32 お日様みたいなあなたへ
――はらり、はらり。
震える指先から、下手っぴだけど真剣さが伝わってくる手紙が、畳の上に零れ落ちる。
「はっ!?」
数秒の間――ショックでフリーズしていた俺は、我に返ると同時に玄関へ走った。
「(ルカのサンダルがない……!?)」
俺はいても経ってもいられず、自分のサンダルにつま先をひっかけると、外へ飛び出した。
ルカが戻ってくるかもしれない――そんな一抹の願いを込め、玄関の鍵は閉めずに、夜の下町を駆ける。
「くそっ! ルカあああああ!! どこだあああああ!!」
恥も外聞も捨てて、夜空を引き裂かんとする声量で声を張り上げる。
どうしてルカは、俺の前から消えてしまったのだろうか。
俺に甲斐性がなくて――失望させてしまったのだろうか?
俺が情けなくて――自責の念を抱かせてしまったのだろうか?
俺がルカの言葉を信じてやれなくて――怒らせてしまったのだろうか?
『たいよう……ぼく、留守番、できるよ』
脳裏に蘇るのは、ルカの健気な訴え。
ルカの抱く〝俺の力になりたい〟という気持ちを、俺は一刀に伏してしまった。
俺はもっとルカの言葉に耳を傾け、ルカの意見を尊重してやるべきだったのかもしれない。
俺がルカに負担を与えたくないと願っていたのと同時に、ルカもまた、俺の負担を肩代わりしてやりたいと思っていたのかもしれない。
なのに……俺は……!
「ぜぇ……ぜぇ……はぁ……はぁ……」
走る。走る。走る。
ルカの艶やかな銀色の髪を、滑らかな褐色の肌を見逃さないよう、周囲に目を見張りながら。
銭湯でせっかく清めた全身が汗ばみ、下ろしたばかりのシャツが肌に張り付く。
それでも俺は、構うことなく太ももの筋肉にムチを打ち続ける。
自分に罰を与えるように。
太ももが破裂しそうになる。
運動不足の肉体が悲鳴をあげる。
それでも、ルカを失ったことによる、胸を穿つような喪失感の方が――その何十倍も苦しかった。
情けないことに――俺にはルカが向かったであろう場所にアテはない。
だからだろうか。
がむしゃらに走る俺の足は、無意識に銭湯の方へ向かっていた。
ルカと一緒に毎日歩いた道だからだろう。
あわよくば、ルカも俺と同じことを考えていて――あてもなく銭湯へ続く道を選んでくれていることを祈った。
「はぁ……はぁ……」
河川敷へ到達した所で、ついに体力が限界を迎えた。
額から顎へと落ちていく汗が、アスファルトへ落ちていく。
視界が滲むのは、汗が目に入ったからだろうか? それとも――
「――太陽くん……だよね?」
背後から声をかけられる。
「っ!? あ、あなたは……?」
そこにいたのは、段ボールの居城を構える河川敷の主――ホームレスのおじさんだった。
***
【ルカ視点】
――カサリ。
身じろぎをしたことで、お尻に敷いているボロボロの段ボールが、悲鳴をあげる音が鳴った。
ぼくは今、たいようの元を離れ、河川敷沿いに住んでいるホームレスのおじさんの家にお邪魔になっていた。
たいようがいなくても、ぼくは大丈夫なことを――たいように分かって欲しくて。
ホームレスのおじさんは、そんなぼくを快く受け入れてくれた。
「ん……」
この世界に来て最初に出会った人の顔を思い浮かべる。
とても優しい、ぼくにぽわぽわを沢山くれる人。
この世界は、ぼくの世界と違って、争いのない平和な世界だ。
だから、この世界の人は皆優しい。
誰かから奪わなくても、生きていくことが出来るから。
けれどたいようは、そんな優しい世界で、一際優しい人間だった。
たいようは、お日様と同じ名前を冠するように、ぼくにぽわぽわをくれて、心をぽかぽかにしてくれる。
たいようはきっと、自分が誰よりも優しい人間であることに、気付いていない。
――オムライスの卵を、綺麗に作れた方を渡してくれる時。
――眠っている時に懐に入りこむと、ぼくのためのスペースを開けてくれる時。
――髪を洗った後に、お湯が目に入らない角度からお湯を流してくれる時。
