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31 ルカの家出

 ――ウィィィィィン。


 ――シャコシャコシャコシャコ。



 ようやく秋の訪れを感じるようになった9月半ば。

 本日の最高気温は28度。

 かなり涼しいので、今日の仕事は楽にこなせそうだぜ――と思いながら、台所のシンクで歯磨きをした後に、電動シェーバーでヒゲを剃る。


「(ん? 28度が涼しい……? おかしい、俺が子供の頃は28度は猛暑扱いだった気がする……)」


 馴れというのは恐ろしいものだ。

 隣で歯を磨いている異世界の巫女が、当たり前の存在になってしまっているのと同様に。


「ん。くちゅくちゅ……ぺっ」


 俺が電動シェーバーの電源をオフにするのと同時に、ルカもいちご味の歯磨き粉を吐き出し、口をすすぎ終えた。


「ん。たいよう、お口チェック、して」


「よし、今日も完璧だぞ!」


「ん」


 薄桃色の唇で縁どられた、ルカの小さな口内を観察する。

 歯並びのいい白い歯(多分乳歯)に、朝食のカスは見当たらない。


 ルカは当然の如く健康保険に加入していないからな。

 虫歯になったら治療費がバカにならない。

 まあ、ルカには自動回復魔法があるので、多分虫歯も自動的に治してくれるのかもしれないが――万が一に備えておいて損はないだろう。


「ん。次はたいようの、おヒゲチェック」


「おう」


 ――すりすり。


 両手を広げるルカと視線を合わせると、ルカが俺の首に腕を回してくる。

 そのままぷにすべのほっぺで、俺のカサカサの肌に頬ずりする。

 ルカの綺麗な肌を傷つける訳にはいかないので、毎日のヒゲ剃りに抜かりはない。


「ん。合格」


 朝の支度も完了し、アパートの駐車場に止めた社用車に乗り込んだ。

 現在時刻7時半。

 8時の始業時間までには十分に間に合う時間帯だ。


「今日は何かける?」


「ん。じぇいるはうす・ろっく」


「日本に来て3ヶ月でエルヴィス・プレスリーに到達するのは渋すぎるだろ」


 いや――めっちゃ有名だけどね?

 もしかするとルカは、あらゆる情報がデータで管理・監視された現代社会が、1つの大きな監獄であることを気付いてしまったのだろうか……?


 いや、多分昨日アマプラでブルースブラザーズ見てからからだな……と視聴履歴で分析。

 YouTubeでリクエスト曲を流して、軽快なロックをBGMにエンジンをかける。


 いつも通りの朝。

 けれども隣にルカがいるだけで、毎日が特別な日のように、充実した気持ちだった。


 ルカがいつ魔力が溜まり、元の世界に戻るのかは分からない。

 だからこそ、俺の人生に彩りを与えてくれたルカと過ごせる当たり前の毎日を、当たり前だと思わず、噛みしめるように過ごしていく。

 それは――俺にとってのパーフェクトな日々だった。


「ん。到着」


 時間通りに最初の現場に到着。

 助手席から飛び降りるルカに続いて、俺も車を降りて、職場に電話をかける。


「ウス。日比野っス。現場入りました、これから始業します」


『「あー、日比野――お前、今日でクビな」』


「…………え?」


 通話口から聞こえてくる、唐突な解雇勧告。

 俺は上司の声を聞いた瞬間、心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃に襲われる。


 クビを宣告されたからではない。

 その声が――通話口と一緒に、真後ろ(・・・)から聞こえてきたからであった。


 ぎ、ぎ、ぎ、ぎ――油を差し忘れたロボットのような、ぎこちない動きで、首を回す。

 俺と同じユニフォームを着て、不機嫌そうに顔を歪めた上司の姿が――そこにあった。


 特別で当たり前な日常が――壊れる音が響いた。



***



「マジ……かぁ……」


 本来であれば汗を流しながら町中のトイレを掃除している時間帯。

 しかし、晴れて無職の身となった俺は、自宅の畳の上で項垂れていた。


「た、たいよう……」


 ルカがおずおずと、控えめな態度で俺に声をかけてくる。


「ま、しゃーねーわな。トイレ掃除も飽きてきた頃合いだし、丁度いいタイミングだったさ。でもまあ、まずは大家さんに家賃を待ってもらえるよう土下座しに行かねーとな、ガハハ!」


