第四十四話:極致
王都へ続く広大な平原。
風が吹き抜ける緑の絨毯の上を、一本の『抉れた土の道』が猛烈な勢いで伸びていく。
ズガガガガガガガッ!!!
常識を逸脱したセラの脚力が地面を蹴り砕く轟音。その後から、遅れてやってきた衝撃波が周囲の草木を薙ぎ倒す。
神の酒『ネクタル』によって魂と肉体の限界を拡張されたメイドは、四頭立ての馬車でも数日かかる道程を、わずか半日という異常な速度で駆け抜けた。
「と、止まります!」
猛烈な土煙を上げて急ブレーキをかけたセラの背中から、アルフレッドがふらつきながら降り立つ。
三半規管がシェイカーの中で振られた氷のようにシェイクされ、白目を剥きかけていたアルフレッドだったが、深く深呼吸を一つして、強引に平静を取り戻した。
彼らの目の前、数キロ先には、巨大な防壁に囲まれた王都『白亜の宮殿』がそびえ立っている。
だが、彼らがそこへ辿り着くより前に、平原の中央には豪奢な天幕が張られ、優雅に待ち構えている者たちがいた。
「――遅かったではないか、奇跡の料理人とやら。待ちくたびれたぞ」
天幕の下、豪奢な椅子にふんぞり返り、ワイングラスを傾けている金髪の青年。
第一王子だ。
そしてその両脇には、一目で『常絶した強者』と分かる二人の男が控えていた。
「王都に忍び込もうなどという浅知恵を働かせる前に、こちらから出向いてやったのだ。光栄に思え」
王子が卑薄な笑みを浮かべる。
「……フェリシア様を、お返し願えますか?」
アルフレッドの声には、一切の感情が乗っていなかった。丁寧な口調でありながら、その眼は完全に冷え切っている。
「返す? 莫迦を言うな。あのような極上の女、たっぷりと調教して俺のコレクションに加えるに決まっているだろう? ……それに、貴様は俺の国庫を潤すための『生きた霊薬製造機』として、一生地下で飼ってやる」
王子が指を鳴らすと、両脇の男たちが一歩前へ出た。
「紹介しよう。我がブール王国が誇る最高戦力。王国騎士団長・ディミトリと、宮廷魔導師長・ヨハネスだ。……この開けた平原なら、街の被害を気にせず、貴様らを思う存分『料理』できるからな」
「――アル様」
セラが、スッと腰を落とした。
薄藍色の瞳が、極限の集中力で『解剖学の眼』を起動する。
「――アイリス! セラの視界を共有! 演算リソースの四割を彼女の回避と『解剖学の眼』の補佐に回せ!」
【……ん。承認。対象名:セラへシステム権限のローカル共有を開始します。マスターの『生化学の眼』と統合し、敵性対象の筋繊維収縮率、魔力流動、及び物理軌道の予測線をAR空間に投影します】
アルフレッドの叫びと同時に、セラの薄藍色の瞳の奥に、無機質な幾何学模様の光が走る。
彼女の視界は今、常人のそれを完全に逸脱していた。
眼前に立つ王国最強の巨漢――近衛騎士団長ディミトリ。
彼の分厚いミスリル装甲の下で脈打つ筋肉のうねり、血流の速度、そして次に踏み出す足の重心移動までもが、セラの視界に『赤い予測線』としてくっきりと浮かび上がっているのだ。
「行きます」
ダンッ!! と、セラの足元の地面がクレーターのように陥没する。
メディカル・カクテルによって強化された肉体は、一切の自壊を気にすることなく最高出力で弾け飛んだ。
「――速い。だが、」
ディミトリは巨体らしからぬ滑らかな挙動で、身の丈ほどもある大剣を無造作に振り抜いた。
空気が悲鳴を上げるほどの神速の横薙ぎ。直撃すれば鋼の盾ごと人間を両断する必殺の一撃。だが、セラはその軌道を『〇・二秒前』にAR視界で完璧に読み切っていた。
極限の前傾姿勢で大剣の腹の下を潜り抜ける。頭頂部を削り取るような暴風が通り過ぎた瞬間、セラはディミトリの懐、完全な死角へと入り込んでいた。
【……報告。敵装甲の右脇腹、第三接合部に構造的脆弱性(マイナス〇・〇八ミリの隙間)を発見。対象の有機体(肉)への絶対切断ルートを確立】
アイリスの演算が、ディミトリの鉄壁の装甲に存在する『ただ一つの正解』を青い光で指し示す。
セラの右手に握られているのは、バッカス亭の厨房から持ち出した一振りの『解体用ナイフ』。刃物に「有機物の絶対切断」という理不尽な概念を付与する彼女の能力が、無慈悲な狂信と共にその一点へと吸い込まれた。
「『屠殺法』――第一工程・解体」
物理耐久を完全に無視する、絶対の刃。
セラのナイフがミスリル鎧の継ぎ目を滑るようにすり抜け、ディミトリの強靭な脇腹の肉へと触れようとした、まさにその刹那。
「――お前『先の動きが見えている』な?」
頭上から降ってきた冷静な声。
ディミトリは振り抜いた大剣の慣性を力任せに捻り潰し、空いた左の豪腕を、セラへ向けてではなく、セラと自らの間の『空間』に向けて叩きつけたのだ。
ドゴォォォォォォォンッ!!!
