第9話 美味しい美酒と、チーズと、他人の不幸 ~継母視点~
夜。
「ふっ、ふふふっ、ふふふはははははははっ!!」
ウェーバー公爵邸の一室で、私は思わず高笑いをしていた。
だって、今日は記念すべき『やっとこの家が完全に、私の物になった日』だもの。
祝杯を上げるのは当然よ!
グラスに深紅のワインを注ぎ、上に掲げる。
天井から吊り下げられた部屋のシャンデリアが、キラキラと深紅を輝かせていて綺麗だ。
「高いワインに、シャンデリア。柔らかなソファーに、美味しい食事。その上夫は仕事で、滅多に家には帰ってこない! 最高じゃない!」
言いながら、ワインを一口。
うん、美味しいわ。
「ここまでとても長かったけど、頑張った甲斐があるというものね」
凡人は大抵、子どもの頃に叶わなければ夢なんて諦めてしまうけど、私は違った。
――貴族に見初められて、いい生活を送る事。
平民では到底あり得ない夢を見て、仕掛けて、出会って、うまくやった。
お忍びでやって来た公爵の心を射止め、子どもにも入れ知恵をしたのがよかったのかしら。
「お父様が帰ってきたら、一番の笑顔で『お帰りお父様』と言って抱き着くのよ」
「我儘は言ってもいいけれど、一度言って断られたら引かなくちゃダメ。引いておけば、次のお願いは聞いてくれるんだから」
我が子・リズに何度もそう言い聞かせて、公爵はそれに素直に引っかかった。
リズは「とりわけ物わかりがいい」という訳ではないと思う。
でも、赤子の頃からずっと「お父様はお金持ちなのよ」「お父様の気分のいいように振舞っていれば、その時は損をして悲しい思いをしても、後々に幸せのおつりが返ってくるわ」と繰り返し言ってきた。
そして実際に、それで利を得た経験を踏んだ。
それ以降は特に、リズも味を占めたようだ。
そう思うと、「流石は血の繋がった私の子」とでもいうべきか。
自らの欲に素直なところが、あの子は私にとてもよく似ている。
まぁ、私の運も勿論あるわね。
だって、たまたま引っかけた貴族の妻が、重い病気だったなんて。
まぁ、そんな状況だったからこそ、辛気臭い家に帰りたくなくて、貴族なのに家にも帰らずに、外でこっそりと酒を飲んで遊んでいたのだろうけど。
子どもも自分の父親に対して、人見知りしていたみたいだったのには笑っちゃったわ。
まぁそれも、家に帰らない父親ともなれば、ある程度は仕方がないのかもしれないけど。
でもそんな子ども、公爵だって「可愛い」と思えないのは当然じゃない?
そう。
運も、諦めなかった自分自身も、何もかもが私の味方をした。
私が外で公爵との愛を十分に育んだ頃、妻だった女は死んだ。
公爵に「貴方と共に住みたい」「貴方の私生活も支えたいの」と言えば、公爵はすぐに私たちを屋敷に呼んでくれたわ。
ティアリスに初めて会ったのは、その時だ。
「あの……ティアリスと申します。よろしくお願いします。おかあさま」
写真で見た事のある公爵の前妻の面影が、とてもよく残っている子どもだった。
――この世の苦労に一度だって、触れた事のないような子どもね。
そう思えば、自然と視線は冷たくなった。
そんな私に、ティアリスは怯えた。
それで、私の加虐心にスイッチが入ったのよ。
――この子どもの表情を曇らせてやれば、一体どれだけ心が晴れるか。
惨めな目に遭わせてやれば、どんな顔をするのだろうか。
少しの好奇心も手伝って、私は彼女の心に『毒』を吹き込んだ。
「貴女のお母様は、貴女の事なんて、微塵も愛してなんていなかったわよ」
「貴女はお父様から見捨てられたの。だから食事もお風呂もなしよ」
「今日からこの部屋もドレスも全部、私の娘リズのものだから。今すぐすべて明け渡してちょうだい。え? 明日は友人が遊びに来る? そんなの貴女が病気になればいいじゃない」
彼女と外界との接触を断った。
彼女にみすぼらしい部屋を与えた。
人間扱いしなかったお陰で、どんどん彼女の髪は痛み体は汚れていったけど、それが何だというのかしら。
絶望していくティアリスは段々と私の言葉に慣れていき、傷つき涙するような事が減っていった。
そろそろつまらなくなった頃に、国から《《あの命》》が下された。
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――先日の夜会での公爵夫人の下位の家を虐げるような立ち居振る舞いに、国に対して虚偽の申告をした事による度重なる脱税。
それらの罰としてウェーバー公爵家には『10年の登城禁止』か『娘の魔王国への人質派遣』、そのいずれかを課す事とする。
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「まったく、失礼しちゃうわよね! 『下位の家を虐げるような立ち居振る舞い』って言ったって、あっちが私の言に沿わない事を言ったのが悪いんだし、脱税だって、単に申告漏れしただけじゃない。それに、今までは是正勧告が来るだけで、直せば問題なかったじゃない」
なのに何で今更。
この話を初めて聞いた時にはそう思ったけど、よくよく考えればむしろちょうどいい事に気が付いた。
罰として上がっている、『10年の登城禁止』。
これはされたら困るけど、選択肢はもう一つあったのだ。
――娘の魔王国への人質派遣。
魔王国といえば、人食い魔族たちの蔓延る結界内に建国された国だ。
元平民の私でも、『魔族が人間たちの国に対して敵意を持ち、いつ攻め入って蹂躙し、人間という名の食料を得ようかと、虎視眈々と狙っている』という話は知っていた。
ちょうど最近国内では、魔王国に生贄代わりの人質を出す案が上がっていた。
国王は人選に悩んでいたみたいだ。
それもあって、「そこにちょうどよく尻尾を出したウェーバー家が目をつけられたのだ」という噂話が社交界で、すぐに囁かれ始めた。
そんな場所に行けば、生きて帰ってくる事はできない。
だから普通の人はたとえ10年もの間でも、登城禁止を選ぶのかもしれない。
でも、我が家は違った。
だって、『ウェーバー家の娘』であれば、誰でもいいんでしょう?
