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第五十五話:糖度

ランタンの温かな灯りが、小高い丘を幻想的に照らし出している。


眼下からは、子爵領の領民たちが楽しげに笑い合い、音楽に合わせて踊る祭りの喧騒が、心地よい夜風に乗って微かに届いていた。


静寂と熱気が交差する特等席。


春の夜風に髪を揺らしながら、フェリシアとセラは互いに視線を交わした。


(……いよいよですわね、セラ)


(……はい、フェリシア様。私たちの想いを、形にする時です)


二人は震える指先で、ポケットの中に忍ばせた『小さな箱』にそっと触れた。


奇跡の料理人である彼に、自分たちの手で作り上げた「愛の証」を渡し、一生を添い遂げる誓いを立てる。そのための、季節外れのバレンタイン。


緊張で心臓が早鐘のように鳴る中、フェリシアが深呼吸をし、アルフレッドの横顔へと向き直った。


「アルフレッド様。……わたくしたちから、あなたに、お伝えしたい大切な――」


「――その前に。俺から、二人に大事な話があります」


フェリシアの言葉が紡ぎ切られる直前。

アルフレッドがスッと向き直り、彼女の言葉に『カウンター』を合わせた。


「え……?」


「アル様……?」


いつもは穏やかなバーテンダースマイルを浮かべている彼の顔には、今、一切の笑みがなかった。


ただひたすらに真剣で、それでいて、どこまでも深く優しい、一人の男としての瞳が二人を見つめていた。


「俺は……元の世界から一人でこの世界に放り出されて、最初は料理を作ることしか拠り所がありませんでした。右も左も分からず、ただ自分が生きるために包丁を、そしてシェイカーを握っていた」


アルフレッドの低い、落ち着いた声が夜風に溶ける。


「でも、フェリシア様、貴女はいつだって、俺たちの大切なものを守る最強の盾として、心を支えてくれた。……そして、セラ。お前は俺の厨房の右腕として、そして命を懸けて背中を守る最強の剣として、傍にいてくれた」


アルフレッドは一歩前へ出ると、二人の前に静かに片膝をついた。


「っ……!?」


「アル、様……」


驚きに目を見開く二人の前で、アルフレッドは懐から、小さなビロードの箱を取り出した。


パカッ、と開かれた箱の中には、月明かりを反射して美しく煌めく、二つの指輪。


今日の昼間、彼がギルドへの挨拶の裏でラモンに手配させていた、最高級のエンゲージリングだった。


「俺は、しがないバーテンダーで、料理バカです。気の利いた言葉は言えません。……でも、二人を一生、世界で一番美味い飯と酒で笑顔にすると誓います」


アルフレッドは、二人の手をそっと取り、その瞳を真っ直ぐに射抜いた。



「俺と……結婚してください」



静寂。

眼下の祭りの音すら消え去ったかのような、永遠にも似た数秒間。


やがて、ポロポロと。

フェリシアの美しいエメラルドグリーンの瞳からも、セラの感情の乏しい薄藍色の瞳からも、大粒の涙がとめどなく溢れ出した。


「あ、あぁ……っ、アルフレッド様……っ!」


「アル様、アル様……っ」


二人は感極まり、言葉にならない声を漏らしながら、アルフレッドの胸に崩れ落ちるように飛び込んだ。


アルフレッドは優しく二人を受け止め、その華奢な背中を撫でる。


だが、感動の涙を流していた二人は、不意にアルフレッドの胸の中で顔を見合わせると……ポカッ、ポカッ、と彼の胸板を小さな拳で叩き始めた。


「……ずるいですわ! アルフレッド様!」


「……はい。完全に不意打ちです。先手を打つなんて、ずるいです」


涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、二人は泣き笑いのような、拗ねたような抗議の声を上げた。


「えっ? ずるいって……何がですか?」


キョトンとするアルフレッドの前で、二人は涙を拭うと、それぞれのポケットから、綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出し、彼に突きつけた。