 ルカに自責の念を与えないために、俺は可能な限り明るく振舞った。


 俺の解雇理由は至ってシンプル。

 仕事にルカを同伴させていたから。


 日本にも移民が増えてきたとはいえ、ルカの容貌は良くも悪くも目立ち過ぎた。

 トイレ清掃員が仕事中に子供を連れている――というクレームが会社に届いたのであろう。

 上司は真偽を確かめるべく、俺の現場に先回りしており、言い逃れできない物的証拠を押さえられ、晴れてお役目御免となった次第である。


 こうして元弊社の秩序は保たれたのであった。ちゃんちゃん。

 理不尽な解雇と言いたい所だが――どう考えても俺が悪い。


 会社に伝えてなかったからな。ルカのこと。

 まあ、伝えていたとしても、許可は下りなかっただろうが。


「ん。ごめんなさ――」


「よーし、午前中は休みを満喫して、午後は履歴書作って新しい職場を探すぞルカ!」


「…………ん」


 明らかな空元気。

 常に俺のそばにルカには、バレてしまっているだろう。

 けれども、ルカに責任感を抱かせないために、俺は明るく振舞い続けたのであった。



***



 ――証明写真を撮影し、履歴書を作って数日後。


『悪いけど、ウチは託児制度はやってなくてねぇ』


『え!? この子も一緒に……って? ムリムリ! ウチ接客業だよ?』


『いやー、そういうのは家族とか知り合いに預けて貰わないと。っていうか、この子くらいの大きさだと、小学校通ってるんじゃないの普通?』


『面接にガキ連れてくるとか常識ねぇのかお前! 不採用だよ!』



 ――全・滅!


 世間は暑くなったり涼しくなったりと、夏と秋を不定期に繰り返すような気候だが――俺の懐は日に日に寒くなる一方であった。


 採用面接で、ことごとく不採用通知を突きつけられ、精神的にクタクタになった夜7時。

 銭湯で汗を流して帰宅した俺は、畳の上で燃え尽きたボクサーのように項垂れていた。


 いやー、あれだね。

 面と向かって連続で不採用を付きつけられると、結構ダメージ来るね。


 だが落ち込んでいても腹は減る。

 とりあえず夕飯の準備をしないとなとな……とは思うも、なかなか体が動かない。


 ただでさえなんの資格も持っていない高卒を、進んで雇いたい会社なんかないのに、そこで外国人の子供を連れまわしながら仕事させてくださいという要求に、首を縦に振ってくれる経営者を見つけるのは、至難の技だろう。

 在宅ワークという手もあるが、そもそもパソコンすら持っていない俺に、何が出来るのか、トイレ掃除ばかりしてきた俺には、想像すらできない。


「たいよう……ぼく、留守番、できるよ」


「…………ルカ」


 採用面接で、その場で不採用を突き付けられた光景を、俺の隣で見ていたルカも、とても気分のいいものではなかっただろう。


 ルカは今日、銭湯の日課であるフルーツ牛乳を「喉が渇いてないからいらない」と言った。

 明らかに気を使わせてしまっている。


 その顔は――かつて両親と死別し、夕陽と一緒に引き取ってもらうのと引き換えに、高校卒業と同時に家を出て、夕陽の大学の学費は俺が全額出す――という叔父母と交わした約束を、夕陽に知られてしまった時の顔と酷似していた。


