だわ馬鹿!」
俺の精一杯の訴えにも怯まず、むしろ「うそお」と言ってニヤついてくる姉。顔を少しそむけて、横目で見てくる。
殴りたい。
「まだ友達ねえ」
「『まだ』とかじゃねえから」
「いつ恋人になるの」
「ならないから」
勘違いも甚だしい姉に、いっそ呆れてくる。
しかし、「彼女とのデート」という考えが浮かんだキョウカは、俺への頼み事――という名の命令――を諦めつつあるようだ。
これはいい傾向なのか。
つくづく恋愛脳な女だ。
「ま! ならいいや! じゃーねー」
そう言って、キョウカはくるっと身を翻し、入口のほうへ向かう。
帰れ帰れ。
俺はその背中へ、しっしと追い払うような仕草をしてやった。
そして彼女がドアを閉めようとしたそのとき、隙間からほんの少し顔を出して、妙なことを言い放った。
「焦って手ぇ出さないようにー」
それを聞いた俺は、また頭が熱くなった。
近くにあった枕を思いっきりドアのほうへ投げつけるも、すでにドアは閉まってしまう。
「しねえよ!!」
と叫べば、ドアの向こうから笑い声がした。
クソ姉……。
■
待ちに待った日曜日。
事前にチェックしていた天気予報が嘘ではなかったことを、この日知る。……快晴だ。
俺はなぜか、いつもより1時間早い5時に目が覚めてしまった。
そこからすることもなかったので、6時の朝飯までジョギングすることにして、時間を潰す。
澄んだ空気と、目に優しい朝焼けが俺を包み、思わず目を細める。
やっぱり朝は好きだ。
特に早朝は人も少なく、自分だけの時間という意識が強まるから。
……だけど、この日の朝はいつもと何かが違うと感じる。
走りながら、改めて周囲を見渡してみる。
やっぱり景色に変化はない。
新しい建造物ができたわけでもない。
虹がかかってるとか、珍しい現象があったわけでもない。
だけど違う。
何かが。
走るのをいったんやめて、今度はゆっくり歩いてみる。
すると、通りすがりの犬がこちらを見て、なぜか嬉しそうに尻尾を振っていた。
■
さて。
降りるか。
乗っていた自転車を降りて、俺はバーガー店「メクドナルド」の駐輪場までやってきた。
キリキリとタイヤを鳴らしながら、俺は辺りを見回す。
駐輪スペースは……よし、あるな。
少し混雑している様子だったが、幸いにも自転車を停める場所には困らなかった。
俺はスマホをポケットから取り出す。
10時55分。
いい時間だ。
そして念のため、伊原とのトーク画面を開く。
【伊原:先に席確保する】
【高月:了解!】
【伊原:席ついた】
【高月:ナイス!】
というやり取りで終わっているところだ。
さらにメッセージを追加する。
【高月:今着いた】
……これでよし。
伊原は席を確保してくれたし、つつがなく物事は進行している。
で、後から来た俺の役割は、カウンターで俺と伊原、2人分のメニューを注文すること。
「並ぶの疲れるから、あんたが注文して」
なんて言って、俺にオーダーを丸投げする伊原。
思い出して苦笑したが、まあ頼られて悪い気はしないな、と思い承諾した。
……おっと。
伊原を待たせてる。
そう思った俺は、さっさと店へ足を踏み入れた。
予想通り、店内は日曜の昼時ということもあって、行列ができている。
だが俺は、持っていたスマホを再び取り出して、画面の「受取に進む」ボタンをタップする。
そして涼しい顔で、その脇に待機する。
そう。
並ぶ必要なんてない。
公式アプリでモバイルオーダーしているからだ。
あとは番号を呼ばれるのを待つだけ。これが文明の利器ってやつだな。
待つ間、俺は伊原の姿を探してみる。
伊原は……いた。
奥のほうの端っこ。
しっかり窓際を陣取っている伊原の姿があった。
そこは2人用テーブルで、向かいの席は空席のまま。いい席取ったな。
伊原はというと、真剣なまなざしで本を読んでいる。
