第五十四話:雰囲気という旨味
ロズウェル男爵の子爵陞爵、そしてパンデミックと赫竜の脅威から領地を救った英雄たちの凱旋を祝う大祝祭。
子爵領の目抜き通りには色鮮やかな旗がはためき、バッカス亭の前にはこの日のために巨大な特設屋台が組まれていた。
「へいお待ち! 次は豚肉と豆のトマト煮込みだ! どんどん持っていってくれ!」
アルフレッドはいつもの口調を崩し、首にタオルを巻き、額に汗を滲ませながら、自身の背丈ほどもある大鍋を軽快に煽っていた。
フェリシアやフォンテーヌ伯爵領を救った精密な料理とは違う。香辛料も塩も豪快に振った、皆が腹一杯になって笑顔になれる大衆料理。次々と出来上がる大皿は、領民たちの歓声と共に一瞬で空になっていく。
「いやぁ、奇跡の料理人の飯がタダで食えるなんて、生きてて良かったぜ!」
「アルフレッド様、最高ーっ!」
活気と熱気に包まれる中、アルフレッドが次の仕込みに取り掛かろうとしたその時だった。
「――おら、交代だ。お前はもう上がれ」
ドンッ! と、背中を巨大な掌で叩かれた。
振り返ると、そこにはニヤリと笑う大柄な店主・バッカスの姿があった。その横では、ガレンが慣れない手つきで野菜を刻んでいる。
「バッカスさん? いや、まだまだ食材はありますし、俺がやらないと――」
「主役がいつまでも厨房に引きこもっててどうする。ここは俺とガレンで回すから、お前はさっさと表へ行け」
バッカスが顎でしゃくった先を見る。
「あいつら、さっきからずっとお前を待って、わざわざ着飾ってんだぞ」
「え……?」
アルフレッドが店の入り口に視線を向けると、そこには二人の少女が立っていた。
「……アル様、遅いです」
「もう、待ちくたびれましたわよ」
アルフレッドは、手に持っていたお玉を危うく落としそうになった。
いつもは機能的なメイド服を着ているセラが、今日は柔らかな亜麻色のブラウスに、深いグリーンのふんわりとしたスカートを合わせている。胸元のリボンが、彼女の可憐さを際立たせていた。
そしてフェリシアは、貴族のドレスではなく、春の陽射しを思わせる淡いコーラルピンクのドレス姿。動きやすさを重視した軽やかな仕立てだが、彼女の気高い美しさと相まって、まるで花の妖精のようなオーラを放っていた。
「どうした。見惚れてねえで、さっさと行ってこい。……夜まで帰ってくるなよ」
ガレンが笑いながらタオルを投げつけてくる。
「あ、ありがとうございます……! 頼みます!」
アルフレッドはエプロンを外し、手早く身支度を整えると、待っていた二人の元へと駆け寄った。
「お待たせしました。……二人とも、凄く綺麗です」
アルフレッドが素直に口にすると、セラの無表情な顔がポッと赤く染まり、フェリシアも扇で口元を隠しながら嬉しそうに目を逸らした。
「と、当然ですわ。今日は特別な日なのですから。さあ、アルフレッド様、参りましょう!」
「……はい。アル様、手、繋ぎましょう」
フェリシアがアルフレッドの左腕に腕を絡ませ、セラが右の手をギュッと握りしめる。
両手に花。奇跡の料理人は、たちまちタジタジになりながら、賑わう祭りの通りへと歩き出した。
◇◇◇
「あっ! アルフレッド様にお嬢様、それにセラちゃんも!」
「王都からのお帰り、本当におめでとうございます!」
「これ、俺たちからの感謝の印です。受け取ってくだせえ!」
通りを歩き出すなり、三人は領民たちからの熱烈な歓迎を受けた。
すれ違う人々が次々と声をかけ、春の花で作った花冠や、出来立てのパンなどを渡してくる。領地を救った彼らは、もはやこの土地の英雄であり、最も愛される家族のような存在だった。
「ありがとうございます。皆さんも、どうかお腹いっぱい楽しんでくださいね」
アルフレッドが穏やかな笑顔で応えながら、ふと周囲の屋台を見渡す。
肉を焼く煙、焦げた醤油の匂い、甘い果実の香り。音楽と笑い声。
「……屋台を見て回るなんて、いつ以来だろうな」
料理人としての性分か、どうしても他人が作る料理の工程を目で追ってしまう。
「アル様、あれが食べたいです」
セラが指差したのは、野猪の肉を大振りに切って串に刺し、豪快に直火で炙っている屋台だった。
「おっ、兄ちゃんたち! 一本どうだい! 今朝仕留めたばっかりの新鮮な猪肉だぜ!」
アルフレッドは三本買い求め、フェリシアとセラに手渡した。
(……火が近すぎる。表面だけ焦げて、中は少しパサついているな。塩の振り方も均一じゃない)
串を受け取った瞬間、奇跡の料理人の脳裏にそんな分析がよぎる。
もし自分が『暴飲暴食の聖域』を使えば、一瞬で肉の水分量を調整し、最高のアミノ酸バランスに書き換えることができる。柔らかく、ジューシーな極上の串焼きに変えることなど造作もない。