──たいようの膝のうえで寝てしまった時、たとえ寝たふりだとバレてても、優しく抱っこして布団に運んでくれる時。
――面倒くさいと言ってるのに、いつも丁寧にトイレ掃除している時。
きっと彼は無意識にやっているんだろうけれども――それは紛れもなく、たいようが持つ特別な美徳だった。
ぼくが笑うと、たいようも笑ってくれる。
その笑顔を見ると、ぼくはもっと嬉しくなる。
たいようの笑顔が見たいが故に、この世界にきてからぼくはよく笑うようになった。
マルガレーテが見たら、きっと驚くだろうな。
だからぼくも――そんなたいようにお返しがしたいと思っていた。
魔力の源は願い。
ああしたい、こうしたい――そんな願いが、魔法を生み出す。
魔法は人が人と寄り添うために作られたんだ――互いを助け合うため。
蜂の巣を駆除して太陽に褒めて貰ったとき、魔力が溜まった。
その時ぼくは、魔法の神髄について分かった気がした。
魔法とは人を幸せにする力。
誰かを幸せにすると、自分も幸せになる。
だから、幸せになると魔力が溜まるんだと、たいようと一緒に暮らしてきて分かった。
だからぼくも、たいように貰った魔力を、皆を幸せにするために使う。
そして何より――たいようを幸せにしたった。
なのに――それなのに、ぼくのせいで、たいようを不幸にしてしまった。
たいように怒られたかった、叱られたかった。
ぼくのせいで仕事をやめさせられ、ぼくのせいで新しい仕事が見つからないと――責任を追及して欲しかった。
にも関わらず、たいようはぼくをそっと抱きしめて、「ルカは悪くない」と囁いた。
優しくされたことが、1番苦しかった。
このどうしようもない苦しみから逃げたくて、たいように1人でも大丈夫だと証明したくて、ぼくはアパートから飛び出した。
「ん。たいよう……」
ずっとたいようのことばかり考えているからだろう。
たいようがそばにいないのに、花火大会の時みたいに、魔力が抜けていく気配はない。
ほら――たいよう。
ぼく、1人でも大丈夫だよ。
毎日お留守番できるよ。
もう泣かないよ。
だから――笑ってよ、たいよう。
たいようが幸せになってくれないと、ぼくも幸せになれないよ。
「――ルカッ!!」
「っ!? たい……よう……?」
ホームレスのおじさんのお家に、誰かが入ってくる。
おじさんじゃない……たいようだ。
「ルカ! 悪かった! お前の気持ちをないがしろにして、お前を信じてやれなくて……ごめんっ!」
たいようは、ぼくを力強く抱きしめた。
「(ああ……やっぱり、たいようの手は……あったかい……)」
温かい陽だまりに充てられた時みたいに、体がぽかぽかして、心がぽわぽわする。
「たっ……たいよう……っ! ごめっ! ……ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
ああ……ダメだ。
もう泣かないって決めたばっかりなのに……。
泣きたくないのに……。
たいようが探しにきてくれて、ぼくを見つけてくれて――涙が止まらないよ……。
嬉しくても涙が出てくるし、幸せなのに胸が張り裂けそうになる。
たいようと出会うまで、知らなかった感覚。
たいようはぼくに、沢山の感覚を教えてくれた。
その中でも――最も大きな感覚――初恋の感情を、ぼくはもう、押さえられない。
「ん。たいよう……すきっ! 大好きっ!」
「ル……ルカっ!?」
ぼくを抱き締めるたいようの唇に、自分の唇を重ねた。
その瞬間――
――ぽわぽわ。
――ぽわぽわぽわ。
――ぽわぽわぽわぽわ。
――これまで感じたことのない多幸感が、ぼくの心を満たした。
そして――ぽちゃん。
不幸になると死んじゃうぼくが――幸せすぎて死んじゃうという、矛盾した気持ちで満たされた時。
ぼくの体内に宿る魔力を貯蔵する杯もまた――完全に満たされたのであった。
「ルカ……お前……めちゃくちゃ光ってるぞ!?」
驚くたいようの頬を、両手で挟みこみながら――ぼくはもう1度告げる。
世界で1番大切な人へ送る――大切な言葉を。
「ん……だいよう……だいすきっ!」




