わけわかんないにゃ!
その日は、最初から空気がおかしかった。
炊き出しの準備をしている最中も、なんとなく落ち着かない。人のざわめきが、いつもより大きい気がする。
「……なんか、変にゃ」
「そうか?」
ルカにゃんは、いつも通りの声で返す。鍋をかき混ぜる手も、止まらない。
「人、多くない?」
「多少な」
嫌な予感がした。
「……今日はやめといた方がいいんじゃにゃい?」
小さく言う。でも、ルカにゃんは首を横に振った。
「食べるものがないやつがいる以上、やらない理由にはならない」
即答だった。
またそれ。この人数は、〝多少〟で済ませる量じゃないと思うんだけど。
遠くの方で、誰かが怒鳴ってる声も聞こえる。しばらくして、列ができ始める。
でも、様子がいつもと違う。
順番を守らないやつがいる。押し合いになってる。
「押すなよ!」
「早くしろ!」
「こっちは何日も食ってないんだぞ!」
怒号が飛び交う。
「……ねえ、これやばくない?」
「問題ない。順に配れば収まる」
ルカにゃんはそう言って、いつも通り声を上げた。
「順番に並べ。全員分は用意してある」
その言葉に、一瞬だけ静かになる。
でも、
「嘘つけ!」
「足りるわけないだろ!」
誰かが叫んだ。その一言で、空気が変わった。
「だったら先にもらった方がいいだろ!」
「奪え!」
一気に、列が崩れる。人が前に押し寄せてくる。
「っ、ルカにゃん!」
あたしは咄嗟に前に出る。ぶつかってくる人を押し返して、鍋に近づけないようにする。
「下がれにゃ!!」
声を張り上げる。でも、人は止まらない。
怖いんだ、みんな。
「落ち着け!順番に……」
ルカにゃんが言いかけた、そのとき。
誰かが、鍋に手を伸ばした。
「触るな!!」
思わず、その腕を弾く。その反動で、男が尻もちをついた。
「……っ、お前、獣人のくせに!」
その一言。そのギラリとした目つき。
空気が、凍る。
「こいつがいるから独り占めしてんじゃねぇのか!?」
「そうだ、どうせ裏で食ってるんだろ!」
「偽善者が!」
偽善者。
その言葉が、やけに強く響いた。
「……違うにゃ」
思わず口に出る。
「この人は……」
言いかけて、止まる。
あれ? 〝この人は何?〟
助けてる人? いい人? 優しい人?
……ほんとに?
一瞬、言葉が詰まる。その隙に、また誰かが鍋に手を突っ込もうとする。
「やめろにゃ!!」
叩き落とす。今度は、強く。
「っ、いてぇな!」
「近づくにゃって言ってるでしょ!!」
怒鳴った瞬間、自分でもびっくりするくらい、感情が出てた。
そのとき。横から、静かな声がした。
「……やめろ」
ルカにゃんだった。
「全員分あると言っている」
「信用できるかよ!!」
怒鳴り返される。
「だったら証明しろ!」
「お前が全部食ってないってな!」
……その瞬間。
あたしの中で、何かが繋がった。
夜の、黒いパン。薄いスープ。
……あ
「……食ってないにゃ」
ぽつりと、呟く。
「は?」
周りがざわつく。
「この人、自分ではちゃんとしたの食べてないにゃ」
みんなの視線が、一斉にルカにゃんに向く。
「夜に、硬いパン一個と、残り物だけにゃ」
「……は?」
誰かが、間の抜けた声を出す。
「嘘つくなよ」
「そんなわけあるか」
「ほんとにゃ!!」
思わず叫ぶ。
「だったら見せろ!」
誰かが言った。
……まずい。そう思ったときには、もう遅かった。
何人かがルカにゃんに詰め寄る。荷物を漁ろうとする。
「やめろにゃ!!」
止めに入る。でも、数が多い。
そのとき、ルカにゃんが、静かに言った。
「……いい」
あたしの動きが止まる。
「見ればいい」
そのまま、自分の袋を差し出した。中から出てきたのは。
黒いパンと、少量の乾いた食材だけ。
「……ほんとだ」
誰かが呟く。空気が、一気に変わる。
さっきまで怒ってた人たちが、黙る。気まずそうに視線を逸らす。
「……悪かった」
ぽつりと、誰かが言った。一人、また一人と、列に戻っていく。騒ぎは、収まった。
でも。あたしの中は、全然収まってなかった。
炊き出しが終わったあと。人がいなくなってから。
「……なんで言わなかったにゃ」
静かに、ルカにゃんに聞く。
「言う必要がない」
いつも通りの、答え。素っ気なくて、説明不足で。
「あるにゃ!!」
思わず声が大きくなる。
「言えばよかったにゃん!! そうすれば疑われなかったのに!!」
「それは、本質じゃない」
「え?」
ルカにゃんは、こっちを見ないまま言う。
「疑うやつは、何を見ても疑う」
「……だから何にゃ」
「関係ない」
その一言。
「……っ」
もう、限界だった。
「君さ」
震える声で言う。
「ほんとに、なんなのにゃ」
ルカにゃんが、こっちを見る。
赤い目。何も映ってないみたいな目。
「炊き出しだってそう! なんでやってるのかもわかんないし、感謝されても嬉しくなさそうだし、なのに自分はこんなご飯で」
言葉が止まらない。
「それで平気な顔してて。全部、全部」
「わけわかんないにゃ!!」
叫んだ。人生で一番大きな声を出した。
静寂が、辺りを包む。
息が、荒い。
「……君さ」
一歩、近づく。
「前の記憶、あるんじゃないの?」
言った。ついに。
「日本って、知ってるでしょ」
ルカにゃんは、一瞬目を見開く。絶対に知ってる反応だ。でも。
「……なんの話だ」
その一言で。全部、崩れた気がした。
「とぼけないでよ!! 豚汁とか!! やり方とか!! 絶対に普通じゃないにゃ!!」
「……本で読んだ」
あたしから、視線を逸らす。また、それ。
「そんなわけないでしょ!!」
「事実だ」
即答。冷たく突き放すような、声。
「〜〜っ!」
胸が、ぐちゃぐちゃになる。
信じたいのに。信じられない。
「……もう、いいにゃ」
力が抜ける。
「君のこと、わかろうとしたのがバカだった」
ルカにゃんは、何も言わない。
「勝手にやってればいいにゃ」
あたしは背を向ける。
「もう知らない」
そのまま、歩き出した。
止める声は、なかった。