うちにはおあつらえ向きなのが一人いるじゃない。
「ちょうど反応が薄くなってきていて、飽きていた頃合いだったのよ。手放すのに何の未練もないし、何ならこの話をする事で、もう少し反応が楽しめるようになるかも」
ウキウキで、私は夫となった公爵に『ティアリスの魔王国行き』を進言した。
元々公爵はティアリスに対して特別な愛着は持っていなかったし、私が『ティアリスは、”この家を出たい”と思っている』『”どうせ出るなら、今までの役立たずな自分を最後に家のために役立てたい”と言っている』と言えば、すぐに「分かった」という言葉が返ってきた。
公爵は信じたわ。
私の言葉だからね。
あと、元々みすぼらしくなっていくティアリスについて「自分は社交場に出たくない」「家の役に立つ事のできない人間が、貴族相応の暮らしをしているのが許せない」「そんな自分を自分で消してしまいたくならないために、旦那様には口出しをしない事を願っている」と吹き込んであったからね。
もしかしたら『たとえ可愛くなくても、血の繋がった娘に自死されては体裁が悪い』とでも思ったんじゃないかしら。
こうして公爵は国に返答し、晴れてティアリスはこの家から出て行った。
実質お咎めなしという、私たちの役に立つ最高の形で!
「最後のあの一言には腹が立ったけど、あれも最後の抵抗だと思えば『あれしか抵抗のしようがなかった可哀想な子』よねぇ」
直後には怒りで周りの物に当たり散らしていた私も、こうして時間も経ちよくよく考えれば、なんだか楽しくなってきたわ。
心がフワフワとするのは、ワインの酔いが回ってきたのか。
心の高揚感からか。
まぁそんな事、どちらでもいいわね!
「まったくもう。こんなに清々しいのなら、もっと早くあの子を追い出してやればよかったわ」
言いながら、私はワインを呷る。
えぇと、元々何故あの子を追い出さなかったんだったっけ……。
あぁそうだ。
「教会の枢機卿に『ティアリスは”福音”だから、手放してはならない』って言われたのよね」
別に、元々関わりがあった訳でもなければ、懇意にしていた訳でもない。
通りかかりに腕を掴まれ、急に言われた一言だった。
もし相手が枢機卿でなければ、王城の儀式で顔を見た事のない別の枢機卿であれば、変質者扱いしたかもしれない。
そのくらいの勢いで、真剣かつ切実にそう言われた。
だからこそずっと印象には残っていた。
――あんな子に、一体何の恩恵があるっていうのよ。
『福音』って、あれでしょ?
いい知らせ、みたいな意味の言葉。
あの子がいてもいい事なんて、今まで全然なかったわよ。
「やっぱり、他人の言う事は信じられないわね」
言いながら、おつまみのチーズを口にする。
平民時代には絶対に食べられなかった、上質な味わいが口いっぱいに広がった。
その味に、思わず口角が上がってしまう。
これこそ私が欲しかった、貴族の暮らしで贅沢だもの。
「ティアリスは、今頃もう食べられちゃっているかしら」
もし本当にそうなっていたとしても、良心なんて痛まなかった。
他人の、遠くの出来事だ。
所詮は、私事ではないのである。
◆ ◆ ◆
同時刻の教会にて。
祈りの間でいつも通り神に祈りを捧げていた枢機卿は、顔色を青ざめさせるのを通り越して、土気色の顔になっていた。
「な、何という事だ……」
言いながらわなわなと震えるその姿は、まるで天変地異の前触れでも予知してしまったかのようで。
「我が国から『福音』が消えた。このままでは、我が国は……!」
一人、苦悩に満ちた表情で逡巡した彼は、スクッと立ち上がり歩き出した。
この話を、一刻も早く報告せねばならない。
教会の最上位・元老院へ。
そして、自らの手で『福音』を死地へ追いやってしまった、この国の最高権力へと。
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