第8話 交渉成功! と思ったのに
時間のズレは、体感で半年か。
やっぱり先程ティアリスの母国の名に既視感があったのも、気のせいなどではなかったらしい。
ユグラーチカ帝国からグレンツェ王国までの距離はかなりある。
私は社交上必要だと判断して二度目の人生で『世界地図』と称されているものを丸暗記していたけど、ユグラーチカ帝国を中心に据えたその地図の中で、グレンツェ王国は西の端に位置していた。
その向こうは、『未知領域』と呼ばれる何があるか分からない場所だった筈だけど。
「その向こうにこの国があったのかな」
馬車で移動して人質を受け渡そうとしていたっていう事は、隣接しているかそれに近い距離なのだろう。
でなければ、そもそもドラゴンで迎えに来るにしても、あまりにも非現実的な距離すぎる。
……これは、喜んでいい状況なのだろうか。
私はそう、ちょっと考え込んだ。
三度目の人生では、現時点であまりにも情報が限られている。
そういう意味ではたとえ遠くの異国の地の知識であっても、常識があるに越した事はない。
でも、先程の最敬礼。
私はあれを『二度目の人生で得た癖』の延長線上で、半ば無意識的に行っていた。
私はあれを正しいと信じて疑わなかったけど、あの礼で魔王様たちが問題にした『胸の前で両手をクロスする』行為は、二度目の人生で間違いなく最敬礼の所作だった。
その、正解の所作を『生贄』と言われてしまった。
それはつまり、人間の常識や礼儀と魔王国のソレとの間には、大きな乖離があるという事なんじゃないだろうか。
つまり、無知だったら踏むはずのなかった地雷を、二度目の記憶があるからこそ踏んでしまう可能性があるんじゃあ……?
国家が違えば常識も変わる。
そんな事は、一度目の人生でも二度目の人生でもそれなりに感じた事があったけど。
「知識は使えるかもしれないけど、常識は一から積み重ね直し。それって逆に難しくない?」
「何か言ったか」
「いえ、何も!」
つい口をついて出た独り言を、慌てて取り繕った。
すると、魔王様の眉間にギュッと深く皺が寄る。
また怒らせちゃった?
もしかして、何か隠されたりする事に対して敏感な人なのかな。
「ではあの、魔王さま。恐れながら、一つわたしからお願いがあるのですが」
既に、当初話しかけた時に抱いていた疑問は、聞くまでもなく解決してしまった。
それでも相手に「遠慮していた事をやっぱり聞く事にした」と見せて隠し事がないように見せる方がよさそうだ。
そんなふうに判断し、別の事を――交渉をしてみる事にする。
すると、レイルがカッと激高した。
「ニンゲン如きが! 魔王様のお声を聞く機会に恵まれただけでも、泣いて喜ぶべき事なのに――」
「いい」
「しかし!」
噛みつかんばかりのレイルを、魔王様が横から制止する。
抗議の表情で食い下がったけど。
「お前流に言うのなら、『ニンゲン如きの話を聞く度量を示す事もまた、王の王たる威厳だろう?」
「……魔王様が、そうおっしゃるのなら」
魔王様の方が一枚上手だった。
……いや、この場合「レイルの扱いをよく心得ている」と言った方が正しいかな。
これは、魔王様を尊敬していればいる程、引き下がらざるを得ないような言葉だよね。
私も一度目の人生で、人柄の方向性こそ違うけど、気分屋で奔放な社長の行動とモチベーションを、どうにかしてうまく管理しようと頑張った身だ。
これがどれだけすごい事かは、身に染みて分かる。
この二人は、もしかしたら一緒にいる歴が長いのかもしれない。
なんて思っていると。
諦めたレイルが、ギンッとこちらを睨みつけてきた。
幼女に対して向けるには、あまりにもきつい眼光だ。
その目が「魔王様の気分を害する言葉を発する事は許さない!」と雄弁に語っていた。
でも心配しないでよ。
最大限気を付けるって。
私だって、まだ死にたくないもの。
私は小さく咳払いをした。
お願いしたい事は色々とある。
というか、知らない土地だし、家から出る時に何も持たされなかったし。
足りないものが多すぎる。
でも、何でも頼むのは印象が悪いし、優先順位が相手に伝わらないのは困る。
