番外話 お兄さんが来た時の話
サポロヘイム行の馬車がゆっくりとした調子で街道を進んでいた。
馬車は今朝方に出発したばかりで、吹いてくる風はまだ温かく、到着するには時間がかかりそうだ。
「サポロヘイムまであとどれくらいかかりますか?」
声をかけられた御者はチラリと声の主である馬車の一番後ろへと視線を向ける。
そこには分厚いローブを被った男が座っていた。
「ここからだと丸三日はかかるよ。そう急かしなさんな」
「ああ、すいません。早く家族に会いたいもので」
「ふうん。あんな辺境に何の用かと思ったらそういうワケかい」
御者は得心が言ったように頷く。
「はい。仕事の都合で送られたのですが。かなり過酷な土地だと聞いているので心配なんですよ」
「なるほどー。でも、最近は開拓も基盤に乗ってきて、景気も良くなってきたって聞くがねえ」
「ほう。それは少し安心しました」
御者の言葉に、ローブの男は口元を僅かに緩め、北の辺境で生活する妹との再会を心待ちにする。
……三日後、サポロヘイム領都のとある食堂。
丁度その時間は昼食時で、店内は客で賑わっている。
その満員となったテーブルの一つで、一組の男女が顔を突き合わせていた。
厳密には、男の方が気まずそうに目を逸らす女を一方的に睨みつけている体であるのだが。
「い、いやあー。今日の実験は大変でしたね。危うく工房が全焼する所でしたよー」
「火属性の魔力の調整をミスったお前のせいだけどな」
「うぐっ……!」
女の方……レティカは誤魔化すように軽い調子で語るが、男の方……ダストの指摘にギクリと固まる。
よく見ると、レティカの赤髪は所々が乱れており、身の着には煤と焦げ跡が残っている。
もっとも、それはダストも同じで、ボロボロの格好の彼は溜息をつきながら、非難を込めた視線をレティカに向けている。
「で、でも、ほら最終的に私が水魔法で消火して事なきを得ましたし?」
「高温の水蒸気が巻き起こって、危うく家の中で蒸し焼きになる所だったけどな」
「ぐうっ……し、しかし、今回は良いデータが取れましたよ。観測された魔力は一瞬とはいえ、今までの比ではありませんでした。あれを安定させて運用できれば高出力の新しいマジックアイテムも……」
「少しは懲りろよ、お前はよぉ!」
弁明をしていたはずが、途中から今後の実験への展望について考え始めるレティカに、我慢できなくなったダストは怒りを爆発させた。
「ひぃいい! そっちこそ最初は乗り気だったじゃないですかぁ!」
「そりゃ『新しい付与術式を思いつきました。成功すれば従来とはまた違う新しい魔剣が作れます』とか言われれば興味も出るよ。でもなあ、毎回限界突破上等なイカレ実験に付き合わされる身にもなれ!」
確かに彼は領主からレティカのお目付け役のような立ち位置を与えられたが、こうも毎日、危険な実験に巻き込まれて、火消しに駆け回っていては身が持たない。
「これ以上やらかすなら領主の旦那にも伝えるからな。俺は知らん!」
「そ、そんな酷いです! ここまで一緒にやってきて、今さら私を捨てるんですか⁉」
「こんな場所で人聞きの悪い事を言うな!」
ヒートアップしていくレティカとダスト、周囲の客は既に彼女らのやり取りに慣れ始めており、面白そうに見物している。
その中で、ローブを被った男だけが、観察するようにレティカたちを見つめていた。
「なんだかんだ貴方が傍にいる事で。私は領主様からお墨付きという周りも認識して、色々と大目に見て貰ってたんですよ! 急にいなくなっては困ります!」
「そっちが本音か! 最初は厄介者扱いしてたくせに本当いい性格してるな、お前!」
互いに色々とぶっちゃけ始めた辺りで、見かねたローブ男は二人の間に割って入る。
「そこのお二方、少し失礼する」
「えっ。うおっ……! な、何すか」
レティカとの言い合いに夢中になっていたとはいえ、目の前に現れるまで気付けなかったダストは反射的に腰の剣の柄を握った。
「驚かせてしまって申し訳ない。随分と込み入った話をしているようだから。何があったのか聞かせてもらおうかなと」
「……いや、アンタには関係ないだろう。つうか誰だよ」
訝し気な視線と共に、ダストはいつでも剣を抜けるように柄を握る力を強める。
緊張した空気が漂うも、それを破ったのはレティカだった。
「……お兄様?」
「はい?」
ダストは思わず視線をレティカの方に向ける。
――今、この女は何と言った?
