第5話 救世主は天使……なのは見た目だけで、性格:悪魔
唖然。
そう、唖然だ。
それ以外に、今の状況を説明できる適切な言葉を思いつかない。
いや、言葉なんて探している暇はない。
ギロリ。
その人が、こちらを見た。
目が赤い。
それが何を意味しているのかは分からないけど、普通の人間ではありえない異常な事だということは、常識的にというか、生理的にというか、直観的に、理解できた。
今まさに『死なない事を目標にする』と決めたばかりなのに、目の前にはそれを脅かす存在が迫っている。
私の中の警鐘のレベルが、ワンランク跳ね上がったような気がした。
私がジリッと小さな一歩で後ずさると、襲撃者の男がザッと大きな一歩で距離を詰めてくる。
距離はすぐに縮まってしまう。
慌てて近くの木の後ろに隠れるも、その木の幹にはすぐにバキッという音と共に穴が開いた。
その穴からは、御者の首を跳ね飛ばした血濡れの手が生えている。
錆びた鉄の臭いがツンと鼻についた。
悲鳴を上げる余裕さえない。
小さな体で必死に逃げる。
息が上がる。
すぐに酸欠になって、生理的に涙が滲んで――。
遠くで、バサッという音がしたような気がした。
それが気のせいなんかじゃないと分かったのは、一拍遅れて強風が吹き荒れたからだ。
私が吹き飛ばされなかったのは、木の陰に隠れるような形になっていたからかもしれない。
目の前の襲撃者が風に吹き飛びそうになっている中、私は必死に幹にしがみつきながら空を見上げた。
そして、思わず驚愕する。
そこにあったのは、漆黒の堅い鱗。
ぎょろりとした大きな目。
爬虫類のような見た目の巨体。
ドラゴンだ。
太い手足に鋭い爪の、人では抗いようのない、天災のようなソレの背にはよく見ると人影がある。
「ふんっ、そそのかされてすぐに堕ちる下等生物め」
下りてきた声は、吐き捨てるような声色だった。
中性的な音色で、容姿もその印象によく倣っている。
傲慢な言葉に似合う冷たい表情も、打ち消してしまう程の美形。
背に灰色の翼を持つその姿は、翼さえ純白ならば『天使だ』と言われても疑わない美しさだった。
幾らか吹き飛ばされた襲撃者にも、彼の声が聞こえたのだろうか。
赤い目に怒りを滲ませて「オォォォォォォーッ!」と、人の喉から出るには正気を失い過ぎている雄たけびを上げた。
そして、地を蹴り飛び上がる。
大きなドラゴンの背に乗ったままの『天使』に向かって襲い掛かる事ができたのは、襲撃者の背にもまた翼が生えたからだ。
その翼は、漆黒の蝙蝠羽だった。
言葉にならない声を上げているその口からは、歯がギザギザと牙のようになって生えている。
が、噛みつかんばかりのその様相は、『天使』の片手で簡単に止められた。
真正面から襲い掛かってきたその頭を、バスケットボールを片手で握る時と同じように握り――。
「還れ」
短いその言葉に答えたように、人型だったソレがサラサラと砂になった。
残ったのは、静寂だ。
まるでそこには最初から何も存在していなかったかのように、襲撃者はいなくなり。
「ふんっ、思ったより被害が少ないのは、そもそも母数がいなかったからか」
彼の目が、御者だったモノと壊れた空の馬車を見た。
馬車は、先の突風を受けてか、屋根が吹き飛び半壊している。
馬車に繋がれていた筈の馬は、その時の衝撃で解き放たれたのか、既に脱走した後だった。
――助かった……?
そう思った瞬間、『天使』と目が合う。
「調査通りではあるが、まさかここまでちっぽけで汚らしいニンゲンだとは」
あ?
今なんかものすごい威力の嫌味が、その口から発せられたような気がするんだけど――?!
『天使』が、「やれ」と言った。
それに答えて動き出したドラゴンが、顔をかがめて私を覗き込んでくる。
こ、怖いっ!
パックリと開いた大きな口にはギザギザの大きな歯が沢山付いていた。
食べられるっ!
逃げようとした。
が、間に合わなかったのだろう。
首がグッと軽く詰まった。
このままパクリと……されない?
反射的にギュッと瞑った目を恐る恐る開けてみると、目の前にはプラーンとなっている自分の手足と、遠い地面が。
辺りを見回した。
体が宙に浮いている。
いや、何かにつり下がっている……?
慌てて見上げると、そこにはドラゴンが、大きな口で器用にも私の服――主に背中の部分を摘まむように咥えているのが見えた。
「どういう状況? ……うわっ?!」
ドラゴンが羽ばたいた。
その風圧と、更に感じる急激な浮遊感に、一瞬心臓がヒュッとなる。
それが一瞬で済んだのは、より危機的な状況になったからだ。
飛び立ち始めたドラゴンが空を駆けるそのGが、小さな体に容赦なく襲い掛かってくる。
か、体潰れる……!
息ができないほどの圧迫感を感じた、その時だ。
パチンッ。
そんな音と共に、フッと体に掛かっていた苦しさが消え失せた。
音の方に目をやれば、私をゴミでも眺めるような目で見ていた『天使』が小さく馬鹿にしたように笑う。
今彼が何をしたのかは分からないけど、これはアレだ。
一度目の人生で私の見た目や学歴を見聞きして「これが秘書」と鼻で嗤う人と、同じ種類の蔑みだ。
その時は、それまでに私の中に蓄積されていた『失礼な態度』へのフラストレーションが、とうとう限界を迎えたのだ。
ブチギレた挙句に「『秘書』っていう名前が付くからって、美人高学歴秘書しか連想できない、その貧困な想像力の方が可笑しいわっ!」と言い返した。
あとは「学歴と顔だけで仕事のできる・できないが決まると思うなよ?!」とも言ったかな。
そんな私を見て大爆笑で「うちの秘書、すごいでしょ! いいでしょ!!」と自慢するような人間じゃなければ、クビになっていてもおかしくなかったと思う。
うちの社長、懐が広いタイプの変人だったのだ。
因みに私はあの時の事を、まったく後悔していない。
こういうのは最初が肝心なのだ。
社長秘書が、他者の社長秘書やお付きの人から舐められたら仕事にならない。
社長同士のアポイントメントのやり取りとかって、大抵は秘書同士でするものだし。
その度に嫌がらせをされたり、一々下に見られていれば、仕事的にも、私の精神衛生上も悪い。
何よりも、私が侮られるという事は、会社全体が侮られるという事なのだ。
会社の顔として、連絡面においては社長の代理であるという自覚があるからこそ、言い返す必要があると思ったのだ。
社長に聞かれたのでそう答えたら、社長はまた楽しそうに大爆笑していた。
「お前それ、どっちかというとヤンキー的な思考だぞ?」
「私、生まれてこの方グレた事なんて、ただの一度もありませんけど」
そう答えたらまた爆笑で、その日は呼吸困難になっていたし、三日後には腹筋の重度筋肉痛にもなっていた。
その頃のメンタルは、二度目の人生を挟んだ今も変わらずにある。
つまり「最初からこうして負担を消す手段を持っていたくせに、間違いなくギリギリまで私を苦しめて遊んでいた」と分かる相手に、何が言いたいのかと言うと。
「まるで悪魔のように陰湿な嫌がらせ、ありがとうございます」
私がネコを被らずに私のままでこれに対処すると、絶対にこうなる。
ニコリと笑いながらそう思ったところで、『天使』の表情がピクリと引き攣った。




