最終話:任命
祭りの熱狂と、語ることも出来ない熱い一夜が明けた朝。
アルフレッドは、いつものバーテンダーの制服に身を包み、居住まいを正してロズウェル子爵の私室を訪れていた。
「――入れ。待っていたぞ」
重厚な扉を開けると、真新しい子爵の紋章が刻まれた執務机の奥で、ロズウェルが柔らかな笑みを浮かべていた。
アルフレッドは深く一礼し、顔を上げる。
「子爵閣下。昨晩は……」
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう、アルフレッド殿。いや、アルフレッド。昨晩の報告は、娘たちからとっくに受けているよ。二人とも、朝から顔を真っ赤にして浮き足立っていてな。父親としては少し寂しいが……これほど嬉しい日はない」
子爵は立ち上がり、アルフレッドの肩にポンと手を置いた。
「フェリシアを救い、この領地を救い、王都の理不尽すら退けたお前だ。お前を『息子』と呼べることを、私は心から誇りに思う。娘をどうか、末永くよろしく頼む」
「……はい。俺の命と、料理人としての全てを懸けて、必ず幸せにします」
二人の男は、固い握手を交わした。
身分の差など、そこには一切存在しなかった。互いへの深い敬意と信頼だけが結んでいる、確かな絆だった。
「さて、義理の親子としての挨拶はここまでだ。……ここからは、子爵としての『仕事』の話をしよう」
子爵は机に戻ると、引き出しから羊皮紙の束を取り出し、アルフレッドの前に置いた。
そこには、国王の正式な印が押されている。
「これは……?」
「先日の陞爵に伴い、国王陛下から新たに賜った領地の権利書だ。ここから馬車で半日ほど下った場所にある、澄んだ水源と手付かずの自然が残る美しい土地だよ」
子爵はアルフレッドの目を真っ直ぐに見据えた。
「結婚祝いだ。この新領地を、お前に預けたい」
「えっ……!? いや、いくらなんでもそれは……! 俺はただの料理人で、領地経営なんて――」
「安心しろ。統治や開拓の指揮、面倒な徴税や書類仕事は、全てこちらから優秀な文官を派遣して引き受ける。お前には領主としての責務など何も強いない。しかし誰も言うことを聞かぬとなれば、それもまた面倒だ。よってお前を『子爵代行官』を任ずる。ま、肩書きだけだ気にするな」
子爵は愉快そうに笑い、そして目を輝かせた。
「ただ一つ。……バッカス亭をそこへ移し、お前にしか作れない『美食』で埋め尽くされた街を作ってほしいのだ」
「美食の……街」
「そうだ。王都の貴族たちは素材の味を殺した退屈な料理を食べて不健康に肥え太っている。奴らが腰を抜かして通いつめ、莫大な金を落としていくような……この国最高の『美食の聖域』を、あの土地に一から築き上げてみないか?」
アルフレッドは息を飲んだ。
ただの料理人である自分に、街を一つ丸ごと「料理のキャンバス」として提供するというのだ。あまりにも規格外で、しかし、途方もなく魅力的な提案だった。
(……美食の街づくり)
アルフレッドの脳裏で、これまでの経験と、前世の知識が猛烈な勢いで繋がり始める。
彼の考える『真の美食』とは、ただ舌を喜ばせ、無駄に太るだけの贅沢品ではない。
この世界の回復魔法は、外傷は治せても「病気」や「老化」は絶対に治せない。だからこそ、日々の食事が命に直結するのだ。
糖質に偏らない合理的なメニュー。素材が持つタンパク質とアミノ酸を極限まで引き出し、食べるほどに身体が整い、活力が湧き上がる健康的な料理。
(俺の知る調理科学と、アイリスのシステム、そしてセラやフェリシア様の力があれば……『世界一美味くて、世界一身体が喜ぶ合理的な美食の都』が作れる……!)
料理人としての、そして一人の男としての野望に、カッと火がついた。
「……承知しました。その夢、俺がこの手で形にしてみせます」
「はっはっは! 良い返事だ! 期待しているぞ、我が息子よ!」
◇◇◇
その日の午後。
アルフレッドはバッカス亭に戻り、一階のカウンターにバッカス、ガレン、フェリシア、セラの全員を集めていた。
「――というわけで。お義父さんから土地を貰って子爵代行官を任されたので、この店ごと、新しい領地へ引っ越そうと思うんですが……バッカスさん、どうですか?」
アルフレッドの突拍子もない提案に、ガレンが飲んでいた酒を噴き出した。
「お前なぁ……! 土地を貰ったから引っ越すって、屋台の移動じゃな……」
「……ほう、美食の街か」
ガレンの言葉を遮り、巨大なジョッキを片手に持ったバッカスが、ニヤリと深く笑った。
「面白いじゃねえか。最高の飯が集まる街なら、当然、最高に美味い酒も必要になる。俺は別にこの場所に執着しちゃいねえ。極上の酒が飲めるなら、俺はどこまでもついていくぜ」
酒神からの、あっさりとした快諾。
それに呼応するように、傍らの空間に光の粒子が集まり、アイリスが実体化した。
「……ん。新領地の地質・水質データ、および気候条件のスキャン完了」
アイリスが空中に展開したホログラムには、新領地の豊かな自然環境が数値化されて表示されていた。
「……湧き水の純度、極めて高い。土壌のミネラルバランス、最高ランク。……マスターの提唱する『健康的で合理的なメニュー』を構成する食材を育てるのに、これ以上ない最高の土台……ん。大賛成」
「よし。システムのお墨付きも出たな」
アルフレッドはホッと胸を撫で下ろし、傍らで並んで座る二人の婚約者へと視線を向けた。
「フェリシア様、セラ。……慣れ親しんだこの場所を離れるのは、少し寂しいかもしれないけど」
「様付けはやめてくださいます?セラだけずるいですわ」
フェリシアが、美しい赤髪を揺らし、アルフレッドの手をきゅっと握った。
「あ……すまないフェ、フェリシア」
「はい!旦那様!」
「……っ!」
フェリシアの不意打ちにアルフレッドはタジタジである。
「わたくしたちの居場所は、この建物ではありません。アルフレッド、あなたがいて、皆が笑い合える場所。そこが『バッカス亭』ですわ。……それに、何もないところからあなたと一緒に新しい街を創り上げるなんて、ワクワクしてしまいますわ!」
「……はい。私も、同感です」
セラがもう片方の手を握りしめ、力強く頷く。
「アル様が包丁を握る場所なら、そこが世界の中心です。どんな場所に行こうと、私はあなたの厨房の右腕として、最高の食材を解体し続けます」
二人の迷いのない瞳に、アルフレッドはこれ以上ない心強さを感じ、深く頷いた。
「ありがとう。……よし、そうと決まれば忙しくなるぞ! ラモンを捕まえて、資材と食材の調達ルートを確保しなきゃな!」
新たな領地、新たな街づくり。
それは、王都での戦いを乗り越えた彼らに与えられた、最大の「ご褒美」であり、新たな挑戦の始まりだった。
奇跡の料理人と、彼を愛する最強の盾と剣。そして頼もしい神と相棒たち。
彼らの手によって、この世界に常識を覆す『美食と健康の聖域』が誕生する日は、もうすぐそこまで迫っていた。
予約投稿ミスで昨日の投稿が一昨日投稿になって一日抜けてました!
ごめんなさい!
そして20:30にエピローグを続けて予約投稿しています。
アルフレッドの物語はこれで一旦一区切りです。
ここまで読み進めていただき、本当にありがとうございました!
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