↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/25

過去を考えなかった日

放課後が近づいていた。


文化祭まであと数日。


教室は、紙や段ボール、絵の具や飾りつけの材料でめちゃくちゃになっていた。


僕は椅子の上に立って、壁に紙の飾りを貼りつけていた。


「もうちょっと上」


言われた通り、手を上に伸ばす。


「あと少し」


さらに手を伸ばす。


「……行きすぎ」


僕は下を見た。


「じゃあ、どこ?」


「……分からない」


「はぁ……」


ため息が出た。


文化祭の準備は、思っていたより疲れる。


でも、不思議と嫌ではなかった。


教室では、飾りつけについて言い争っている人もいれば、出し物の練習をしている人もいる。


その一方で、もう諦めてお菓子を食べている人もいた。


そんな光景を見ていると、なんだか普通だった。


ただの、いつもの学校生活。


飾りを貼り終え、僕は椅子から降りた。


鞄を手に取る。


いつものように、そのまま家に帰るつもりだった。


「蓮」


足が止まった。


教室の入り口に、海斗が立っていた。


いつも通り、ポケットに手を入れて、落ち着いた様子をしている。


その隣には、二人の男子がいた。


一人は腕を組み、不機嫌そうな顔をしている。


もう一人は、まるで人生に疲れ切ったような顔をしていた。


海斗が僕の鞄を見る。


「帰るの?」


「うん」


「もう?」


「やること終わったから」


海斗は小さく息を吐いた。


「蓮って、いつもそうだよな」


「何が?」


「学校が終わったら、すぐ帰る」


僕は瞬きをした。


「それがどうかした?」


「別に」


海斗がこちらに歩いてくる。


「だから今日は予定を変える」


「何の?」


「お前の予定」


僕が何か言う前に、不機嫌そうな男子が前に出てきた。


「そうだ! 青春を無駄にしてるぞ!」


僕は彼を見る。


海斗が落ち着いた声で言った。


「こいつ、太一」


太一が眉をひそめる。


「なんでそんな紹介なんだよ」


「だって叫んでるから」


「叫んでねぇよ!」


海斗は気にせず、もう一人を指した。


「こっちはソラ」


ソラが疲れたように手を上げる。


「よろしく……」


「よろしく」


ソラは深いため息をついた。


「……もう人生疲れた」


僕は彼を見る。


「……会ったばかりだけど」


「分かってる」


海斗が話を続ける。


「コンビニ寄って、そのあとカラオケ行く」


僕は海斗を見る。


「楽しんできて」


そのまま出口へ向かう。


すると海斗が、何事もなかったように僕の前に立った。


「お前も来る」


「なんで?」


海斗は少しだけ僕を見る。


「いつも一人だから」


僕は足を止めた。


「学校が終わったら家に帰って、それで終わりだろ」


何も言えなかった。


海斗は肩をすくめる。


「毎日そうする必要ないだろ」


太一が腕を組む。


「別に難しいことするわけじゃねぇよ」


ソラがため息をつく。


「まあ、カラオケは精神的にかなりきついけど」


太一がソラを見る。


「お前なんでそういうことしか言わねぇんだよ」


「生まれつき」


海斗が僕を見る。


「どうする?」


少し迷った。


海斗の言う通りかもしれない。


僕は失ったものについて考えることばかりで、自分が今どう過ごしているのかなんて、あまり考えていなかった。


学校へ行く。


家に帰る。


その繰り返し。


僕は三人を見る。


変な奴らだ。


かなり変だ。


でも――


「……分かった」


海斗が笑った。


「よし」


太一が拳を握る。


「やっとか!」


ソラがため息をついた。


「これで俺も人付き合いをしなきゃいけないのか……」


「お前、さっき寂しいって言ってただろ」


「人に囲まれていても寂しいことはある」


「……」


海斗が歩き出す。


「行こう」


