第21.5話 聖女の揺らぎ
アリスが王家の資金援助を受けて立ち上げた慈善事業――無料の学校や食堂。
開設当初は王都の話題を独占し、「さすが聖女様!」と賞賛の声が飛び交っていた。
子どもたちは温かい食事を受け取り、識字教育を無料で受けられる。人々は感謝と敬愛を込めて、アリスに微笑みを向けた。
けれど、半年が経つ頃には、その笑顔に陰りが見え始めていた。
食堂は寄付金が減り、出されるパンの量は半分に。スープは薄く、肉もほとんど見当たらない。
学校も同じ。教師たちは給金が滞り、生活のために別の仕事を探し始める。教室には臨時の代用教員が入り、授業の質は目に見えて落ちていった。
先日、マナ・コモンズの説明会に来た若い母親が、ぽつりと漏らした。
「最初は助かったけど……やっぱり、自分で稼げたほうが安定するわね」
その声には、ほんの少しの後ろめたさと、でも確かな実感が混ざっていた。
(やっぱり、寄付だけでは限界がある)
そう思う反面、16歳でこの世界に落ちてきたアリスの立場を考えると、全否定はできない自分もいた。
***
その日、私は市場の価格調査に出ていた。
干した香草の強い匂い、焼きたてのパンの香り、鍋で煮る肉と野菜の湯気。
値札の数字を確認しながら、売れ行きや客の表情を一つひとつ観察する。
数字は正直だ。物の値段は、街の景気や人々の余裕を如実に映し出す。
すぐ横を歩くレオンハルトが、無言で周囲を警戒している。
鋭い眼差しが人混みを走り、「今日は妙に視線が多いな」と低くつぶやいた。
その一言に、私も背筋を伸ばす。
そんなとき、裏路地から白い影が現れた。
アリスだ。
聖女としての豪奢な衣装ではなく、質素なマントを羽織り、フードを深く被っている。護衛の姿はない。
私たちは数歩の距離で立ち止まり、視線を交わした。
レオンハルトは私の前に一歩出て、さりげなく庇う位置を取る。
先に口を開いたのは、アリスだった。
「……あなた、もしかして前世、日本人?」
唐突すぎる問い。
レオンハルトの手が剣の柄にかかる。
私は口元に笑みを浮かべる。
「何の話かしら?」
声色も表情も変えずに、さらりとかわす。
けれど、アリスの視線は私を射抜いたまま離れない。
その黒い瞳の奥に、かすかな焦りが宿っている。
「私が……負けるはずないのに」
吐き出すような、小さな声。
それが自分に向けた言葉なのか、私への宣戦布告なのかは分からない。
レオンハルトの声が低く響いた。
「お嬢様、長居は無用です」
彼の視線は、アリスから一瞬たりとも離れていなかった。
アリスは私に背を向け、人混みの中に消えていった。
翻った白い布地が夕陽を受けて一瞬だけ光る。
私はその背中を、しばらく黙って見送った。
(勝ち負けじゃない――でも、彼女はそういう土俵で戦っている)
16歳でこの世界に来て、泣き落としで人の心を掴む技術を身につけた少女。
その背景を想像すれば、哀れみも湧く。だが、市場は哀れみで動かせない。




