第19話 地方支店開設と混乱
新緑の風が心地よい朝。
地方都市ガルディアに、マナ・コモンズの新支店が看板を掲げた。
開店前から、通りには人の列。
パン屋の夫婦、鍛冶屋の青年、洗濯工房で働く姉妹――手には小さな袋や財布。どの顔にも「ここから変えたい」という光が宿っている。
「お嬢様、受付台、準備完了です」
新米侍女クラリスが、胸にバッジを付けて跳ねるように走ってくる。
茶色の三つ編みが左右に揺れた。
「案内は私と地元の商人さんで二列、混雑時は三列に増やせます!」
「頼もしいわ、クラリス。焦らず、でも丁寧にね」
午前中は驚くほど滑らかだった。
投資信託は最少一銀から。魔力株式は「魔素指数」に応じて小口で。
私は、ひとつひとつ噛み砕いて説明した。
「パン屋のご主人、まずは“金貨バスケット”がおすすめ。穀物相場に左右されにくいから、パンの仕入れが安定します」
「鍛冶屋の君は“鉱山ロイヤリティ”を少し。配当で新しい炉の修理費に充てられるわ」
昼には十二件の契約がまとまり、午後の部も順調に見えた――
その、三日後までは。
◇
「お嬢様! ……これ、見てください」
クラリスが息を切らして駆け込み、机に紙束を叩きつける。
真っ赤な文字で、でかでかと《マナ・コモンズは詐欺》《庶民の金を吸う吸血鬼》――。
「字面が強すぎるわね……配布元は?」
「“市民の味方の会”と名乗る集団です。正体不明。しかも、偽の契約書が出回ってます。印章は雑だけど、見慣れない人には本物に見える……」
差し出された偽契約書に目を通す。
うちの書式に似せているが、細部が違う。
署名欄の“魔導刻印”が稚拙だ。魔素の流れが逆。
素人には分からないが、私には分かる。
「“事務手数料”の名目で前金を多額に取り、さらに“解約罰金”が異常に高い……最初から逃げる気ね」
「はい。これにサインした人が、怒って窓口に押し寄せています」
窓の外には、不安と怒りの渦ができはじめていた。
昨日まで笑っていた人たちの眉間に、皺が寄る。
「おい、本物かどうか、今ここで判別してくれ!」
「うちは騙されたのか? うちの銀貨は戻るのか?」
私は深呼吸を一度だけ。
そして、受付台の前に立つ。
「順番に見ます。まずは“魔導刻印”の確認を。私たちの本物には、右下に青い小花の印が浮きます。魔力を少し流してみてください。偽物は反応しません」
ひとり、またひとりと契約書を差し出す人たち。
私は1通ずつ、魔素を流して確認した。
青い小花が浮かぶものは本物。沈黙する紙は偽物。
「……やっぱり偽物だ」
パン屋の夫が肩を落とし、隣の妻が唇を噛む。
「ごめんなさい、私が慌てて……」
「顔を上げて。悪いのは偽物を撒いた人たちよ。こちらで被害届の書式を用意します。警邏隊に提出を。うちでも法務と連携して動きます」
私はクラリスに目配せした。
「被害相談の列を別に。案内用の青い札を出して。地元の商人ギルドにも連絡、信用の太い顔を貸してもらって」
「了解です!」
クラリスは体を翻し、走る。
いつもは冗談を挟む彼女が、この日は一言も無駄にしなかった。
◇
夕刻。
ひと段落した頃、レオンハルトが支店の裏口から戻ってきた。
肩には風と土の匂い。瞳は鋭い。
「裏の倉庫、三つ。偽契約書の束と、簡易印章の器具が残っていた。焼き払った後だが、魔素の痕跡で分かる。……王宮に出入りする役人の靴跡と一致した」
「やっぱり……」
「証拠は薄い。だが、動きが速すぎる。手際が良すぎる。個人の悪戯とは思えん」
レオンハルトは短く息を吐き、私を見る。
「護衛を二重にする。出入りの導線も変更。今夜から宿の警備も倍に」
「頼むわ。……皆も疲れてる。交代制で休ませて」
彼は「任せろ」とだけ言った。
簡潔で、強い。
◇
夜。
支店の灯りが落ち、通りのざわめきも遠のいた。
私は宿の部屋で、一日の記録をまとめる。
偽契約の件数、被害相談の人数、王宮関係者の影――数字は冷たいが、必要な刃物だ。
ノックの音。
「入って」
扉の隙間から、ジュリアンが顔を出す。
相変わらず整った横顔。影の落ち方まで、無駄がない。
「少し、いいか」
「どうぞ」
彼は部屋に入ると、黙って机の上の書類を一枚ずつ目で撫でた。
いつもの癖。数字の“歪み”を探す目。
「……大体、把握した」
「早いわね」
「君が整えてるからだよ」
彼は私の肩を一瞥し、ふっと息を漏らす。
「君が倒れたら、この計画は終わる」
低い声で、静かに。
自分のコートを外して、私の肩にかけた。
ふわりと、柑橘と黒檀の香り。
熱が、喉の奥まで上がってくる。
「ありがとう。でも、大丈夫。……私はまだ、戦える」
視線を合わせないように、記録用の羽ペンを握り直す。
指先が、少しだけ震えた。
ジュリアンは私の手元を一瞬見て、何も言わない。
かわりに、支店の平面図を指で叩いた。
「明日は“偽契約判定ブース”を入口前に。列の渋滞を避けるために、判定→相談→本契約の三列導線。
判定担当は魔素コントロールが正確な者に限定。クラリスを動線統括に。彼女は人の流れを見るのが上手い」
「……分かってるわ。ちょうど同じことを考えてた」
「なら、早い」
彼は窓の外を見た。
ガルディアの夜風が、薄いカーテンを揺らす。
「王宮が絡んでいる可能性は高い。……でも、証拠が出るまでは数字で押し返すしかない」
「ええ。明後日、臨時の“配当報告会”を開く。成功事例を舞台に上げて、本人の口で話してもらう」
「いい。『噂』に対して『事実の積み上げ』で返すのが最短だ」
そこで、彼は少しだけ笑った。
「それに、君が前に出て話せば――数字はもっと味方する」
「からかわないで」
笑い合った瞬間、扉の向こうで短い合図。
レオンハルトだ。
「交代の時間だ。外は見張りを二重にした。休め」
「分かったわ。……レオン、ありがとう」
廊下に出ると、レオンハルトが軽く顎を引く。
ほんの一瞬、視線が合う。
守る、と言わなくても分かる眼差し。
◇
ベッドに体を預けても、頭は静かにならなかった。
偽契約の紙が燃える匂い。泣きながら相談に来たパン屋の妻の声。
そして、肩にかかったジュリアンのコートの温度。
(……倒れない。倒れる暇なんてない)
明日は“判定ブース”。
明後日は“配当報告会”。
やるべきことは、山ほどある。順番に、正確に、早く。
私は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
ガルディアの夜風は強い。けれど――私の中の火は、それより強い。




