第五十三話:極秘作戦
店主である酒神バッカスからの不老の祝福と、魂の器が完成したことの報告を受け、さらには父であるロズウェル子爵からも結婚の快諾を得たフェリシアとセラは、すぐさま秘密裏に行動を開始していた。
標的は、一階の片隅で高い酒を呑気に煽っていた商人、ラモンである。
「ひ、ひえぇ……な、なんですかい、お二人さん。そんな殺気立った顔で囲まれても、俺ぁもう隠してる秘蔵の酒なんてありやせんぜ?」
「……ラモンさん。隠し事は、商人としての信用を失いますわよ?」
フェリシアが、淑女の微笑みを浮かべながらも、背後に『聖域』の威圧感を僅かに漂わせる。
「……数ヶ月前、まだ寒かった頃。アル様が酒のアテに甘い『固形のお菓子』を作った時、あなたが特殊な材料を卸しましたね? それが何か全て教え、今すぐ出しなさい。……断れば、解体します」
セラの薄藍色の瞳が、冷徹な刃のようにラモンの首筋を射抜く。
「あ、あれはアルの旦那が試作用にって言ってたから南方のツテを頼って仕入れたもんで……あぁ分かった、分かりましたよ! 旦那には内緒なんですな!? 商人の口は堅いですよ、ええ!」
二人は有無を言わさぬ圧力でラモンから『カカオ豆』と『カカオバター』、そして最高級の砂糖を確保した。
アルフレッドが明日の祝祭の準備で、ギルドや街の顔役への挨拶回りで店を空けている間。
バッカス亭の厨房は、二人の少女による「秘密の戦場」へと変貌を遂げた。
◇◇◇
「……まずは何から始めたらいいんですの?セラ、手順は詳細に覚えていますか?」
「……はい。アル様が作っていた時の手元と解説は、全てこの目に焼き付けています」
フェリシアが慣れない手つきでエプロンを締め、カカオ豆を見つめる。
「アル様は最初、この豆を焙煎していました。その時、アル様は『メディカル・カクテルの熱操作を使って、豆の芯まで均一に火を通す。焦がせば全て台無しになるからな』と仰っていました」
セラは当時のアルフレッドの言葉を一言一句違わず再現する。
「魔力操作を用いて、豆の表面温度を百二十度に保ちながら、三十分かけてじっくりとローストし、香りを引き出していたのです」
「……百二十度で、均一に三十分。それを再現するのは至難の業ですわね。少しでも火が強ければ焦げて苦くなり、弱ければ香りが立ちませんわ」
「……はい。ですが、フェリシア様なら」
「ええ。温度を一定に保つ(ロックする)空間管理なら、わたくしの得意分野ですわ」
フェリシアはフライパンにカカオ豆を広げ、魔道コンロの火にかけると、その周囲を覆うように極小の結界を展開した。
「【戸締まりの管理(VIPルーム)】……内部の熱を逃がさず、直火のムラをなくして空間全体を均一な熱量で包み込みますわ。これなら、アルフレッド様の魔力操作の代わりになります」
フェリシアの精密な結界操作により、カカオ豆は焦げることなく見事に焙煎された。厨房いっぱいに、ナッツのような、そして微かに酸味を帯びた芳醇な香りが漂い始める。
粗熱を取った後、二人は手作業で丁寧に豆の皮を剥いていく。
「次は、この豆を細かく砕いた『カカオニブ』を、ペースト状になるまですり潰す工程です」
「すり鉢とすりこぎで……? この硬い豆を、液状になるまで?」
フェリシアが呆然と呟く。
本来、カカオ豆を極限まで滑らかなペースト状、所謂カカオリカーにするには、重い石臼や専用の機械で何時間も、あるいは何日も練り上げる必要がある。
「アル様は、『こんなの真面目に手でやってたら腕が吹き飛ぶ』と仰って、細胞壁を『メディカル・カクテル』で破壊していました」
セラは当時の光景を思い出す。
「……私には、分子レベルの魔法は使えません」
「では、どうしますの?」
「純粋な、物理技で行きます」
セラがメイド服の袖を捲り上げ、巨大なすり鉢を抱え込み、太いすりこぎを両手で握りしめた。
「『最適解体手順』……『解剖学の眼』……細胞の結合部を視認。物理的摩擦により、限界まで粉砕します」
ドゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
もはや調理の音ではない。神速の連撃が、すり鉢の中のカカオ豆に向けられる。
セラの額から滝のような汗が流れ落ちる。
魔法の代わりを、己の強靭な肉体と屠殺人としての技量でカバーしているのだ。摩擦熱でカカオの油脂が徐々に溶け出し、豆が少しずつ泥のようになっていく。
「セラ、無理はしないで! 私も代わりますわ!」
「……いえ、止めれば温度が下がります。一気に、いきます!」
フェリシアがセラの汗を拭いながら応援し続けること数十分。
セラの腕が限界を迎えようとした頃、すり鉢の中のカカオは、ようやくアルフレッドが作ったものに近い、ドロドロの滑らかな「カカオリカー」へと変化していた。
「はぁっ……はぁっ……やりました、フェリシア様」
「素晴らしいわ、セラ! 次はこれに、ラモンさんから巻き上げたカカオバターと砂糖を混ぜるのね!」
二人は必死に木べらを回し、材料を混ぜ合わせる。甘く、苦い、あのチョコレートの匂いが完成しつつあった。
だが、ここからが本当の地獄だった。
型に流し込んで冷やし固めようとしたそれの表面には、不気味な白い粉(ブルーム現象)が浮き、味見をすると口当たりがザラザラでボソボソとしていたのだ。
「……固まりません。アル様が作ったものみたいに、パキッとした艶のある仕上がりになりません」
「どうして……分量を間違えたのかしら?」