「わたくしたちから、あなたに逆プロポーズをするつもりでしたのよ!」


「……一生懸命、作ったんです。受け取って、ください」


「これは……?」


アルフレッドが戸惑いながら箱を受け取り、リボンを解く。


中に入っていたのは、少し不格好な、しかし鏡のように美しい艶を持った『盾』と『剣』を象った固形のチョコレートだった。


その瞬間、アルフレッドの脳裏で全ての点と線が繋がった。


昨日の深夜、甘く香ばしい匂いが充満していた厨房。二人の顔にべったりとついていた、泥のようなカカオの汚れ。


そして、温度計すら存在しないこの世界で、魔法の使えない二人が、チョコレートの命である『テンパリング(温度管理)』を成功させるために、どれほどの血の滲むような努力と失敗を繰り返したのかという事実。


「あなたたち、これを……俺に隠れて、手作業で作ったんですか?」


「ええ! わたくしの結界の温度管理と、セラの粉砕技術の結晶ですわ!」


「……アル様への、季節外れのバレンタインです」


アルフレッドは震える手で、その『盾』と『剣』のチョコレートを一つずつつまみ、同時に口の中へと放り込んだ。


パリッ、という小気味よい音の後、体温で滑らかに溶け出していく完璧な口溶け。


カカオの芳醇な香りと、甘すぎない絶妙な砂糖のバランス。不器用で、いじらしい二人の愛情が、極上の甘味となって口内を満たしていく。


(……美味い)


アルフレッドは、口の中に広がる甘さを噛み締めながら、ふと『前世の自分』のことを思い返していた。


前世の彼の身体は、自由に甘味を口にすることができなかった。


厳格な食事制限、糖質への警戒。常に数値を気にし、自分の身体と向き合い続ける日々。甘くて口溶けの良いチョコレートなど、罪悪感や恐怖なしに食べられるような代物ではなかったのだ。


けれど、今は違う。


健康なこの身体で、何の縛りもなく、ただ純粋に「美味しい」と感じることができる。


何よりも、自分をこれほどまでに愛し、自分のために泥だらけになってお菓子を作ってくれる、世界で一番愛おしい二人の少女が目の前にいる。


(……あぁ。俺は、この世界に来て、本当に良かった)


これまでの理不尽な苦労も、死線も、全てはこの瞬間のためにあったのだと、アルフレッドは心から確信した。


「……美味い。俺が作ったどんな料理よりも、最高に美味いです」


アルフレッドの言葉に、二人の顔にパァッと満開の笑顔が咲いた。


アルフレッドは二人の手を取り、今日用意したエンゲージリングを、それぞれの左手の薬指へとゆっくりとはめる。


「これからは、俺の妻として……ずっと傍にいてください」


「はい……っ! 喜んで、お受けいたしますわ!」


「……一生、アル様を離しません」


嬉し泣きをする二人を、アルフレッドは両腕で力強く抱きしめた。


指輪をはめた二人の手と、アルフレッドの手が重なり合う。


ヒュ〜〜〜〜……ドンッ!!!


その瞬間、丘の下の夜空に、祝祭のフィナーレを飾る大輪の花火が打ち上がり、その光と共にアイリスが実体化した。


「……ん。マスターの心拍数の上昇を確認。スキャン実行。異常無し。……何故?」


「あははっ!アイリス、何も問題は無いよ。俺は今とても幸せな気持ちでいっぱいで胸が高鳴ってるだけなんだ」


「……ん。よくわからない。けれどオキシトシン、β-エンドルフィンの分泌を確認。マスターは喜んでいる……」


「あぁ、そうだ。アイリスも皆と手を繋ごう。」


色鮮やかな光が四人の横顔を照らし出し、夜風に乗って、甘いチョコレートの香りと、幸せに満ちた笑い声がどこまでも溶けていく。

奇跡の料理人と、最強の盾と剣、そして相棒。


不器用な四人の想いが完全に重なり合った、世界で一番甘くて、温かい夜だった。


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