「がっ……!?」
直接の打撃ではない。ディミトリの常軌を逸した筋力が生み出した、濃密な空気の圧縮爆発。
AR視界には『予測線』として表示されていたが、あまりにも広範囲の面制圧に、セラの絶対切断のナイフが届く数ミリ手前で、彼女の細い身体は木の葉のように吹き飛ばされた。
「ほう。今の不可避の衝撃波の中で、とっさに両腕を交差して致命傷を避けたか。素晴らしいセンスと反応速度だ。ただのメイドが辿り着ける領域ではない」
ディミトリが、感心したように大剣を肩に担ぎ直す。
「お前のその眼。俺の剣の軌道も、鎧の弱点も、すべて見切っているようだが……武の基礎を持たぬ素人の凶刃など、躱す必要すらない。当たらぬように『面で弾き潰せば』済む話だからな」
平原をバウンドしながらも、セラは空中で体勢を立て直し、無音で着地する。衝撃で両腕の骨にヒビが入ったが、痛みを完全に無視し、ナイフを握り直す。
「……アイリス。予測線の再計算を。次は、衝撃波の波及範囲ごと潜り抜けます」
【……ん。演算リソースを回避行動に特化。ディミトリの重心移動を常時トラッキングします】
「害虫は、アル様の視界からすべて排除します」
セラの瞳に暗い狂気が宿り、再び音速の踏み込みでディミトリの死角へと消えた。
「よそ見をしている余裕があるのかね、バーテンダー殿」
アルフレッドの頭上から、老獪な声が降ってきた。
宮廷魔導師長ヨハネスだ。彼の周囲には、すでに巨大な魔法陣がいくつも展開されている。
「まずは小手調べだ、生意気な料理人。中級火魔法『ファイアアロー』」
老獪なヨハネスの杖が振られると、空中に数十本の炎の矢が生成され、アルフレッドへ向けて豪雨のように射出された。
(何て数だ、ガレンのヤツよりも多いなッ!……)
「アイリス! 飛来する熱源の周囲の酸素分子を散らせ! 空間に『暴飲暴食の聖域』を適用させ燃焼のトライアングルを強制切断する!」
【……ん。対象座標の酸素濃度を一時的に一%以下へ低下させます】
アルフレッドが銀のマドラーを振るうと、超伝導化した魔力が平原の空気を一瞬で書き換えた。
彼へ迫っていた数十本の炎の矢は、アルフレッドの数メートル手前で「プシュッ」という情けない音を立てて、ただの温かい風へと分解されて消え去った。
「なっ……我が魔法の術式を、発動後に掻き消しただと……!?」
「温度管理がなってないな、魔導師殿。……火を扱うなら、もう少し繊細に空気を読め」
アルフレッドが不敵なバーテンダースマイルを浮かべながら、ゆっくりとヨハネスへと歩み寄る。
「小賢しいマネを……! ならば、これは防げまい。上級『ファイアジャベリン』!!」
ヨハネスの杖の先端で、空気が悲鳴を上げるほどの熱量が圧縮される。
生成されたのは、戦車の分厚い装甲すら一撃でドロドロに溶かす、超高密度の巨大な炎の槍。
(……マズいな。質量の桁が違いすぎる。酸素を奪う計算が間に合わない!)
「アイリス、正面に真空の断熱層を展開! 衝撃に備えろ!」
【……警告!真空層構築、間に合いません。回避行動を!】
着弾。
アルフレッドの展開した中途半端な魔力障壁など紙屑のように引き裂き、上級魔法の理不尽なまでの熱量と質量が、彼を完全に飲み込んだ。
ドゴォォォォォォォォォッ!!!
平原の一部が抉れ、ガラス状に融解したクレーターが形成される。
その中心で、アルフレッドの肉体は半ば炭化し、左腕と腹部の半分を完全に消し飛ばされていた。
「ハッハッハ! 脆い! 口ほどにもないわ!」
ヨハネスが勝利を確信し、嘲笑う。
だが。
「――随分と、大味な火力だな」
ジュゥゥゥゥゥゥッ!!!