「久しぶりだな、レティカ」
羽織ったフードを脱ぐと、そこにいたのは彼女と同じ赤髪、彼女と似た面影を持つ男性だった。
「失礼。自己紹介が遅れた。そこの愚妹の兄、マシュー・シュガードナだ。以後よろしく」
マシューと名乗る青年は武骨かつ丁寧な挨拶をしながら言葉を続ける。
「それでは我が愚妹が何をやらかしたのか詳しく聞かせていただいてもよろしいか?」
「うぐっ……」
兄の鋭い視線に、レティカはバツが悪そうに目を逸らすのだった。
……マシューを交え三人となったテーブル。
マシューは女将さんに定食を一つ注文すると、レティカたちの日常話を静かに聞いていたが、聞き終えると大きく息を吐いた。
「なるほど。お前はここでも相変わらずのようだな」
「えへへ」
「別に褒めていない。せめて周りには迷惑をかけるなと常日頃言ってきたはずだ。そこの……ええと……」
「ダストっす。妹さんにはお世話になって……お世話しています」
当のダストは、軽く自己紹介だけ済ませる。
そんな彼に、マシューは僅かに圧を込めながら、値踏みするような視線で彼を見つめるが、当のダストはそれを感じつつも、特に動じた様子もなく受け流していた。
「――って、待ってください! なんですか、お世話してますって。なんで言い直したんですか⁉」
「自分の胸に聞いてみろや」
鼻で笑うダストに、レティカは再び怒り出し、再びギャアギャアと言い合いを始める。
そんな二人を眺めていたマシューはポツリと呟く。
「……君らは随分と仲がいいようだな」
「「よくない!」」
見事にハモッてしまった二人は苦虫を噛み潰したように共に顔を見合わせ、そっぽを向いた。
「それにしてもレティカ、お前まだあんなものを作っているのか?」
「お兄様まで。あんなものとはなんですか!」
「屋敷でも実験と称してわけのわからないものを作ってはボヤ騒ぎを起こしてたろう」
「……ありましたっけ? 最近物忘れが激しくて……」
「お前、向こうでもそうだったのか」
マシューの話を聞いたダストは呆れ返る。
――もしや、ここに左遷されたのはそこら辺も理由に入っているのではなかろうか?
「……と、ところでお兄様こそ、お供も連れずにこんな辺境まで一人でどうしたんですか?」
嫌な雰囲気になってきたので、話題を切り替えようと、レティカはマシューに尋ねると、マシューは運ばれてきた湯気の立つスープを匙で掬いながら、静かに答える
「そんなのお前が心配で様子を見に来たに決まっているだろ」
「いらぬ世話です。私はこうして一人で立派にやっているではありませんか」
「さっきまでのやり取りを見聞きする限り、立派にやっているという要素がどこにもないが?」
ピシャリと言われ、言葉を詰まらせるレティカ。
隣のダストといえば、同意とばかりに無言で頷いている。
追い撃ちとばかりに、マシューはさらに話を続ける。
「さて。食事が終わったら、お前の部屋も見せてもらおうか。無論、寝泊まりしている家ではなく、研究用に使っているであろう場所の方だがな」
「あー。残念ですが私はこれからダストと定期の魔物の生態調査に行かなければならないので……」
「えっ? なんだそれ、初耳……イダァ!」
余計な事を言おうとするダストをレティカは足を踏んづけて黙らせる。
今、この兄にあのロクに片付けもできていない工房の惨状を見られるのはまずいのだ。
「そういうわけでお兄様は一人でゆっくりと領都を見物していただければと……」
「いや、ならば俺も同行しよう」
「へっ……?」
「俺とて剣の心得はある。お前もよく知っているだろう」
困惑するレティカ、隣のダストは足をさすりながら、ざまを見ろと言わんばかりに鼻を鳴らす。
こうしてマシューも加えた三人で、領都の外へ調査に赴くことになった。
……霜が降りた原っぱで、一頭の鹿が草を食んでいた。
青い体毛と氷のように透き通った角が陽光に反射して輝き、その美しい姿はまるで絵画のようである。
ライトホーン――北の辺境に生息する希少な魔物だ。
だが、その静寂を破るように、ライトホーンに向かって、弓矢がシュッと風を切って飛んできた。
「ウギィ⁉」
しかし、その矢はライトホーンを避けて、後ろの木の幹の影に隠れていた白い体毛の狒々に命中した。