(……いや。そんな野暮なことは、しない方がいいな)
アルフレッドは、その考えを即座に捨て去り串焼きを見つめながら頷いた。
祭りの屋台の醍醐味は、洗練された味ではない。雑多な喧騒の中、少し焦げた肉をかじり、熱さに息を吐きながら、皆で笑い合って食べることだ。その「空気」こそが、どんなチート魔法にも勝る究極のスパイスなのだ。
アルフレッドは大きく口を開け、串焼きをかじった。
少し硬い肉を力強く咀嚼する。塩気が強すぎる部分もあるが、猪の野性味溢れる脂が口の中に広がり、焦げた香ばしさが鼻を抜ける。
「……美味い! やっぱり祭りの外飯は最高ですね」
アルフレッドが心底美味そうに笑うと、屋台の親父が「だろぉ!」と嬉しそうに胸を張った。
「……アル様」
隣を歩いていたセラが、自身の串焼きをアルフレッドの口元へと差し出した。
「私のも、美味しいです。……あーん」
「えっ? いや、俺も同じものを持って……」
「……あーん、です」
セラの薄藍色の瞳が、無表情ながらも静かな圧を放つ。その耳が真っ赤に染まっているのを見て、アルフレッドは降参したように苦笑し、差し出された肉をパクリと食べた。
「どうですか?」
「……うん。セラが食べさせてくれたからか、一番美味しいところだった気がします」
アルフレッドの言葉に、セラが小さくガッツポーズをする。
すると、反対側を歩いていたフェリシアが「ずるいですわ!」と声を上げた。
「アルフレッド様! あちらの屋台で、果実のシロップ漬けを挟んだ甘いお菓子が売っております! わたくしはあれを皆様の分も買って参りますから、待っていてくださいませ!」
フェリシアは令嬢らしからぬ小走りで屋台へ向かい、ホカホカと湯気を立てるクレープのようなお菓子を三つ抱えて戻ってきた。
「さあ、アルフレッド様! わたくしのも、あーん、ですわ!」
「フェリシア様まで……っ。いや、自分で持てますから!」
「いいえ! 今日は絶対に譲りませんわ! さあ、口を開けて!」
両手でお菓子を差し出してくるフェリシアの勢いに押され、アルフレッドはタジタジになりながら、甘い果実のお菓子をかじった。
口元に少しシロップがついてしまう。
「もう、口元が汚れておりますわよ」
フェリシアが嬉しそうに微笑みながら、自身の上等な絹のハンカチを取り出し、アルフレッドの口元を優しく拭う。
「あ、ありがとうございます……」
「アル様。次はこちらの屋台に行きましょう。私の手を、しっかり握っていてください」
「えっ、ちょ、セラ……!」
右からはセラに手を引かれ、左からはフェリシアに腕を組まれる。
すれ違う村の青年たちが、羨望と嫉妬の入り混じった目を向けてくるが、アルフレッドにはそれを気にする余裕すらなかった。
王都での、あの文字通り血を吐くような戦いが嘘のように甘い時間が流れている。
不器用で、けれど誰よりも真っ直ぐに自分を想ってくれる二人の少女の体温を感じながら、アルフレッドは心が芯から解けていくのを感じていた。
◇◇◇
買い食いをし、輪投げなどの遊戯を思う存分楽しみ、領民たちと笑い合っているうちに、いつしか日は西に傾いていた。
空が美しい茜色に染まり、祭りの通りには幻想的なランタンの明かりが灯り始める。
「よく食べ、よく歩きましたね。少し、休憩しましょうか」
少し歩き疲れた様子の二人を気遣い、アルフレッドは祭りの喧騒から少し離れた、小高い丘へと二人をエスコートした。
そこは、ランタンの灯りに照らされた子爵領の街並みと、賑やかな祭りの中心を優しく見下ろせる特等席だった。
春の夜風が心地よく吹き抜け、フェリシアの赤色の髪と、セラの銀色の髪を揺らす。
「……綺麗な景色ですわね」
フェリシアが、眼下の灯りを見つめながら目を細めた。
「ええ。皆が笑顔で、美味しいものを食べている。……俺たちの居場所がある、最高の領地です」
アルフレッドが穏やかに微笑む。
その横顔を見つめながら、フェリシアとセラは互いに視線を交わした。
二人の手が、ポケットの中に忍ばせた『小さな箱』に触れる。
不器用な二人が、何度も泥だらけになりながら、昨日の深夜に作り上げた世界で二つだけの特別なチョコレート。
(……いよいよですわね、セラ)
(……はい、フェリシア様。私たちの想いを、形にする時です)
楽しかった祭りのデートが、静かに終わりを告げる。
夜の静寂と共に、甘く、そして人生を賭けた決戦の時が、すぐそこまで迫っていた。
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