第25話 最後に叫ぶ名は
見た事のある洞窟の入口に、何の躊躇もなく駆け込んだ。
少し前に子どもに無配慮だった魔王様たちの歩みに恨めしさを抱いたのと同じ道を、息を切らして駆け抜ける。
子どもの足だ。
速度なんて高が知れている。
それでも私は歩みを止めなかった。
最早息も絶え絶えだったけど、だから何だというのだろう。
今危険度が高いのは、息が吸えない私じゃなくて、中にいる作業者かもしれないのだ。
繋いだ手が離れないように強く握りしめた。
そうして穴を突き抜けて、広がった景色を見回した。
「あそこ!」
ミディーナが言う。
指をさす。
そこにはたしかに洞穴があった。
そこに、今正にコソコソと入っていこうとする人影が見えた。
「だめっ!」
叫ぶが、聞こえていない。
周りで行われている採掘音に、息も絶え絶えな私の叫びなんて、容易にかき消されてしまっている。
――行かなくちゃ。
声が届かないなら、物理的に行って止めるしかない。
私は、握っていた手を離した。
最後の力を振り絞って真っ直ぐ走り出す。
もう、今走れれば、最悪足がもげてもいい。
「ティアリスちゃん!」
私を呼ぶ声を置き去りにして、走る。
走る。
転び……そうになって、手をついてギリギリ回避して走る。
足場が悪くても、足が重くても、進まなければ辿り着く事はできない。
それを、自分の中のたった一つの世界の真理にして、走った。
そして。
「っ、だ、だめ……!」
躊躇なく横穴の中に入った。
その突き当りにたどり着いた。
声が殆どでない代わりに、届いた手で止めようとした。
非力だけど、触れられた感触はあったのだろう。
私より少し大きなゴブリンがこちらを振り向き、そして「止めないでくれ」と手を振り払う。
「領主様のご命令なんだ! 俺たちは、労働層だ。雇われる立場だ。家族を養わなきゃいけない。命令に背いてこの職場を追放されたら、劣悪な環境が待っている。命令違反を命で償わせられる事になったら、置いて行かれた妻はどうやって生きる……!」
だから、やらねばならないのだと彼は言った。
そうして、つるはしを振り上げた。
振り払われた衝撃でポテンと尻もちをついた私の手は、もう彼には届かない。
一度は届いたのに、ギリギリ間に合ったのに、私には彼を止める力がなかった。
彼の思いを、背負っているものを、たかが言葉一つで変える事なんて、できなかった。
振り下ろされたつるはしが、カァンという音を立てて壁を叩いた。
その僅か一撃で、壁にビシビシビシッと大きな亀裂が走った。
ミシミシという音が鳴る。
バキッ、サラサラと音が鳴る。
それが一体何を示す音なのかは分からないけど、流石の私でも今までこの採掘場内でしていた、カァンカァンという採掘音とはまるで違う事くらいは、簡単に理解する事ができた。
「っ?! おい、そこに誰かいるのか! まさか、採掘を! あれ程やるなと――」
横穴の外から焦った声がした。
おそらく、広場にいた作業者のうちの何人かが、事態を正しく察知したのだろう。
怒号による避難誘導が聞こえてくる。
つるはしを振り下ろした当の本人は、まさかここまで劇的な変化が起きるとは思ってもいなかったのか。
驚きにか、恐怖にか、固まっていた。
その隣に座り込んでしまっている私は、ここまで全力疾走した体力の限界のツケが回ってきていた。
疲労がピークを越えて、足に力が入らない。
何もできない……いや、まだ……!
最後の力を振り絞る。
足に渾身の力を入れて這いずって、固まったゴブリンのボロ布の服を引っ張った。
彼は、たったそれだけでへたり込んだ。
これでへたり込んだ人影が二つ。
状況は、悪化したように見えなくもない、けど!
「身を低くして! できるだけ丸まって、うずくまって! 頭を守る!!」
走ってくる時に懸命に吸った息のせいで、喉が焼けるように痛かった。
砂埃に、思わずせき込みそうになる。
それでもせき込んでいては言葉が伝わらない。
根性で耐えて最後まで力の限り叫んだ。
今度は、声が届いたようだ。
彼は可能な限り体を小さく丸め、頭を守る態勢になる。
私は、その上に覆いかぶさるように身を晒した。
何でそんな事をしたのかというと――そんなの知るかっ!
考えている暇なんてなかった以上、何となく、咄嗟に、つい。
そんなところだ。
できる事をすべてやって、もうこれ以上はできなくて。
そうなった瞬間に、地揺れが大きくなった。
頭上でバキッという、一際大きな音がした。
見えてはいない。
でもそれが何か、想像できない程馬鹿じゃない。
その瞬間に、思い出した。
――そういえば、今世の私は『死なない事』を目標にしていた筈なのに。
何でこんな事になったのか。
目標は達成できないのか。
もう終わるのか。
そう思った時、枯れた声で最後の悪あがきをした。
「魔王さまっ!」
目をギュッと閉じて、衝撃を覚悟して、それでも力の限りその人を呼んだ。
瞬間。
ブワッとものすごい勢いで風が吹き抜けた。
すぐ近くで轟音が響いている。
……でも、痛くない……?
既視感があった。
ゆっくりと目を開ける。
見覚えのある黒いマントが、ひらめいていた。
「お前はここで、何をしている」
「魔王さま」
見上げれば、そこには眉間に深いしわを刻んだ、魔王様の顔があった。
その向こうで、私の頭上に降り注ぐ筈だった無数の岩塊が、まるで魔王様の発する圧に負けたかのように、魔王様を取り巻く半径三メートルくらいの範囲に入った瞬間にバラバラと砕け散っている。
その轟音の中でも尚魔王様は、先日の王城の廊下の時と同じく、眉間にしわを寄せ――心配の目で私を見ていた。