驚き跳ね上がるライトホーンはそのまま走り出す。
「ギッ!」「ウギギッ!」「ギイィ!」
獲物が逃げ出し、木々の裏や草むらから次々と同じような狒々が計五匹現れた。
狩りを邪魔したのは誰か、狒々たちは矢が飛んできた方角を睨みつける。
「フロストエイプの群れか」
対して、先程弓を射たダストは狩るべき魔物たちを認識し、冷静にゆっくりと次の矢をつがえていた。
敵だ、そうフロストエイプも認識し、ダストへ一斉に襲いかかるのと、彼が二射目を放ったのは同時だった。
「ギッ⁉」
二匹目のフロストエイプの眉間にその矢は命中し、ガクリと崩れ落ちた。
「ガッ⁉」
三匹目は胸に矢を受けて、そのまま倒れ伏した。
「イィ⁉ ……ギヒィ!」
四匹目は避けようとするも、避けきれず足を射抜かれ転んだ所を後ろの二匹に踏み潰された。
ここまで四匹、確実に仕留めていったが、残り二匹は既にギリギリの距離まで迫ってきていた。
舌打ちしつつ、ダストは弓を置いて、懐の剣へ手を伸ばすが、それをレティカが手で制した。
「大丈夫です」
ダストが聞き返す前に、既に二人の前にはマシューが抜いた剣を構えて立っていた。
「キーー?」
一瞬でマシューは目前まで迫っていたフロストエイプの首を刎ねていた。
「ギギィイイイ!」
しかしその隙を突き、よりにもよって一番大きい、ゴリラのような体格を持つ個体がマシューへ襲いかかる。
振り切ったばかりの剣は間に合わない。
勝利を確信したフロストエイプは人間の数倍の握力を持つその両腕を伸ばす。
「ギ⁉」
ところが次の瞬間、その視界が一瞬で覆われる。
視界を遮ったのは、さっきマシューが斬った首の無いフロストエイプの死体であった。
足元に転がっていたソレを、マシューが即座に蹴り上げたのだ。
フロストエイプは鬱陶しいとばかりに仲間の死体を放り投げるも、既にマシューの姿はどこにもない。
少し離れた場所に、仲間らしき人間が二人いたが、そんなのはあとだ。
フロストエイプはさっきの人間を探している内に、不意にグラリと視界がずれた。
「ギ?」
おかしい。
どんどん視界が、否、体そのものが斜めに下がっていく。
視界の端でさっきの人間が構えを解いているのが見えて、ようやくフロストエイプは己の上半身と下半身が泣き別れとなっていると気付いたのだった。
……戦闘が終わり、レティカとダストはマシューの下へ駆け寄る。
どうやら怪我はないようだ。
「ね? お兄様はあれで騎士団でも次期団長候補って言われるほどなんですよ」
そう語るレティカの声は少しばかり自慢げだった。
いつも魔法研究のことしか頭にない彼女にしては意外だとダストは驚く。
――なんだかんだで、家族との再会が嬉しいのかもしれない。
「さてと、お待ちかねの生態調査と素材採取といきましょうかね」
……いや、討伐したフロストエイプを調べられてご機嫌なだけかもしれない。
言いながら、ダストを魔物の死骸だらけとなった辺りを見回す。
「生態調査のはずだったのに、結局はいつもの魔物退治になっちまったなあ……」
「いやいや、個体にもよりますが、ナワバリに入らなければ大人しいイエティと違って、フロストエイプの群れは他の生活圏に押し入っては荒らし回るので、これは立派な保全活動ですよ」
言って、レティカは水晶の角を持った鹿が逃げ去った方向へ目を向ける。
「なによりライトホーンは希少な魔物ですからね。彼らの餌にはできません。いつかあの水晶の角も先っちょだけ……!」
悪い笑みを浮かべながら、亡骸を検分していくレティカにダストは溜息をつく。
本当にこの女はブレない。
基本的に研究欲と好奇心の塊である。
だからこそ、かえって信頼できるとも言える。
無論、本人の前では言わないが。
そこへ、少し離れた場所で剣身についた血脂を丁寧に拭っていたマシューが声をかける。
「レティカ、お前はいつもそうやって彼を巻き込んでいるのか?」
「ちょ……人聞きの悪いことを言わないでください、お兄様。彼と私は強い絆で結ばれているのです!」
心外だとばかりに、ドヤ顔でのたまう妹に、マシューはやがて諦めたようにかぶりを振って、ダストに頭を下げた。
「すまない。ウチの妹が迷惑をかけるな……」
