俺の理由を、君は
あいつがいなくなってから、三日が経った。
特に、問題はない。炊き出しはいつも通り続けている。食材の調達も、少し効率は落ちたが致命的ではない。以前のように戻っただけだ。
……そう、問題はない。
「次」
器を差し出してきた男に、スープを注ぐ。
礼を言われる。それに対して頷く。
それだけだ。いつも通り、変わらない。変わるはずがない。
……本当に?
一瞬、手が止まりかけるが、すぐに動かす。ダメだ、何も考えるな。
無駄な思考は、効率を落とすから。
最初から、こうだった。
俺は、昔から損得で物事を考える。そうしないと、生きていけなかったから。
ある港町の商会。農業に関する商売をやっていた商会で、その商会長の三男として生まれた俺は、最初から〝数に入っていなかった〟。
長男は跡取り。次男はその補佐。そして、俺は余り。
誰も俺に期待していなかったし、俺も誰かに期待することはなかった。ただ、家にある本を読んで、兄たちが父たちから商売について教えられているのを邪魔しないように見てただけだった。
俺が五歳の頃、魔王と呼ばれる者の行いにより、国全体で殆どの作物が不作になった。
農業に関する商売をしていたこの商会も、もちろん無関係ではない。
店の空気が変わる。父の声が荒くなる。補佐たちの笑い声が消える。兄たちの態度も悪くなる。
やがて、俺は屋根裏に押し込められた。理由は簡単だ。俺の存在自体が、邪魔で無駄だから。
与えられるのは、一日一つの、黒くて硬いパンと水。それだけ。後は放置だった。
最初は、怒りもあった。悲しさもあった。でも、すぐに消えた。
考えても意味がない。ただ、それだけだった。
七歳のとき、全部終わった。ついに借金を返せなくなったみたいだった。闇の方まで手を伸ばしていたらしいから、その報復は凄まじいものに決まっている。
騒がしい音。怒鳴り声。何かが壊れる音。
俺は、ただただ屋根裏の隅で、じっと震えているだけだった。
そのあと、静かになった。
誰もいなくなった。
屋根裏から出ても、何もなかった。
「……そっか」
それだけで、終わりだった。
そのときだ。
気づいたら、目の前に〝それ〟がいた。
それは、『神』だと名乗った。
「お前に『神の祝福』を与える」
意味がわからなかった。
「炊き出しを行え」
さらに意味がわからなかった。
説明は、一方的だった。
「お前に与えた『神の祝福』を使用して善行を達成したら、『善行ポイント』が増える。それを貯めていけば、死後幸せな生活をおくれるだろう。しかし、ポイントが少なかった場合、罰として死後辛い制裁が待っていることだろう」
「……色々聞きたいことはあるが、まず〝炊き出し〟とは?」
「炊き出しとは、様々な事情により食事をすることが困難な人々に対して、料理を無償で提供することだ。残念なことに、この世界では生まれなかった考え方だが」
「……ふざけてるのか」
そう言ったのを覚えている。納得できるはずがない。無償で誰かを助けるなど。
なぜ俺がそんなことを。そんなもの、豊かな者たちがすればいいじゃないか。
そんな俺の問いに対しての返答は、『神』らしいものだった。
「裕福な者は、多かれ少なかれ世の中へ良い効果を与えている。
例えば、多くの金銭を持っているなら、高額の買い物をして市場へ沢山の金銭を流している。それが増えていくと、従業員などの給料も多くなり、その者たちも金を市場へ落とし、好循環を作り出す。
だが、お前のような不幸せな者たちは、例外はあれど大体が罪を犯し世の中を悪くしている。
だからこそ、そのような者たちにも世の中を良くするための行動を起こさせるのだ。
ほら、お前は数百年も前に存在した勇者アレクの物語が好きだったのだろう? その者も我が祝福を与えた一人だ。其奴の過去はどうだった?」
「……勇者アレクの強く固い勇気の原点は、魔王により故郷を滅ぼされた頃に遡る……」
幼い頃からずっと読んできた物語。そこに書かれてある文が、意識せずとも口から出てきた。
「そう。アレクの過去もお前と同じく、不幸せなものだった。だから我は、その当時故郷を滅ぼされたことで自暴自棄になりそうだったあやつに『神の祝福』を与えたのだ。その結果はどうだ。あやつは見事当時の魔王を打ち倒し、世界に平和を与えた。それこそ、『神の祝福』の効果である」
神はずっと、俺の方を見ている。
「善行は、義務だ。お前のような存在にはな。そして、お前のような者ほど、『神の祝福』をするだけの価値がある」
価値。その言葉に、少しだけ引っかかった。だが。
「やらなければ地獄だ」
その条件だけで、俺には十分だった。
選択肢はない。なら、やるだけだ。
ただ、一つ条件があった。それは、「この祝福のことは他者に知らせてはならない」ということ。
なぜ知らせてはならないのか分からないが、まあ俺がわざわざ言うこともないだろう。そのペナルティも重いものだということしか、俺には分からないが。
そして神から、最初はこれを見たらいいと『炊き出し』に関する〝本〟を渡された。