こんなガヤガヤした空間でも読めるなんて、集中力すごいなー、と俺は感嘆する。
まあ、学校の教室で小説を書けるくらいだから、きっと自分の世界に入るのが上手いんだろうな。
これじゃ、俺には気づかなさそうだ。
そんな感想を抱いているうちに、カウンターから自分の番号を呼ぶ声がした。
■
「おはよう、伊原! 待たせたな」
俺はトレーを持ったまま、少し大きめの声で伊原に声をかける。
すると顔を上げて、おずおずと挨拶を返してくれた。
「こんにちは……じゃないの」
あっ。
もう「おはよう」って時間じゃなかったな。
いやでも、「おはよう」には「おはよう」と返すもんじゃないのか、ここは。……というツッコミがよぎる。
先にトレーを伊原の前に置いて、向かいに俺も「よっこらせ」と座る。
それの何がツボったのか、「よっこらせ……って」と、伊原がクスリと笑った。おかしいかな、これ。
それについて聞こうとする前に、伊原が口を開いた。
「並ばなかったの」
そう言いながら、不思議そうに伊原がカウンターの行列へ目を向ける。
ライヌの到着報告からここに来るまで、あんまり時間が経っていないことに疑問を抱いているようだ。
「ああ。モバイルオーダーだから。アプリでさ……」
そのシステムについて俺が説明すると、「そんなのあるんだ」と素直に相槌を打ってくれていた。
その素直さに、俺はますます調子に乗ってしまい、詳細まで語った。
しばらく話していると、伊原は半目で、「まあ、早く食べれば」と促してきた。
そうだ。
飯だ。
俺たちはそれぞれバーガーを手に取る。
伊原はフィッシュバーガーを。
俺はチーズバーガーを。
形だけでも……と、俺が小さな声で、
「いただきまーす」と言えば、
「どうぞ」と返す伊原。
その様子がなんだかおかしい。
微笑ましさに、思わず口角が上がるのを感じた。
……美味いな。
ここに来ればいつも頼むメニューなのに、今回はやたら美味く感じる。
語彙力がないのが悔やまれるが、とにかく美味い。
調理の質でも変わったんじゃないか、と改めて手元のバーガーを見るも、変化は見られなかった。
何が違うんだろ。
咀嚼しながら、向かいの伊原を見てみる。
一口一口が小さいのか、俺より圧倒的に食べるペースが遅い。
……いや、俺が早食いなのか。
やがて俺の視線に気づいた伊原が、なぜか汚いものを見るような目で、俺の胸元へ視線をやる。
そして食べたものを飲み込んでから言った。
「こぼしすぎ」
ジト目でそう指摘する伊原に、俺は羞恥で顔が熱くなった。
ああ、テーブルの食べカスのことか……。
「あ、後で拭くって」
焦ってそう言うも、なんとなく情けなさを覚える。さすがにちょっと行儀悪いか。
くそー。
だって飯が美味いんだから、ガツガツ食べちまうだろうよ!こぼすのは物理的に仕方ないじゃんかよ!
するとそこで、背後から俺を呼ぶ声がした。
この声は……。
「あれっ、コウヤじゃね」
「あっ、マジじゃん。おーっすコウヤ!」
ガヤの中でもよく通る男の声が二つ、俺の名前を呼ぶ。
なんだなんだ。
誰だ誰だ。
驚いて体をねじって振り返れば、見覚えのある……ような気がする男子2人が、笑顔で片手を振っている。
ぱっと見、同年代だ。どちらも体格がよく、日焼けしているその姿は完全なスポーツマン。
そして2人とも、やたらにデカいリュックを肩にかけており、明らかに食事だけでここに来ているわけじゃないと分かる。
誰だっけ、あいつら。
思い出そうと、じいっとそいつらを見ている俺に、片方の短髪男が、
「忘れてんじゃねえよ!」
と笑ってツッコんだ。
「あー、堺と富田か!」
俺はポンと手を打って声を上げた。
短髪男が堺で、長めの黒髪を真ん中で分けているのが富田だな!
思い出してきたぞ。
確か、中学のときに出会った少年サッカー団のチームメイト……!