――こういう時は、優先順位を付けて『一番』を印象付けるのが大切だよね。
障りなく頼み方は、秘書時代に社長に何度もやってきて身についている。
二度目の人生で幾度となくしてきた駆け引きも相まって、相手を深く知っていなくても通用するという自信もある。
キーワードは『お願いは、大きく一つだけ』『相手にとっては小さなことから』だ。
「魔王さま。どうかわたしに――『城内での最低限の衣・食・住と、行動の自由』をください」
「衣食住?」
「はい。たとえば屋根があってできれば隙間風も吹かない部屋を」
今までのティアリスの住んでいたところは、屋根はあったけど隙間風ビュービューで、夜は寒くて仕方がなかったから。
「食は、せめて腐っていない、食べてもお腹を壊さない物を最低限」
今までのティアリスの食事みたいな、酷い物を食べ続けるのはできれば避けたいから。
「衣類は、着替えをいただきたいのです。洗うのは自分でやります! そのために、限定的でもいいので、室外への外出許可がほしいです!」
着替えも、今までは服を着たまま洗ったり、ひどく汚れたら脱いで洗ったりしていたけど、それだって寒かったし人目を気にせざるを得なかった。
そういうのは、できればナシがいいから。
外出許可の理由については、洗濯をするためというのは建前だ。
真の理由は、『この国の常識や情報を知る機会がほしいから』である。
普通に生きていくだけならば、衣食住があればいい。
けど、私は人質で、公爵令嬢で、魔族の国ではおそらく唯一の人間だからね。
『死なない』を目指すのなら、情報も政治もきっと必要になる。
でも、今の私には人脈が皆無。
なら、情報は足で稼ぐしかない。
何だかんだで今までは、半ば成り行きに身を任せてきたけど、そろそろ自分から助かりに行かないとね!
だから、『私の命の保証』をお願いするのはやめた。
そもそも命なんて重いもの、保証してもらうにはこちらから出せる見返りがあまりにもない。
物質的な物は不可能だ。
知識を交渉の天秤に乗せるとして、私は私が言う事に確信を持てるけど、相手にそれを信じさせる事ができる程の信頼関係は築けていない。
それを天秤に乗せるには、まず実績が必要だろう。
その点、衣食住の保証なら最低限だし、あちらも私に生きていてもらわないと主戦派とやらが増長して具合が悪そうだ。
どちらにしろ、自分たちのためにもとりあえず、私の存在は現状維持しておきたいだろう。
あちらが私のお願いを飲む意味はある。
魔王様が深いため息を吐く。
「人質の、しかもニンゲンとはいえ、そのような事もしないと思われていたとは、心外だな」
お?
という事は?
「レイル。用意していた部屋に案内してやれ」
魔王様が、身に着けていた黒いマントをバサッとさせながら、指示を出す。
その声を聞きながら、心の中でガッツポーズをした。
やった!
交渉が功を奏した!
そう思った、んだけど。
案内された部屋は、雨風をしのぐには十分すぎた。
勿論隙間風なんて一ミリも吹かないし、内装だってかなり凝っている。
むしろ、下手をしたら二度目の人生よりも豪奢で驚いたくらいだ。
出てくる食事は暖かい上に美味しいし、服なんて十着は用意してあるし、掃除も洗濯も――メイドの姿こそ見た事はないけど、気付いたらやってくれている。
正に、至れり尽くせり。
今までのティアリスの生活と比べれば「ここは天国?」と錯覚しそうになる。
……まぁ内装の見た目は、どちらかというと地獄だけど。
そんな中、叶わなかった事が一つ。
「魔王様より、外出は許可されていません」
扉を開けると、そこには今日も誰かいた。
顔は、ベールを付けていて見えない。
でも、体格とか声とかの感じ的に、多分毎日違う人だ。
なのに、皆まるで判を押したように同じ事を言う。
扉を開けても、その人に部屋に押し戻される。
私はムゥーッと頬を膨らませた。
こんなの軟禁じゃん!
情報収集も実績作りも、何もできないじゃんっ!!
こうなったら脱走するしかない?!
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