エピローグ:リベラ・テラス
子爵領から馬車で数日下った先にある、かつては手付かずの自然だけが広がっていた広大な平野。
三年という月日が流れた今、その場所は大陸中から美食家や貴族、そして健康を求める人々が押し寄せる『美食と健康の聖域』へと変貌を遂げていた。
街の名は『リベラ・テラス』。
酒神バッカスの別名である『リベル(解放者)』に由来し、王都の窮屈なしがらみや、病気、そして退屈な食事……あらゆるものから解放され、ただ自由に「美味い飯と酒」を楽しむ場所という意味が込められている。
「へいお待ち! 牧草牛の赤身ステーキ、特製ガーリックバター乗せだ!」
「こっちは大豆粉とアーモンドプードルで焼いた低糖質パン! いくら食っても身体に良い魔法のパンだぜ!」
活気に満ちた街の目抜き通りには、アルフレッドの技術指導を受けた料理人たちの屋台やレストランが軒を連ね、食欲をそそる香ばしい匂いが風に乗って街中を包み込んでいる。
そして、その街の中心。最も水と風の通りが良い特等席にそびえ立つのが、街の心臓とも言える『新生バッカス亭』であった。
「――セラ、鹿肉のローストが焼き上がります。切り出しを頼む。俺はその間に特製ベリーソースの乳化を仕上げる」
「はい、旦那様。『最適解体手順』……完璧に仕上げます」
未だ真新しさの残る、広くてピカピカの厨房。
アルフレッドの声に、少しだけ髪を伸ばし、大人の女性らしい柔らかさを纏ったセラが応える。彼女は『解剖学の眼』を使いこなし、肉の繊維を一切潰すことなく、最も美味しい厚みで瞬時に切り分けていく。
並行して、アルフレッドがシェイカーを高速で振り、ソースを見事なトロミへと昇華させた。
「……ん。ソースの乳化状態、完璧。セラのカットラインによる鹿肉のアミノ酸スコア、最高値に到達」
実体化したアイリスが、無機質ながらもどこか誇らしげに報告する。
アルフレッドが作り上げるのは、単なる贅沢な料理ではない。
糖質を極限まで抑えながらも、肉や魚が本来持つ旨味を『暴飲暴食の聖域』の温度管理で限界まで引き出した、合理的な極上の一皿。食べるほどに細胞が活性化し、身体が芯から整っていく「魔法の料理」だ。
「お待たせいたしました。本日のメインディッシュでございますわ」
ホールでは、給仕長であるフェリシアが、優雅な所作で料理をサーブしていた。
美しく結い上げられた彼女の赤髪は、今やこの街の「華」であり、誰もが憧れる完璧な女将である。彼女の【戸締まりの管理(VIPルーム)】による空間把握能力は、満席の店内の温度から客の居心地まで、全てを完璧にコントロールしていた。
「おお、待っていたよフェリシア君! いやはや、アルフレッド殿の料理を頂くようになってから、長年悩まされていた関節の痛みもすっかり消えてな。本当にありがたいよ」
中肉中背で、目尻を下げた優しそうな男性――フォンテーヌ伯爵が、運ばれてきた鹿肉を見て目を細める。
「おいおい伯爵! 余を差し置いて独り占めはずるいぞ!」
「こ、国王陛下!?」
伯爵の隣の席から、身分を隠すための外套をバサリと脱ぎ捨て、国王ルウが身を乗り出した。
一国の王が、お忍びで辺境の街まで通いつめているのだ。
「フェリシア嬢、余にもその肉を! もちろん、締めの『ビーフカレーライス』も忘れるな! 余はあのスパイスの刺激がないと、もはや政務に集中できん身体になってしまったのだ!それとバッカス殿の酒も頼むぞ!」
「ふふっ、かしこまりましたわ、ルウ陛下。……うちの旦那様とオーナーの『合理的なペアリング』。どうぞ、存分にお召し上がりくださいませ」
フェリシアが微笑むと、国王と伯爵は赤ワインのグラスを高らかに掲げて笑い合った。
「カッカッカッ! アル坊の飯には、俺の酒が一番合うからな!」
カウンターの奥では、相変わらず大柄な店主・バッカスが機嫌良く大笑いしながら、極上の果実酒を次々と振る舞っている。
「全く。陛下までお忍びで通いつめるとはな」
カウンターの端で呆れたように笑うのは、元闇医者のガレンだ。数年の時を経て、今や彼は最先端の外科技術と薬学に精通した、大陸随一のプロフェッショナルへと変貌を遂げていた。