「お久ー! 元気そうだなあ!」
こっちは頗る元気です!! というハイなテンションで、堺は俺のそばに来て肩をポンポンと叩く。
なんかこの感じ、懐かしいな。そんなに俺に会えて嬉しいか。
「お前こそ! 大きくなったなあ」
俺が笑ってそう言えば、堺が、
「親戚のお婆ちゃんか」
とキレのいいコメントを返してくれる。狙ってた通りの返しをありがとう。
「隣の席ゲット! ここ座ろーっと」
ぱっと顔を輝かせて、素早く席を確保する堺。
……たぶん、隣の夫婦が気を遣って、さっさと引き上げたんじゃないかな。鈍感なのか、遠慮がないのか。
……なんていう思いを込めて、俺は堺を見つめてみる。
「富田は今並んでるし、俺はちょいと休憩〜」
堺は「はああ」と大仰に息を吐いて、背もたれに上体を預けて反らせる。……気づいてねえな、これ。
そして、もたれたまま顔だけ俺に向けて、変なことを言い出した。
「しっかし、こんな所で会えるとはな。ずっと近所のはずなのに全然エンカウントしねえから、俺たちの間ではお前をラッ◯ーなんて呼んでるぜ」
◯ッキーって……低出現だからか。
◯ケモンかよ。
「倒すとすげー量の経験値が入るらしいな」
「経験値じゃなくて前科が付くんだわ、それ」
引きつった笑顔でそう返せば、「だよなあ」なんてデカい声で笑う。
相変わらずゲラだな、こいつ。
そんな軽口を言い合ううちに、いつものノリを思い出してきた俺。
だけど、なんでだろうか。
食ってるチーズバーガーの味が落ちた気がする。
まずいわけじゃない。味が元通りになった、というか。
「えーと、そっちはお友達さん?」
堺は、再会のテンションが落ち着いてきたようで、ようやく目の前の伊原に言及してきた。
伊原は、こちらのことなど気にせず、俯いて黙々と食べ続けている。隣にいる堺の存在にもガン無視だ。
その表情には、無愛想――というか、いつもの顔――が戻っている。
ああ、こいつ、こういう空気嫌なんだっけ。しまった。
俺は先ほどの自分のノリを後悔した。伊原を蚊帳の外にしているつもりはなかったけど、懐かしさからつい、こいつらとの世界に浸ってしまった。
うまいこと堺とのノリを維持しつつもこいつの機嫌を直したい。その一心で、俺はおちゃらけてこう紹介することにした。
「俺の嫁さん。ははは! なんちてー」
うん。
なかなかいいギャグをぶちかませたんじゃないか。
……と思ったのも束の間。
堺が「えっ」と声を上げる。
その反応に、俺は背中が凍りついた。
……。
あれ?
何言ってんの、俺?
こういうノリって、伊原からしたらすごく嫌じゃね?
いや、嫌とか、そういう問題かな、これ。
自分で自分の言葉がよく分からない。
その瞬間、伊原が「げほん」と言ってむせてしまった。
うん。
そりゃ伊原もその反応になるわ。
「うおっ、だ、大丈夫か伊原っ」
俺はガタンと音を立てて立ち上がり、伊原の横に回り込む。
そして背中をトントンと叩いてフォローする。
「水飲め、ほら」
そばにあるドリンクカップを、伊原の口元へ差し出す。
伊原は首を振り、「自分でできる」と言わんばかりに俺からカップを奪い取って飲んだ。
やがて、ふうっと息を吐いてカップを置いた。窮地は脱したようだ。
「変なこと言ってごめんな」
そばでそう謝るが、伊原はカップを置いた手をそのままに、フリーズしてしまった。
滅茶苦茶怒ってないか、これ。
「あのー……」
「うるさい」
地を這うような低い声に、俺は肩をビクつかせた。
やばい。
やっぱり怒ってる!
その様子に、俺は青ざめた。
とにかく何か言わなければ、と口を開く。
「いば――」
「いいから。早く食べてくれる」
声のトーンは戻ったものの、ピシャリと言い放つ伊原。
それに従うように、俺はすぐ席についてバーガーを貪った。
よし。
一切無駄のない動きだ。
だが、すぐそこで、「はっや……」なんて半笑いで言う声があった。
何がだよ、と思って堺の様子をうかがえば、そいつは口を両手で押さえてブルブル震えていた。
俺と伊原を交互に見ては、笑いを堪えている感じだ。
「何だよ。こっち見んなよ」
食べながら睨みつける。
「い、いや。っふ、コウヤ、お前……っ」
笑いのボルテージが上がり、過呼吸気味になる堺に、俺は不審感を募らせる。
「何?」
片眉を上げてそう尋ねれば、堺はいったん落ち着こうと、わざとらしく咳払いをした。
「ごほん。いや、いい。分かった、分かったから。なるほどねえ」
言い終えたあと、また笑いそうになっている堺に苛つく。
だから何がなるほどだよ。
きちんと説明しろよ。
そう追及しようとしたタイミングで、
「悪いー、待たせたあ」
などと呑気な声が聞こえた。トレーを持った富田が、行列から解放されたらしい。
おい富田。
堺の様子がおかしいから、病院へ連れて行ってやってくれ。




