第25話 仕組まれた罠
新設された地方支店の街は、ちょうど祭りの準備で賑わっていた。
色とりどりの旗が並び、露店の呼び込みが響く。その明るさの裏で――暗い影がじわじわと広がっていた。
ある朝、支店に駆け込んできた商人が震える声で叫ぶ。
「こんな契約、聞いてない! こっちは大損だ!」
差し出された紙を見て、リアンナは息を呑む。そこにはマナ・コモンズの印章が押され、明らかに不利な条件が並んでいた。
だが、それは――見覚えのない偽造書類だった。
「……誰かが仕組んだのね」
リアンナは冷たい声で呟いた。
さらに追い打ちのように、中傷ビラが市中にばらまかれる。
『庶民の金を吸い上げ、侯爵家が肥え太る仕組み』
『投資すれば借金漬け』
たちまち契約解除が相次ぎ、支店の商人たちは右往左往し始めた。
その混乱を治めようと声を枯らす支店長が、突如として衛兵に拘束される。
「不正取引の証拠が上がった」と。
「……証拠? そんなもの、捏造に決まっている!」
リアンナの叫びもむなしく、支店長は連れ去られていった。
廊下の隅で、その光景を見守る一人の修道女風の影。
フードの奥で、聖女アリスが静かに笑んでいた。
(やっぱり……あなたは邪魔なの、リアンナ)
⸻
夜。支店の応接室に戻ったリアンナの前に、ひそかに使者が現れた。
漆黒の封蝋を押した書状と、小さな金貨の袋を差し出す。
「アルヴェイン第一王子セドリック殿下より。『困ったときは使え』とのことです」
紹介状。
そして袋の中には、ずしりと重い金貨。
リアンナはしばし黙り込み、迷う。
(受け取れば、隣国の庇護を受けることになる。でも……それは、この国で戦う覚悟を曲げることでは?)
答えを出せずに、彼女はひとまず受け取り、翌朝ジュリアンに報告した。
報告を聞いたジュリアンは、長い沈黙ののちに口を開いた。
「……お前は時々、遠くを見すぎる」
低く静かな声だった。
リアンナは瞬きをする。
「遠く?」
「そうだ。未来のことも、国境の向こうのことも――全部見据えている。だがな……」
ジュリアンは書類から視線を外し、彼女をまっすぐに見つめた。
「俺は“今”のリアンナを守りたい。目の前にあるものを、ひとつずつ確実に積み上げろ」
その真剣な声音に、胸が熱くなる。
でも――今、その熱を言葉に変える勇気は持てなかった。
⸻
その日の深夜。屋敷の廊下で、リアンナは背中に鋭い視線を感じた。
振り返ると、影の中にレオンハルトが立っていた。
いつもの鎧姿、剣を腰に下げたまま。
「……眠れないのか?」
「少し、考えごとを」
曖昧に答えると、彼は近づき、低い声で言った。
「お前が誰の隣に立とうと、俺は守る」
短く、それだけ。
けれど、その言葉は胸に深く響いた。
リアンナは少し迷ったあと、ぽつりと口にする。
「……ねえ、今夜は、守るとか戦うとかじゃなくて。ただ、そばにいてほしいの。喋らなくてもいいから」
レオンハルトの目が一瞬大きく見開かれる。
けれど、すぐに黙って頷き、彼はリアンナの隣に腰を下ろした。
二人は並んで座り、言葉もなく、ただ夜の静けさを共有する。
窓の外、遠くに祭りの残り火が瞬き、虫の声が響く。
ふと、リアンナが思い出したように口を開いた。
「ねえ、覚えてる? 小さい頃、庭で一緒に昼寝したこと。……あのとき、よく手を繋いでたよね」
レオンハルトの瞳がわずかに揺れる。
「……覚えてる」
リアンナはためらいながらも差し出した。
「今も、あのときみたいに……手を繋いでも、いい?」
沈黙の後、大きな手がそっと重ねられる。
ぎゅっと握るでもなく、ただ、確かに触れ合う温もり。
二人はしばらくそのまま手を繋ぎ、静かに夜を過ごした。
幼い日の記憶が、今と重なっていく。
(……やっぱり、落ち着くな)
胸の奥がじんわりと熱くなり、リアンナは小さく微笑んだ。