フェリシアが焦る中、セラは当時のアルフレッドの異常なまでの慎重さを思い出す。
「……温度、です。アル様は、この工程を『テンパリング』と呼んでいました」
セラは目を閉じ、記憶を探る。
「アル様は、『カカオバターの結晶にはいくつか種類があって、一番口溶けの良いV型結晶だけを残さなきゃならない』と仰っていました。一度五十度まで温めて完全に結晶を壊し、そこから二十七度まで一気に下げて不安定な結晶を作り、最後に三十一度まで微妙に上げて安定したV型だけを残す……という、意味不明な操作を、魔力による温度管理で一瞬で終わらせていたのです」
「……五十度、二十七度、三十一度。数字は分かりましたわ。でも、そんな細かな温度変化、私たちにどうやって見極めろと言うのです?」
「アル様は、魔力で温度を測っていましたが……最後は必ず、指先でチョコを少しだけすくい、下唇に当てて確かめていました。『体温より少しだけ冷たく感じるくらいが、完璧な温度だ』と」
奇跡の料理人のチート技術を、魔法の使えない不器用な二人が完全再現することなど不可能に近い。
それでも二人は、湯煎のための熱湯が入った鍋と、井戸で冷やした冷水のボウルを用意し、泥臭くトライアンドエラーを繰り返す決意を固めた。
「行きますわよ、セラ! まずはお湯で温めて、結晶を完全に壊します!」
「はい! ……全体が溶けました。冷水に当てて、温度を下げます!」
二人はボウルを冷水に浸し、必死に木べらでかき混ぜる。
「熱すぎますわ! もっと冷水を!」
「……冷えすぎました、ボウルの底から固まってきています。もう一度、数秒だけお湯に!」
何度も失敗し、ボウルの中のチョコは何度も分離し、ボソボソになった。
顔にはチョコの飛沫が飛び散り、フェリシアの綺麗な指先も、セラの白い手も、エプロンも、カカオの色で泥だらけに汚れていく。
王都での激戦すら涼しい顔で乗り越えた二人が、たった一つのボウルを前に息を上げ、必死に格闘していた。
(……アルフレッド様は、いつも私たちのために、こんなにも繊細で途方もない努力をして料理を作ってくださっていたのね)
フェリシアは、木べらを握りしめながら心の中で呟いた。
王都では彼に守られ、彼を盾として守った。けれど、料理という彼の土俵では、二人はただ彼から「与えられる」ばかりだった。
だからこそ。どうしても、愛する人に「美味しい」と言ってもらいたい。自分の手で、愛の証を作り上げたい。
ただその一心で、二人は諦めることなく、腕が千切れるほど木べらを回し続けた。
「……フェリシア様。これ、どうでしょうか」
何十回目かの挑戦。セラの震える声にフェリシアが覗き込むと、ボウルの中のチョコレートは、先程までのザラつきが嘘のように、トロリとした、まるで鏡のような極上の艶を帯びていた。
セラが指先で少しすくい、フェリシアの下唇にそっと当てる。
体温よりも僅かに低く、ひんやりとした感触。しかし口に入れると、体温でスッと滑らかに溶けていく、完璧な口溶け。
「……やりましたわ! 艶が出ています! 完璧なテンパリングですわ!!」
「はい……っ!」
二人はチョコまみれの手を取り合い、歓喜の声を上げて抱き合った。
◇◇◇
二人は、ガレンに頼み込んで極秘で作って貰った小さな銀の型に、なんとか出来上がったチョコレート液を丁寧に流し込んだ。
型は二つ。フェリシアを象徴する『盾』と、セラを象徴する『剣』。
アルフレッドが作ったものに比べれば、少し不格好で、表面の艶も完全に均一ではないかもしれない。だが、そこには二人の不器用で、いじらしい愛情が限界まで詰め込まれていた。
氷室から持ってきた氷で冷やし固めている間、厨房に、アルフレッドの帰宅を告げる足音が響いた。
「ただいま戻りました。……ん? 何か、凄く甘くて香ばしい匂いがしますね」
「「っ!?」」
二人は大慌てでボウルを布で隠し、背中で型を庇いながら、何食わぬ顔で振り返った。
「……フェリシア様。お顔が、泥だらけですよ? 鼻の頭に黒いのが付いていますし……セラも、頬にべったりと。厨房の掃除でもしていたんですか?」
アルフレッドが不思議そうに首を傾げながら近づき、フェリシアの鼻の頭についた「チョコレート」を、無防備な指先でスッと拭い取る。
至近距離での接触。そして、彼がその指先をペロリと舐めるのではないかと想像し、二人の顔はチョコレートよりも赤く染まった。
「な、なんでもありませんわ! 明日の祝祭の準備ですの、ねぇセラ!?」
「……はい。ゴミ掃除の、予行演習をしておりました。少し、汚れ仕事で」
「そうですか? 手伝いましょうか?」
「結構ですわ!!」
「と、とにかく、アル様はあちらで休んでいてください!」
二人の異常なまでの剣幕に、アルフレッドは目をパチクリとさせた。
「……分かりました。無理はしないでくださいね。明日はロズウェル子爵……つまりお父さんの陞爵祝いなんですから」
「……っ!」
『お父さん』という言葉に、フェリシアは息を飲みながらその後ろ姿を見送り、二人は同時に大きく安堵の息を吐き出す。
互いのチョコだらけの顔を見て、二人はクスクスと笑い合った。
懐に忍ばせる予定の、世界でたった二つだけの、固形の愛。
奇跡の料理人に、初めて自分たちの手で作った「愛の証」を贈る。
季節外れのバレンタイン。不器用な二人の決戦の時は、明日の祝祭に。
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