「いえいえ、もう慣れましたよ」
「そうか。慣れてしまったか……」
「そこの男二人! 変な共感で打ち解けないでもらえますかねえ!」
叫ぶレティカだが、男二人は素知らぬ顔で目を逸らした。
わかってはいたが、ここに彼女の味方はいないらしい。
「はあ……。もういいです」
切り替えるように、若干拗ねながらレティカはメモ帳に記録を書き記して、調査を終えた。
「……しかし、イレギュラーはありつつも、やはりスノードラゴンの時のような事態は中々ないですね」
「いや、さすがにあれレベルの奴はもう勘弁だぞ」
レティカの呟きに、その時の事を思い出したのか、ダストは身震いさせる。
「……は?」
帰りの支度を始める二人の横で、マシューは愕然としていた。
その帰りの道中、ダストは、しきりに問い詰めてくるマシューにスノードラゴンに遭遇した時の顛末を語った。
「そ、そんなことがあったのか……」
「あいつがいなけりゃ死んでたかもしれません。なんだかんだ大した女ですよ」
本人には絶対言えませんがね、と最後にダストは付け足し、それを聞いたマシューは前を歩くレティカの背中を見ながら、少しだけ笑った。
その後、冒険者ギルドに報告をすると、ダストは早々にレティカたちと別れた。
兄妹の再会をこれ以上邪魔しないようにという、彼なりの気遣いかもしれない。
「お兄様、今日はうちで泊まるのでしょう?」
「いや、宿をとる。いかに兄妹でも男女が一つ屋根の下はまずかろう」
「相変わらず真面目ですねえ」
苦笑するレティカにマシューは口を開いた。
「……レティカ。家に戻ってこないか?」
突然のマシューからの言葉にレティカは困惑する。
「実は、つい先日オルダ同様に連行されたお前の元上司の取り調べが一段落着いたようでな。お前の左遷関係は全て不当なものだと立証された」
初耳であるため、レティカは目を丸くする。
「いずれ王都から正式に手紙が来るだろう。お前は大手を振って家に戻れるんだ」
「……うーん。別にこのままでいいですよ」
「なぜだ?」
なんとなく予想がついていたのか、マシューは取り乱すでもなく純粋に理由を問うた。
「お兄様。私はここに来て色んな人に会い、色んなものを見てきました。ここでの日々は私を成長させてくれたのです。今さら離れるつもりはありません」
「そうか。……で本音は」
「レアな魔物や魔石が沢山いてマジ最高。嫌な上司や口うるさい偉い魔導師様が口を挟んでこないから危ない実験やり放題。左遷されてよかっ……ハッ⁉」
「まあ、わかっていたが、それが本音か」
「お兄様! 誘導尋問とは卑怯です!」
「ほとんどお前の自爆だったろうが」
言って、マシューは心中でこのやり取りに一抹の懐かしさを覚え、今はこの相手をするのは、さっきの青年だということに、少しばかり寂しさと嫉妬を覚えた。
「ひとまず私はそれで納得しておこう。だが、母上はこうはいかんぞ」
「うっ……。後で手紙を送ります」
明朝、マシューは王都へと帰っていった。
突然現れたと思ったら、すぐさま去っていく。
まるで風のようだ、とダストは言った。
『お兄様はいつもそうです。思い立ったら即行動と、行動力だけはあるんですよ』
『はは。そこは兄妹だな』
窓辺の机に座り、手紙をしたためながら、レティカはダストとの会話を思い出した。
いつものダストのからかいに、嫌な気分はしなかったのは、家族だからだろうか?
――真実の愛っぽいのを見つけたのでもう少しここにいます。
最後にそう締めくくったレティカはペンを置いて、うーん、と腕を伸ばす。
「……ええっとこんな感じでいいですかね」
さて。この手紙を商人ギルドに預けたら、新しい実験に取りかかろう。
工房はこの前の実験の火事跡が残っているから、少し離れた馬小屋辺りがいいかもしれない。
新しい馬小屋が建てられたらしく、馬もほとんどそちらに運ばれたらしいので、丁度いいだろう。
そして、そろそろ成功させてみろ、と煽っていたダストを見返してやるのだ。
レティカは闘志を燃やしながら部屋を出た。
ちなみに、この一文が元にシュガードナ家……主にレティカの父であり、家長でもあるバートンが大騒ぎになって、彼を宥めるのにマシューや夫人が苦労するのはもう少し先の話である。




