7話
その夜。
宿の部屋は、やけに静かだった。
昼間の戦闘のせいか、空気が少し張り詰めている。
「……で」
ベッドに座ったまま、神代が口を開く。
「どうする」
「何が」
セリナが腕を組む。
「明らかに狙われてる」
「それね」
ため息をつく。
「ただの偶然じゃない。あれは完全に標的ありきの動きだった」
「だよな」
視線が、自然と一人に集まる。
「……なに」
ルシエルは、神代の隣で膝に頭を乗せていた。
完全にくつろいでいる。
「……たぶん、お前だろ」
「……たぶん?」
「ほぼ確定だな」
セリナが言い切る。
「あなたのあの力、隠せるレベルじゃない」
「……別に、隠してない」
「そういう問題じゃないのよ」
頭を抱えたくなる。
「……ねえ」
少しだけ、声を落とす。
「正直に答えて」
ルシエルを見る。
「あなた、何から逃げてるの?」
一瞬、沈黙が落ちる。
ルシエルは目を閉じたまま、何も言わない。
でも――ほんの少しだけ、指先が動いた。
「……逃げてない」
小さな声。
「……違う」
「何が違うの」
「……来てるだけ」
「だから、それが何よ」
苛立ちが混じる。
核心に触れそうで、触れられない。
「……言えない」
ぽつりと呟く。
「……言ったら」
そこで、言葉が止まる。
「……どうなる」
神代が静かに聞く。
ルシエルは、少しだけ顔を上げた。
赤い瞳が、真っ直ぐ向く。
「……全部、壊れる」
その言葉は、妙に重かった。
「……は?」
「……神代も」
視線が揺れる。
「……いなくなるかもしれない」
空気が、少しだけ冷える。
「……それは困るな」
神代があっさり言った。セリナは思わずそっちを見る。
「軽くない?」
「重く考えても仕方ねえだろ」
肩をすくめる。
「今いないなら、それでいい」
「……」
言い返せない。でも、それでいいのかとも思う。
「……神代」
ルシエルが小さく呟く。
「……怖くないの」
「何が」
「……私」
少しだけ、声が揺れていた。
今までで一番弱い響き。
「……怖いって言ったろ」
神代は短く答える。
「でもまあ」
軽く息を吐いて。
「離れる理由にはならねえな」
「……なんで」
「面倒だから」
「……は?」
思わずセリナが声を上げる。
「それだけ?」
「それだけだな」
あっさりしている。
でも、その裏に――妙なブレなさがある。
「……変」
ルシエルが小さく言う。
「……普通じゃない」
「お前に言われたくねえよ」
即ツッコミ。ほんの少しだけ、空気が緩む、けど――問題は何も解決していない。
「……ねえ」
セリナが改めて口を開く。
「少なくとも、敵ははっきりした」
「だな」
「問題は、誰が送り込んでるか」
「……ん」
ルシエルが、少しだけ目を細める。
「……知ってるのか?」
「……なんとなく」
「言え」
「……やだ」
即拒否。
「なんでよ!」
「……言ったら」
また同じ言葉。
「……来る」
「もう来てるでしょ!」
「……もっと」
静かに言う。
「……いっぱい」
その一言で、セリナは言葉を失った。
――冗談じゃない。あれ以上が来るっていうの?
「……神代」
ルシエルが、少しだけ近づく。
「……守れる?」
「誰を」
「……私」
迷いのない問いでも、その奥には不安がある。
「……全部は無理だな」
「……そっか」
少しだけ、目が伏せられる。
けど。
「でも」
神代が続ける。
「手の届く範囲はどうにかする」
短く、はっきりと。
「……お前も、その範囲に入ってる」
ルシエルが、ゆっくりと顔を上げる。
「……ほんと?」
「ああ」
即答。
その一言で。
「……ん」
ルシエルは、小さく頷いた。
それだけで、満足したみたいに。
「……ほんとに変」
セリナが呟く。
「普通、そこで距離取るでしょ」
「取らねえよ」
「なんでよ」
「だから面倒だって」
「それ理由になってないから」
思わずツッコミ。でも神代は気にしてない。
ほんとに何なんだこいつ。
「……ねえ」
ルシエルがぽつりと呟く。
「……たぶん」
少しだけ間を置いて。
「……探されてる」
「誰に」
「……昔のやつ」
その言い方。セリナは、ゆっくりと息を飲む。
「……それって」
「……うん」
ルシエルは、静かに頷いた。
「……魔王、だから」
空気が、止まる。
分かっていたでも、改めて言われると違う。
「……ほんとに言うのね」
「……言っちゃった」
少しだけ困った顔でも、どこか諦めている。
「……どうする」
神代が聞く。
ルシエルは、少しだけ考えて――
「……逃げる」
「シンプルだな」
「……うん」
頷く。
「……でも」
神代の服を、ぎゅっと掴む。
「……一緒」
「分かってる」
短く答える。迷いはない。
「……はあ」
セリナが大きく息を吐く。
「完全に面倒事のど真ん中ね」
「今さらだろ」
「まあね」
否定できない。
最初からそうだった。
「……でも」
セリナは視線を上げる。
「逃げるだけじゃ、いつか追いつかれる」
「だな」
「なら――」
少しだけ間を置いて。
「準備するしかない」
戦う準備を。
逃げるための準備を。
「……やること増えたな」
「最初からよ」
ため息。
でも――引く気はもうない。
「……神代」
「なんだ」
「……一緒」
「ああ」
ルシエルが、いつも通り寄り添う。
その距離は変わらない。
変わらないまま――状況だけが、どんどん重くなっていく。
「……ほんと、最悪ね」
セリナが呟く。でも、その声は少しだけ柔らかかった。
――逃げるだけのはずだった。
なのに気づけば、関わりすぎている。
「……まあいいか」
小さく息を吐く。
どうせもう、手遅れだ。
三人でいるこの状況が――妙にしっくりきてしまっている時点で。
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