僕も、その後についていった。


⸻


最初に立ち寄ったのは、コンビニだった。


どうやら「遊びに行く」というのは、災害に備えるくらい大量のお菓子を買うことらしい。


太一がポテトチップスを手に取る。


「これ俺の」


ソラがすぐに奪った。


「先に見つけたのは俺」


「お前、さっきまで見てなかっただろ!」


「心の中では所有してた」


「どういう意味だよ!」


二人から袋を取り上げ、海斗が淡々と言った。


「じゃあ俺が食べる」


「おい!」


思わず笑ってしまった。


三人が僕を見る。


太一が僕を指差す。


「お前、今俺たちのこと笑っただろ」


「ちょっとだけ」


「チッ」


太一は顔をそむけた。


ソラが悲しそうに言う。


「蓮にまで見捨てられた……」


「まだほとんど知らないけど」


「それはもっと傷つく」


海斗が袋を開ける。


「食べる?」


「うん」


海斗からポテトチップスを一枚受け取る。


口に入れる。


なぜか、もっと前からこいつらと一緒にいたような気がした。


たぶん、ただ一緒にいて気を遣わなくていいからだ。


⸻


コンビニを出て、カラオケへ向かう。


会話は次々と変わっていった。


ゲーム。


先生。


食べ物。


文化祭。


誰かのひどい成績。


そんな話をしていると、突然、太一が言った。


「なあ。ちょっと真面目な話なんだけど」


海斗が太一を見る。


「それ、いい話じゃない気がする」


「学年で一番可愛い女子って誰だと思う?」


ソラがうんざりした顔をする。


「なんで今それ?」


「俺が聞きたいから」


「くだらねぇ」


「いいから答えろよ!」


三人は次々と女子の名前を出していく。


一人の名前が出れば、すぐに却下される。


別の名前が出れば、また言い争いになる。


ソラが自分の答えを言った。


太一が目を丸くする。


「……あいつ?」


「何?」


「マジで?」


「可愛いと思うけど」


「お前、趣味悪いな」


海斗も頷いた。


「同意」


「お前までかよ!」


しばらく三人が言い争っていた。


やがて、全員の視線が僕に向いた。


太一がニヤッと笑う。


「じゃあ蓮は?」


「僕?」


「そう。誰が一番可愛いと思う?」


少し考える。


「……分からない」


太一が固まった。


「それだけ?」


「それだけ」


「つまんねぇ」


ソラも頷く。


「もっと面白い答えを期待してた」


海斗が肩をすくめる。


「ほっとけ」


僕は少し笑った。


「ありがとう」


「礼はいらない。太一の話を聞くのに疲れただけ」


「おい!」


また笑ってしまった。


⸻


カラオケの部屋は、思っていた以上に騒がしかった。


ソラがいきなり、ものすごく暗い曲を選んだ。


太一がソラを見る。


「なんで彼女に振られたみたいな歌い方してんだよ」


「彼女いないけど」


「余計ひでぇ!」


海斗はドリンクを飲みながら、二人の言い争いを眺めている。


次に太一がマイクを握った。


そして歌い始めた。


ひどかった。


ソラが耳を塞ぐ。


「耳が……」


「嫉妬してんのか!」


「今すぐこの音を忘れたい……」


海斗が無言で音量を下げた。


太一が海斗を睨む。


「なんで下げた?」


「みんなの安全のため」


思わず笑ってしまう。


すると、三人が一斉に僕を見る。


……嫌な予感がした。


「いや」


太一がマイクを僕に渡してくる。


「歌え」


「歌わない」


「今日から歌う」


「遠慮しとく」


ソラが僕に顔を近づける。


「もし恥をかいたら、俺が自分の人生を少しだけ好きになれる」


「それ、励ましてる?」


「励ますの苦手だから」


海斗が笑う。


「まあ、一曲くらいやってみろよ」


少し迷った。


それから、マイクを受け取った。


曲が始まる。


何をすればいいのか、よく分からない。


ただ、流れてくるメロディーに合わせて歌った。


曲が終わる。


