第24話 王宮での審議
王宮の大理石の廊下を歩く靴音が、やけに響いて聞こえる。
本日審議されるのは「投資規制法案」。
名目は「庶民の財産を守るため」だが、実際は権力者たちが市場の主導権を握り続けるためのものだ。
議場に入ると、すでに多くの貴族や官僚が席に着いていた。壇上には王太子アレクシス。
その姿を見た瞬間、胸の奥がざらりとする。
――かつて、私が全てを捧げて愛した人。だが今は、私の進む道を阻もうとする者。
議長の声とともに、討論が始まった。
「庶民が投資など、愚かの極み。危険を理解する知識があると思うのか?」
「そうだ。いずれ破綻し、王国全体が混乱する。芽のうちに摘むべきだ」
次々に浴びせられる非難。
私は静かに立ち上がり、壇上へと歩み出た。
「……ならば、事実を見てください」
私は配布した資料を広げ、数値を読み上げた。
「初年度、平民投資家の三割が収入を二倍以上に増やしました。
十家族に一人は、新たに子どもを学舎へ通わせられるようになり、ある母親は『息子が字を読めるようになった』と涙を流しました。
また、小額投資を続けた農夫は、五年分の蓄えをわずか半年で作り出したのです」
会場がざわつく。だが私は言葉を重ねる。
「危険があるのは事実です。しかし――危険を避けるために、機会まで奪うのは誤りです。
働いて得た金をどう使うか。それを選ぶ自由こそ、民に与えるべきではありませんか?」
一部の貴族たちが顔を見合わせ、頷き合う。
討論の流れが変わり始めた。
だが、そのとき王太子アレクシスが立ち上がり、冷ややかな声を放った。
「だがリアンナ。お前の母メリッサは隣国アルヴェインの元王女だろう。
その血を引くお前が、隣国と通じて国を売るつもりではないのか? そして――国民が豊かになればなるほど、ヴァルグレイブ侯爵家の影響力も他の王族貴族と同じように、相対的に弱まっていく。それでもいいのか?」
場内が一気にざわめき、鋭い視線が私に集中する。
私は深く息を吸い、まっすぐにアレクシスを見据えた。
「……国のために国民がいるのではありません。国民のために国があるのです」
静かながら、確固たる声。
その一言で、議場の空気が変わった。
「確かに……」「そうだよな!」
数名の貴族が立ち上がり、私の発言に賛同を示す。
アレクシスの眉間に、怒りと焦りの皺が刻まれた。
討論は、明らかに私の優勢に傾いていた。
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審議が終わったあと、侍従に呼ばれて別室へと案内される。
そこにいたのは、椅子に深く腰を掛けたアレクシスだった。
「……見事だったな、リアンナ」
皮肉交じりの声。
だがその瞳には、熱に浮かされたような光が宿っていた。
「だがな、君こそが俺の隣に立つに相応しい女だ」
次の瞬間、彼の手が私の腕を掴み、強引に引き寄せられる。
驚きの声をあげる間もなく、唇が重なった。
――口づけ。
かつて、心の底から願ったはずの瞬間。
胸が跳ね上がり、頭が真っ白になる。
(あの時の私なら、きっと嬉しかったはず……)
でも今は違う。
彼に触れられることが、ただただ恐ろしく、息苦しかった。
「アレクシス様……!」
必死に体を押し返す。
彼は笑みを浮かべ、吐息まじりに囁いた。
「やはりいい。強気で、美しくなって、俺に歯向かう。
そのすべてが、俺をゾクゾクさせる。俺は君を、手放す気はない」
「……あなたなんか、大嫌い!」
私の声が、部屋に響いた。
一瞬の沈黙ののち、王太子アレクシスは肩をすくめ、口の端を歪める。
「早く俺の元へ帰ってこい。俺はお前を愛してる。
お前も心の底では俺を求めているはずだ。
俺とキスをして、お前の体は熱くなってないか?」
そう吐き捨て、一輪の薔薇を手渡した後、彼は部屋を出て行った。
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残された私は、震える手で唇を押さえる。
心臓の鼓動が収まらず、足がすくみそうになる。
必死に顔を上げた。
(……怖かった。でも、負けない)
唇に残る熱を拭い去り、私は深く息を吸い込んだ。
⸻
――その光景を、扉の隙間から見つめていた影があった。
薄暗い廊下に潜んでいた聖女アリス。
白い頬は強張り、震える唇を噛みしめている。
(どうして……どうしてアレクシス様が、あの女に……!)
彼女の拳がぎゅっと握られる。
爪が食い込み、細い指先から血がにじんだ。
痛みさえも感じない。胸の奥に広がるのはただ、煮えたぎるような悔しさと焦燥。
(私は聖女。神に選ばれた存在。愛されるべきは私……!
なのに、どうして……リアンナばかり……!)
嫉妬と焦りに揺れる瞳に、涙は浮かばない。
代わりに、冷たい光が宿った。
(いいえ、負けない。絶対に。私は――聖女アリスなのだから)
血の跡をローブで拭いながら、アリスは踵を返した。
まるで戦場へと歩み出す兵士のように、硬く冷たい足取りで――。
⸻
重苦しい空気を背負ったまま、私は王宮を後にした。
冷たい夜風が頬を撫でる。
鼓動はまだ速く、胸の奥で渦を巻いている。
(王太子にキスされてしまうなんて……悔しくて、情けない)
俯いたまま馬車へ戻ると、入口に影が立っていた。
――レオンハルト。
腕を組み、鋭い視線でこちらを見ている。
近づく私に気づくと、低い声で問いかけた。
「……帰りが遅い」
その声に胸がちくりと痛む。
私は慌てて顔を逸らした。まだ頬が熱いのを悟られたくない。
「少し……話し込んでしまって」
取り繕うように言ったその瞬間――
レオンハルトの視線が私の頬に落ちる。
「顔が赤いな。……熱でもあるのか?」
「っ……な、ないわ!」
思わず後ずさりしそうになる。
違う、これは王太子のせい。なのに、どうして今、レオンハルトに見抜かれるのがこんなにも恥ずかしいのだろう。
慌てて馬車に乗り込むと、そこにはジュリアンが先に座っていた。
彼の視線が、私の腕に持っていた花へと移る。
薔薇の花。真紅の一輪。
王太子アレクシスから手渡されたもの。
ジュリアンは一言も発さない。ただ無言で、その花を見つめていた。
いつもの冷静な瞳が、今だけは何を考えているのか読み取れない。
重たい沈黙の中、救いの声を上げたのはクラリスだった。
侍女の彼女が、にやにやしながら私の隣に腰を下ろす。
「……モテますねぇ、リアンナ様」
「ち、違うのよ!」
思わず声を荒げる私に、クラリスはおかしそうに笑った。
「大丈夫です。私は味方ですから。ただ……お嬢様が本当に選ぶとき、どんな顔をされるのか、楽しみですけどね」
「クラリス……!」
頬がますます熱くなる。
アレクシスの口づけの余韻、レオンハルトの鋭い視線、ジュリアンの沈黙――全部が心の中で絡み合ってほどけない。
馬車の車輪が動き出す。
窓の外の夜の街並みを見つめながら、私は強く拳を握った。
(……揺らいでいる場合じゃない。今は、人々の未来を守ることに集中しなきゃ)
けれど――胸の奥のざわめきだけは、簡単には消えてくれなかった。