その中には、本当に様々なことが書かれていた。炊き出しに関する知識、調理法、そして〝ポイントの増減〟。
本を開けば、俺の善行ポイントが分かる。今、どれだけ積み上がっているか。何をすれば増えるか。何をすれば減るか。
それだけで、十分だった。
俺は、炊き出しを始めた。
最初は、失敗ばかりだった。まず食材が無い。頑張って用意できても、量が足りない。一人一人に渡す配分が悪い。〝炊き出し〟という行為が理解されなくて、人が集まらない。周知出来たら、今度は人が集まりすぎる。
でも全部、次第に解決できた。本に書いてある通りにやればいい。
感謝の言葉? 意味はない。
笑顔? 関係ない。
必要なのは、効率と結果。
それだけ……のはずだった。
「あたしも連れてって」
あいつが現れたのは、ある集落から次の地域へ向かう途中だった。
道のど真ん中で倒れていたから、助けるほか無かった。素早くお粥を作って持っていき、側に置いたが、全然動かない。動けるだけの体力すら残っていなかったみたいで、仕方なく俺が一口ずつ与えていった。
動けるようになったあいつの話を聞いて抱いた印象は、〝使える〟だった。
戦闘能力がある。食材調達に役立つ。だから、拒否しなかった。それだけだ。
「ルカにゃん」
変な呼び方に無駄な会話。効率が落ちる。
だが、排除するほどでもない。それだけの存在だった。
そのはず、なのに。
「これ、なんか知ってる味な気がするにゃ」
あいつは、そう言った。豚汁を食べて、〝知っている〟と。
ありえない。その知識は、本で得たものだ。この世界のものではない。なのに、理解している。
「……気のせいだ」
そう答えた。
深く考える必要はない。〝例外〟は、無視すればいい。だが、
「また来てね!」
そう、子どもに言われたとき。あいつは、横で何か言っていた。
「もっと嬉しそうにすればいいのににゃ」
意味がわからなかった。
必要ない。そういうものは、効率に関係ない。
……本当に?
「あと三分で終わる」
計算は正確だ。無駄はない。それでいい。それで、いいはずだ。なのに。
三日前。
「わけわかんないにゃ!!」
あいつは、そう叫んだ。理由も、動機も、全部理解できないと。
日本のことも知っているようだった。俺は本を読んでその存在を知っていたが、なぜあいつも知っているのか分からなかった。でも、問いかけなかった。かわりに、俺はいつも通りの返答をした。誤魔化すかのように。追求を躱すように。
『神の祝福』については、他者に伝えられないからだ。今まであいつの問いかけに全て同じ回答をしたのは、そのためだ。だからこの時は、初めてこの制約が鬱陶しく感じた。
そして、あいつは去った。止めなかった。
止める理由がない。そう判断した。それだけだ。
……それだけのはずだ。
「次」
スープを注ぐ。笑顔に、感謝。変わらない光景。だが、
「……あ」
気付く。いつもと、違う。
何が? わからない。ただ、少しだけ、
〝足りない〟
そんな感覚。
……効率が落ちている?
俺は炊き出しを行いながらも、片手で本を開ける。
いや、違う。数値は問題ない。ポイントも想定通りの量で増えていっている。内容も問題ない。すべて、順調。だから、このままでいいはず。なのに。
「……なんだ」
思わず口の中で呟いてしまう。
わからない。それが、ものすごくむず痒い。
そのとき。
料理を渡した子どもが、笑った。嬉しそうに。その笑顔を真正面から浴びて、一瞬だけ、手が止まった。
「……ああ」
理解した。
「そうか」
〝効率〟の問題だ。
笑顔があった方が、配布は円滑になる。笑顔だと、人々は安心を覚えるからだ。そして満足度が上がれば、混乱も減る。だから……
「……そういうことか」
納得する。ただ、それだけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
……本当に?
「ルカにゃん」
不意に、声が蘇る。
「君さ」
「ほんとに、それでいいの?」
思考が、止まる。あいつの声が、聞こえた気がした。
……必要ない。
考える必要はない。俺は、正しいことをしている。効率も、結果も、問題ない。なら、それでいい。……なのに。
「あいつがいないと」
ぽつりと、言葉が漏れた。すぐに口を閉じる。無駄だ、そんな思考は。……だが。
消えない。
「……」
視線を落とす。手の中の本。増えていくポイント。確実な結果。それでも、
「……違う」
何かが、何かが噛み合っていない。
「……俺は」
言いかけて、止まる。その先は、言葉にならなかった。できなかった。
「……」
しばらくして、本を閉じる。前を見る。
まだ、列は続いている。やるべきことは、ある。
だから、それをやる。それだけだ。それだけで、良い。
「次」
いつも通りの声で言う。
それでも、ほんの少しだけ。前よりも、ほんの少しだけ。その声は、柔らかくなっていた。
「……俺の理由を」
ぽつりと、呟く。その先は、出てこなかった。
わからないからだ。自分でも、理解していないからだ。
でも。
「……いい」
それでいい。わからないままで。
そう、思った。