 子供に気を使わせるのは、あまりにも、胸が苦しい。

 俺だけが苦しむだけの方が、よっぽど楽だ。


「たいよう……」


 それでもルカは、俺をおもんぱかるように、そっと寄り添ってきた。

 長い銀髪が、俺のふくらはぎを撫でる。


「ルカ……後ろむいて」


「んっ///」


 背中を向けたルカの華奢な胴に腕を回し、抱きしめると、そのまま畳の上に横になる。

 ルカの優しさで泣きそうになった顔を、ルカに見られたくなかったから。


「本当だよ。留守番できる。たいようがいなくても、泣かない」


「……」


「たいようの代わりに、ごはんも作る。1人で買い物もできる。掃除もできる。大丈夫、大丈夫だから……たいよう、ぼくのこと、気にしないで、たいようが好きな仕事、探して……だから」


「ありがとな。その気持ちだけで元気が出てくるよ」


「ん! そうじゃない……!」


 背を向けるルカが、俺の懐の中で否定の〝ん〟を唱える。


「ルカは心配しなくていいからさ。ルカは悪くないから。ルカを見捨てたりは、しないから」


「違う! 捨てられたくないからじゃ、ない! たいようの……たいようのために、なりたいから……!」


「ルカ……っ」


 ルカは短い手足で暴れると、俺の腕を解いた。

 そのまま振り返って、俺の顔を見つめる。


 普段は表情の変化が乏しく、声もか細いルカが、紫の瞳に大粒の涙を溜め込みながら、大きな声で訴えてくる。


「たいようと……ずっと一緒に……いたいから……っ!」


 ポロリ。

 ルカの大きな瞳から、涙が零れた。


 熱い雫が、畳で寝そべった俺の頬に落ちる。

 ルカは、頬を伝う涙を乱暴に拭うと立ち上がる。


「1人でトイレも……行ける……!」


 普段はトイレに行くときも、俺のシャツを掴んでいたルカ。

 そんなルカが、1人でトイレに入っていき、パタリと――木製のドアを閉じた。

 数十秒後――トイレを流す水流の音が聞こえてくる。


「ん! できた!」


「はは、偉いぞ」


「だから、留守番できる!」


「で、でも……」


 ルカを信用していない訳ではない。

 だが――あの花火大会の日、ルカとはぐれた時、俺の胸は引き絞られるかのように痛みが走った。

 もう2度と、ルカにあんな思いをさせたくない。


 そんな俺のワガママが、ルカの成長を妨げてしまっている。

 あー、ダメだこれ。俺も泣きそう。


「俺もトイレ行ってくる。付いてくるか?」


「ん。1人で待てる」


 ルカを居間に残し、便座に腰掛け、心を落ち着ける。


「(世の中金が全てではないというけれど、金がないと、なんもできねーもんだよなぁ)」


 クビになったあの日から、ルカの体がぽわぽわと発光したのを見ていない。

 このままでは、ルカの世界は魔王軍の侵略で滅びてしまうかもしれない。


「(責任を放棄するのは、大人として失格だ。でも、ルカのために、ルカは俺といない方がいい。マルガレーテに相談して、他の保護者候補を探すように相談してみるか……)」


 3分くらい経っただろうか?

 そろそろ戻らないとルカが不安を覚えてしまうだろう。

 頬を叩いて便器のレバーを捻る。


「ルカ、待たせたな。めっちゃでけーウンコひりだしててよー…………お?」


 居間に戻る。

 しかし――寂しくてトイレの扉の前で待っていたと思っていた、ルカの姿はどこにもなかった。

 開け放った窓から流れてくる秋風で、カーテンだけが虚しく揺れている。


「ルカ!?」


 このアパートはかくれんぼをしようものなら、1分で決着が済む狭さだ。

 隠れられる場所など殆どない。

 にも関わらず、ルカの気配すら感じることが出来なかった。


「っ! こ、これは……!?」


 ローテーブルの上に、さっきまではなかった紙が置いてあるのを発見する。

 黒のサインペンで、ガタガタの文字が書かれている。



 ――さ、が、さ、な、い、で。




「ルカ、いつのまに文字を……」


 ルカの翻訳スキルは“音”にしか作用しない。

 つまりルカが独学で覚えて書いたということになる。


 そして手紙の内容と、ものけのからとなった部屋を見る限り――導き出される答えは。



 ――ルカが家出した。

今回のおまけAIイラストはルカです

挿絵(By みてみん)

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