僕はマイクを下ろした。


誰も何も言わない。


僕は三人を見る。


「……下手だった?」


海斗が僕を見る。


「蓮」


「何?」


「なんで普通に上手いんだよ」


太一も驚いた顔をしている。


「マジかよ……」


海斗が頷く。


「マジ」


ソラがゆっくりソファにもたれた。


「……嫌いになりそう」


僕は笑った。


「なんで?」


「何もしてないのに上手いから」


「僕も知らなかった」


太一がマイクを取り上げる。


「もう一曲!」


「嫌だ」


「いいだろ!」


「嫌」


「一曲だけ!」


「嫌だって!」


気づけば、みんな笑っていた。


僕も笑っていた。


それから数時間。


僕は完全に、他のことを忘れていた。


事故のこと。


失った記憶のこと。


考え続けていた疑問のこと。


全部。


ただ、くだらない話をした。


ゲームのことで言い争った。


先生の愚痴を言った。


好きな食べ物の話をした。


お互いの恥ずかしい話を暴露した。


そして太一が、授業中に寝てしまって、先生のことを間違えて「母さん」と呼んだことが発覚した。


「そんなことしてねぇ!」


ソラがすぐに言う。


「俺、見てた」


「黙れ!」


海斗がドリンクを飲みながら言った。


「本当にあった」


「お前どっちの味方だよ!」


「どっちでもない」


僕は腹を抱えて笑った。


こんなに笑ったのは、いつ以来だろう。


⸻


カラオケを出る頃には、空がオレンジ色になっていた。


しばらく四人で歩く。


太一とソラは後ろでまだ言い争っている。


僕の隣を、海斗が歩いていた。


「楽しかった?」


「うん」


前を向く。


「……楽しかった」


海斗は少し黙ってから言った。


「なあ、蓮」


「うん?」


「全部を覚えてなくてもいいんじゃないか」


僕は海斗を見る。


「……え?」


海斗は肩をすくめた。


「みんな、お前が昔どうだったかを気にしてるだろ」


僕は何も言わなかった。


「でも、お前は今ここにいる」


海斗は前を向いたまま歩く。


「昔のお前だけが、お前じゃないだろ」


少しだけ、胸の奥が軽くなった気がした。


僕は下を向く。


そして、小さく笑った。


「……そうだね」


海斗も頷いた。


「それだけ」


そのとき、後ろから太一の声が飛んできた。


「おい! 二人とも何やってんだよ! 置いてくぞ!」


ソラも続けて叫ぶ。


「俺をあいつと二人きりにしないでくれ!」


「俺はここにいるぞ!」


「それが問題なんだよ!」


また笑ってしまった。


「今行く」


⸻


しばらく歩いて、僕たちはそれぞれ帰る方向へ分かれた。


「じゃあ、また明日」


海斗が言った。


「うん。また明日」


太一が僕を指差す。


「明日も来いよ。消えるなよ」


「分かってる」


ソラがため息をつく。


「また学校か……」


海斗がソラを見る。


「明日、来るよな?」


「……仕方ない」


僕たちは笑った。


そして、それぞれの道へ向かった。


⸻


その日、初めて一人になった。


僕はポケットに手を入れながら、家への道を歩いていた。


夕方の空気は少し冷たかった。


今日のことを思い出す。


くだらない言い争い。


コンビニのお菓子。


ひどい歌。


恥ずかしい話。


そして、笑い声。


僕は自然と笑っていた。


今日は何も思い出さなかった。


過去の記憶が戻ったわけでもない。


新しい何かを知ったわけでもない。


それでも――


楽しい一日だった。


それでいいのかもしれない。


失ったものを探すことだけが、毎日じゃなくてもいい。


これから新しいものを作っていけばいい。


僕は歩き続けた。


今日は一度も、昔の自分のことを考えなかった。


ただ――


明日のことを考えていた。


これが、十七歳ってことなのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。