第14話【単話怪談:痛いたたたた!!!】
(第14話【単話怪談:痛いたたたた!!!】)
どこかおかしいと気づきながら、俺はその世界を受け入れていた。
中華街の極彩色のネオンの下、俺たちは5人で飲んでいた。
中心にいるのはケイスケだ。10年前に「大阪に行く」と言い残し、それまでの関係をすべて切り捨てるように音信不通になった男。
なのに俺は、彼が隣の席の老婦人にすり寄り、
甘えるように目を閉じているのを
「昔からああいう奴だから」と笑って眺めていた。
「さすがだな」と男同士で囃し立て、女たちは「ウケる!」と声を張り上げつつも、
隠しきれない不快感を滲ませて唇を尖らせていた。
俺はいつだって、この男の隣で場を盛り上げるだけの
“引き立て役”だった。
死んだ人間と飲んでいるような、ひどく空虚で生ぬるい時間が流れていた。
―—――――――
◇
ふと瞬きをすると、世界は車のシートに切り替わっていた。
後部座席には、昔好きだった遥。助手席には友人のマサト。
遥の視線の先には、ここにはいないタカシの幻影がある。
俺とマサトは、彼女の心の隙間に入り込もうと必死だった。
窓の外では、なぜかマサトが道端でシャワーを浴び、全身泡だらけで突っ立っている。車内にもマサトがいるのに、だ。空間がバグを起こしている。
だが、俺は焦るばかりで、どうしても口が止まらなかった。
脈絡のない光景のなかで、俺と遥かは昔のテレビ番組の話をしていた。
「あのTV番組を録画して見せる、変わった先生がいたよな」
夢特有の無根拠な確信とともに、俺は得意げに言葉を継いだ。
「あの授業でさ、タカシがマサトに水ぶっかけてさ、いま外にいるあいつみたいに泡だらけにしたんだよ。マジで鬼だったよな」
俺は、タカシがいかに酷い人間かを語ることで、
相対的に自分の価値を上げようとしていた。
他人の屈辱をダシにして、女の気を引こうとしていた。
その浅ましさを嗅ぎ取ったのだろう。
立ち寄ったガソリンスタンドで、遥は氷のように冷たい目を俺に向け、無言で車を降りていった。
「え、なんで……?」
車を走らせて後を追う。
フロントガラスの向こうには、
極彩色の中華街と、見慣れた地元の地方都市のうらぶれた田舎町が
モザイクのように混ざり合って広がっていた。
空間が崩壊していく。
他人の顔色ばかり窺い、誰かの引き立て役としてしか
存在できない俺の自我が、この奇妙な街に取り残され、溶けて消えそうになっていた。
底知れぬ虚無感に飲み込まれそうになった、その時だった。
右耳を、万力のような力でギューッと掴み上げられた。
「痛っ……!」
何かがブチリと引き千切れる生々しい破壊音。
続いて、耳元で男の野太い声が劈いた。
『なにくそッ!』
それは、女の顔色ばかりを気にして卑屈に縮こまっている俺の魂を、無理やりこの世界に繋ぎ止めるような、強烈な怒声だった。
ハッと息を呑んで跳ね起きた。
見慣れた自室の天井だった。全身が嫌な汗で濡れている。
右耳がじんじんと熱を持ち、激しく痛む。どうやら、枕に耳を強く押し当てたまま、不自然な寝相で寝ていたらしい。ただの鬱血だ。
「なんだ、夢か……」
安堵の息を吐き、俺は顔を洗うために洗面所へ向かった。
―—―――――
◇
その日の午後。
職場の休憩室で、俺はいつものようにおどけ、
同僚たちのつまらない冗談にヘラヘラと愛想笑いを浮かべていた。
空気を読み、場を回すための、いつもの「引き立て役」の笑顔だ。
その瞬間――。
『痛たたたた!』
誰もいない右耳を、見えない巨大な手に強く引っ張られた。
ブチリ、という肉の裂けるような幻聴。
そして脳の奥底から、あの『なにくそッ!』という怒声が響き渡る。
俺は気づいてしまった。あれは単なる夢じゃない。
他人の顔色を窺い、自分を誤魔化して生きようとするたび、
俺は「あの世界」から無理やり耳を引きちぎられるのだ。
この奇妙な罰から、
俺は一生逃れられない。




