第16話 側室の打診
ヴァルグレイブ侯爵家のメイン棟、一番格式高い応接室。
深紅の絨毯、大理石の柱、頭上のシャンデリアが昼の光を反射してきらめいている。
この部屋は王族を迎えるためだけに整えられた空間だ。
その中央で、アレクシス王太子は悠然と座っていた。
「突然の訪問とは珍しいわね」
私が椅子に腰掛けると、入口で控えていたレオンハルトが一歩下がる。
彼の鋭い視線は王太子を離さない。
アレクシスは足を組み、金糸の刺繍が施された上着の袖口を整えながら口を開く。
「単刀直入に言おう。アリスは正妃にする。だが――お前を側室に迎えたい」
甘い言葉に偽装された鎖。
「お前のやっていることは知っている。投資だの、平民への資産分配だの……あまりに目立ちすぎる」
皮肉な笑みを浮かべ、さらに続ける。
「俺のそばにいれば規制はしない。むしろ庇ってやる」
「……お断りします」
私は即答した。
「私はあなたの庇護を必要としていません。まして、正妃が別にいる男の側室になるつもりもないわ」
王太子の笑みがわずかに消える。
「……まだ俺を愛していると思っていたが?」
私は彼を真っ直ぐ見据え、静かに言った。
「愛しているですって?――あなたなんて、もう愛していない」
彼は一歩、私に近づき、声を低める。
「噂は聞いている……お前とレオンハルトが密かに付き合っていると」
かつて宮廷に流れたその噂を、私は即座に切り捨てる。
「くだらない噂よ。彼は私の護衛、それ以上でも以下でもない」
「……そうか」
アレクシスは口元にゆがんだ笑みを浮かべる。
「リアンナ……今のお前は、たまらなく俺をゾクゾクさせる。強気で、美しくなって、俺に歯向かう。その全てが――心を奪って離さない」
「……あなたなんか、大嫌いよ」
感情がこぼれ、声は思ったよりも大きく響いた。
その瞬間、彼の瞳に怒りが走る。
怒りと衝動を帯びた手が振り上げられ――。
「……やめていただきましょう」
レオンハルトの低い声と共に、その手首が掴まれる。
振り下ろされる寸前、鋼のような握力が王太子の動きを封じた。
「そんなに必死に庇うとはな」
アレクシスは視線を細める。
「やはり噂は本当なんじゃないのか?」
「違います」
私は即座に言い切った。
「彼は侯爵家の騎士で、私の護衛。それだけです」
アレクシスは私を見据え、ゆっくりと手を引いた。
そして、口元に不敵な笑みを浮かべる。
「……まあいい。だが、そのうちまた俺のことを好きにさせてみせる」
挑発的に顎を上げ、続ける。
「俺以上にいい男はいない。金も、権力も、容姿も――全部、一級品だ」
それだけ言い残し、重い扉を背後で閉めて去っていった。
しん、とした室内。
私は息を吸おうとして、喉がこわばっているのに気づく。
膝の上で組んだ手がわずかに震えていて、慌ててドレスの裾を握りしめた。
笑みを作ろうとしても、口角が思うように上がらない。
それを悟られまいと、顔を伏せ、長いまつげの影に表情を隠す。
隣でレオンハルトが小さく息を吐く音がした。
「……無事か」
「ええ」
声は平静を装ったけれど、胸の奥ではさっきの振り上げられた手の残像が消えないままだった。
――あの男は、これから確実に、私の前に立ちはだかる。