「……だが、無理もない。アルフレッドの食の恩恵と知識を一番受けてるのは、この俺自身だからな。あいつの飯と俺の医療があれば、この街の連中の寿命は間違いなく大陸一になる。これからどんどん人口も増えて広がっていくだろうよ」
「ひえぇ〜っ! 勘弁してくだせえ! うちの商会はもう、街中の大工や農家からの発注で物流がパンク寸前ですぜ! ま、笑いが止まらないくらい儲かってやすけどね!」
すっかり街の物流の要となったラモンが、悲鳴を上げながらもホクホク顔で酒を煽る。
客たちの笑い声、グラスが触れ合う音、肉の焼ける匂い。
アルフレッドが前世から求め続け、この世界で仲間たちと共に創り上げた「究極の居場所」が、そこにはあった。
◇◇◇
その日の夜。
店を閉め、静寂が訪れたバッカス亭の最上階。
リベラ・テラスの美しい夜景を一望できる広いバルコニーに、アルフレッドは立っていた。
「……お疲れ様です、アルフレッド。少し、肌寒くなってきましたわね」
「旦那様。上着をお持ちしました」
背後から、フェリシアとセラが寄り添うように近づいてくる。
「ありがとう、二人とも」
アルフレッドは二人の肩を優しく抱き寄せた。
右には、最強の盾として自分を支え、導いてくれた気高き赤髪の令嬢。
左には、最強の剣として背中を守り、共に厨房に立ってくれる愛しき右腕。
三人の左手の薬指には、月明かりを反射して煌めく、お揃いの指輪が光っていた。
「この街の景色……本当に、美しくなりましたわね」
フェリシアが、眼下に広がる無数のランタンの灯りを見つめながら目を細める。
「……はい。アル様が作った、私たちの街です」
セラもまた、感慨深げにアルフレッドの腕に頬をすり寄せた。
「ああ。お義父さんや、皆のおかげだ」
アルフレッドは、夜風に吹かれながら、ふと『前世の自分』を思い返していた。
厳格な食事制限。糖質への警戒。自由に甘いものを食べることもできず、ただ数値に怯え、孤独に自炊を続けていた日々。
末期となり管に繋がれ、ありとあらゆる不自由を強いられた最後。
あの頃の自分から見れば、今のこの光景は、どれほど都合の良い夢物語に見えるだろうか。
だが、これは夢ではない。
この腕の中にある確かな二つの体温と、下から漂ってくる微かなスパイスの香りが、何よりの証拠だった。
何の制限もなく、健康な身体で、最高の食材を調理できる喜び。
それを「美味しい」と食べて笑顔になってくれる、愛する家族がいる幸せ。
(……俺は、この世界に、料理を作るために呼ばれたんだな)
アルフレッドは、両腕に抱いた二人の妻の髪に、そっと口づけを落とした。
「……愛していますよ、フェリシア、セラ。これからもずっと、俺の傍で、一番美味い飯を一緒に食べてください」
「はい……! もちろんですわ、旦那様!」
「……ええ。一生、あなたの胃袋と心にお仕えします」
見上げる夜空には、満天の星が輝いている。
しがないバーテンダーだった男が、異世界で最強の盾と剣に出会い、常識を覆す料理で全てを救い、至高の居場所を創り上げた物語。
奇跡の料理人の店『バッカス亭』は、明日もまた、最高に美味い料理と酒と共に、訪れる全ての人々を笑顔で迎え入れるのだ。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
しがないバーテンダーのアルフレッドが異世界に降り立ち、最強の盾フェリシアと剣セラに出会い、料理の力で理不尽を退けながら、最高の居場所を創り上げる物語。いかがだったでしょうか。
毎日執筆を続ける中で、右往左往することもありましたが、読者の皆様からの応援が本当に何よりの原動力でした。ケミカルな料理やシリアスな展開、甘々展開までお付き合いいただき、感謝しかありません!
アルフレッドたちの物語はここで一つの区切りとなりますが、彼らはこれからも『リベラ・テラス』で、美味しくて健康的な料理と酒を囲み、騒がしくも幸せな日々を送っていくことでしょう。
もし少しでも「面白かった」「バッカス亭に行ってみたい」「美味しそうだった!」と思っていただけましたら、下部の【☆】から評価やブックマーク、ご感想をいただけますと、今後の大きな励みになります!(皆様の応援が本当に力になります!)
これまでバッカス亭の面々を愛してくださり、本当にありがとうございました!
またいつか、別の物語でお会いできることを祈って




