表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/12

行間にある答え

放課後を告げるチャイムが、静かな教室に響いた。


 生徒たちはそれぞれ鞄をまとめ始める。


 部活動へ向かう者。


 友達と帰る者。


 進路学習の課題を始めるペア。


 そして僕たちは――


 何も言わなかった。


 ただ、星野さんを見る。


 彼女はもうワークシートを手にしていた。


 目が合う。


「……図書室?」


 小さな笑顔。


「……うん」


 自然と笑みが返る。


 いつの間にか、それが当たり前になっていた。


 ◇


 図書室は今日も静かだった。


 午後の日差しが大きな窓から差し込み、木の机を優しく照らしている。


 僕たちは昨日と同じ席へ向かい合って座った。


 ワークシートを机の中央へ置く。


 星野さんがページをめくる。


「……続きをしようか」


「うん」


 彼女はペンを持ち、次の質問を読み上げた。


「『あなたを笑顔にしてくれるものは何ですか?』」


「……変わった質問だね」


 思わず苦笑すると、彼女も小さく笑う。


「うん。でも……」


「大事なことかもしれない」


 少しだけ考える。


 そして、素直に答えた。


「静かな場所かな」


「静かな場所?」


「うん」


「空を眺めたり。」


「雨の音を聞いたり。」


「一人で本を読んだり。」


「そういう時間が好きなんだ」


 彼女は静かにメモを取る。


 書き終えると顔を上げた。


「……やっぱり蓮くんらしい」


「そうかな?」


「うん。」


「落ち着いた時間が似合う人だから」


「そんなふうに考えたことなかった」


「私は、そう思う」


 その言葉が少しだけ嬉しかった。


 ◇


「次は私だね」


 僕はワークシートを見ながら尋ねる。


「星野さんは?」


「笑顔になれるもの」


 彼女は少しだけ窓の外を見る。


「晴れた朝。」


「焼きたてのパン。」


「日向で眠ってる猫。」


「子どもが笑ってるところ。」


 そこで少しだけ言葉を止めた。


 そして。


「……大切な人と過ごす時間」


 静かにそう言った。


「……」


「いい答えだね」


 彼女は少しだけ照れたように笑う。


「本当のことだから」


 その笑顔は、どこか優しかった。


 ◇


 質問はまだ続く。


「苦手なことは?」


 僕が聞くと、彼女は困ったように笑う。


「運動かな」


「え?」


「本当に?」


「うん」


「平らな道で転んだこともあるよ」


「それは信じられない」


「本当なのに」


 両手で顔を隠す彼女。


「忘れて」


「……無理かも」


「ひどい」


 思わず笑ってしまう。


 彼女もつられて笑う。


 図書室には珍しく、二人の笑い声が小さく響いた。


 近くで本を読んでいた生徒がこちらを見る。


「あ……」


「ごめんなさい」


 二人同時に小声になる。


 目が合う。


 また笑ってしまう。


 そんな何気ない時間が、とても心地よかった。


 ◇


 一時間ほど経った頃。


 星野さんが小さく伸びをした。


「少し休憩しようか」


「そうだね」


 二人で図書室を出て、自動販売機へ向かう。


 夕方の風が心地いい。


「何にする?」


 彼女はボタンを見つめる。


「ミルクティーかな」


「やっぱり」


 彼女が驚いたように僕を見る。


「分かったの?」


「甘いものばかり選んでるから」


「……そうだった?」


「ココアも。」


「いちごミルクも。」


「全部甘かった」


 彼女は少しだけ照れ笑いを浮かべた。


「ちゃんと見てたんだね」


「……たまたま」


 そう答えるしかなかった。


 ◇


 近くのベンチへ腰掛ける。


 木漏れ日が静かに揺れていた。


 しばらく誰も話さない。


 その沈黙を破ったのは、星野さんだった。


「……蓮くん」


「ん?」


「人って……変われると思う?」


 突然の質問だった。


 少し考えて答える。


「変われると思う」


「でも、一日じゃ無理かな」


「少しずつ。」


「少しずつ変わっていくんじゃないかな」


 彼女は缶を見つめたまま、小さく頷く。


「……そうだね」


「私も、そう信じたい」


 その声は、どこか遠くを見つめているようだった。


 誰かのことを思い出しているようにも聞こえた。


 聞こうとしたその時。


 彼女は立ち上がる。


「戻ろう」


「うん」


 結局、その続きを聞くことはできなかった。


 ◇


 図書室へ戻る頃には、空が少しずつ夕焼け色へ染まり始めていた。


 ワークシートも、残りあと一つ。


 一番最後に書かれていたのは――


『相手について分かったことを書きましょう』


「……難しいね」


 僕が呟くと、星野さんは小さく笑う。


「少しだけ」


 彼女は静かにペンを走らせる。


 僕は見ないように窓の外を眺めていた。


 しばらくして。


 彼女はワークシートを閉じる。


「終わったよ」


「もう?」


「発表の日まで秘密」


「ずるいな」


「ふふっ」


「その方が楽しみでしょう?」


 そう言われると、何も返せなかった。


 ◇


 帰る頃には、空は茜色に染まっていた。


 駅までの道を並んで歩く。


 静かな夕暮れ。


 話さなくても、不思議と落ち着く。


 改札の前で足を止める。


「……蓮くん」


「ん?」


 彼女は何か言いたそうに僕を見る。


「……」


 でも。


 すぐに優しく笑った。


「ううん。」


「また明日」


「また明日」


 小さく手を振り、人混みの中へ消えていく。


 その姿が見えなくなるまで、僕はその場を動かなかった。


 ◇


 その夜。


 机の上にはワークシートが置かれていた。


 最後の欄だけが、まだ空白のまま。


『相手について分かったこと』


 ペンを持つ。


 でも――


 手は止まった。


 好きな食べ物。


 好きな季節。


 笑顔になれるもの。


 苦手なこと。


 たくさん知ることはできた。


 それでも。


 星野さんの一番大切な部分は、まだ何も知らない気がした。


 ワークシートを静かに閉じる。


「……きっと」


「答えは、紙の上にはないんだろうな」


 窓の外では、夏の夜風がカーテンを優しく揺らしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