炭化したはずのアルフレッドの肉体から、凄まじい勢いで高熱の蒸気が噴き出した。
欠損した腹部の断面から、赤黒い筋肉の繊維が蛇のように這い出し、骨が生成され、失われた左腕がみるみるうちに形を成していく。
超伝導化した魔力で自らの肉体に直接『暴飲暴食の聖域』を作用させ、失われた細胞の分子構造を無理矢理再結合させているのだ。
どれだけ魔力出力を暴走させても、魂の器が『ネクタル』によって補強されているため自壊しない。赫竜戦よりも早い、異常なまでの自己修復能力。
わずか一秒。
アルフレッドは完全に真新しい左腕をぶら下げて、炭化したベストを払いながら立ち上がった。
「ば、馬鹿なッ!? 人間が、一瞬で腕を……肉体を再生するなどッ!! 貴様、命ある者ではないのか!?」
ヨハネスの顔から、一気に血の気が引く。
「生憎、俺は不死身の魔物じゃなくて……ただのバーテンダーでね。少しばかり、カロリーの代謝が良いだけだ」
アルフレッドは地面を蹴った。
先ほどまでとは違う、魔力による身体強化を全開にした突撃。
「ヒィッ……! 来るな、化け物!!」
恐怖に駆られたヨハネスは、狂ったように中級・上級の魔法を乱れ撃つ。
『ウィンドカッター』の真空刃がアルフレッドの脚を切断し、『ファイアボール』が胸を吹き飛ばす。
だが、アルフレッドの足は決して止まらない。
切断された瞬間に神経と細胞を強制結合させ、吹き飛ばされた肉が歩きながら再生していく。自らの痛覚すらも超伝導魔力で強制的にシャットダウンし、ただひたすらに、ヨハネスの懐へと迫り続ける。
(よし……もう少しだ! 手の届く距離まで肉薄すれば、あのジジイの魔力回路の連結を直接解離させて、魔法を封殺できる!)
「ふざけるな、ふざけるなァッ!!」
完全に理性を失ったヨハネスは、王都近郊では使用を固く禁じられている、最大の禁忌に手を出した。
ヨハネスは上級火魔法と上級風魔法まで極めた天才である。
その上級風魔法に、火の素養を掛け合わせることで発現する、天候すら捻じ曲げる『特級(秘奥)』の展開。
「消し飛べぇぇぇぇッ!! 特級風魔法『ディスチャージ(静電崩壊)』!!!」
ゴロゴロゴロォォォォッ!!!
ヨハネスの莫大な魔力により、平原の上空数キロの気流が超高速で強制摩擦される。
大気中の粒子が激しく衝突し、火魔法の熱エネルギーが強引に『電荷』へと変換。本来ならば数時間かけて形成されるはずの巨大な暗黒の積乱雲が、瞬きする間にアルフレッドの頭上へと生成された。
【警告! 警告! 上空に数百万ボルトクラスの摩擦帯電を検知! 敵の風魔法により、マスターの心臓へ向けて『大気の低圧路(誘導パス)』が形成されています!】
アイリスの切羽詰まった警告アラートが、アルフレッドの脳内にガンガンと響く。
「……雷の誘導かよ。自然法則の強制捻じ曲げとか、理不尽にも程があるだろ!」
「落ちろォォォッ!!」
なす術もなく、文字通り天が裂けた。
数百万ボルトの雷撃が、自然の雷のように乱反射することなく、ヨハネスの作り出した低圧の道を通り、一本の巨大な『光の槍』となってアルフレッドの心臓を正確に貫いた。
「ガ、アアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
平原が真白な閃光に染まる。
超絶的な電圧がアルフレッドの細胞を内側から沸騰させ、炭化させる。
だが、特級『ディスチャージ』の真の恐ろしさは、その直撃だけではない。
バチバチバチッ!!
放電の副産物として発生した高濃度のオゾンガスと、強烈な電磁波が平原一帯を包み込む。
「……が、はっ……」
意識が飛びかけているアルフレッドに、アイリスが『暴飲暴食の聖域』をフルスロットルで回し、肉体を治そうと必死に稼働する。
だが、修復された傍から、高濃度のオゾンが肺の細胞を化学的に焼き爛れさせ、強烈な電磁ノイズが脳からの『神経伝達パルス』を完全に狂わせていた。
回復しているのに、身体が動かない。呼吸ができない。三半規管が破壊され、天地の感覚すら喪失していく。
(……くそ……。これが、特級の……純粋な、暴力……ッ)
限界まで酷使されたアルフレッドの意識が、深い泥の底へと沈んでいく。
「ハァ……ハァ……。見たか、これが特級の力だ……」
ヨハネスが肩で息をしながら、冷や汗を拭う。
そしてアルフレッドが沈黙するのと同時に鋼の塊のような膝蹴りがセラの腹部へ深々と突き刺さる。
ゴキッ、と肋骨が砕ける嫌な音が響き、セラはボールのように平原をバウンドしながら吹き飛んだ。
「ふむ、こんなものか……」
ディミトリはつまらなそうに呟いた。
「ヒャハハハハハハッ!! 素晴らしい! 素晴らしいぞ!!」
その光景を見ていた第一王子が、狂喜の笑い声を上げながら歩み寄ってきた。
地面で痙攣するアルフレッドの身体は、黒焦げになりながらも、未だにゆっくりと細胞を再生させようと蠢いている。
「男爵の報告通りだ! 死なない肉塊! 魔物以下の、美しき化け物だ! ヨハネス、ディミトリ、よくやった! その化け物の四肢の腱を斬り、魔封じの鉄枷を嵌めて、王城の最下層へ連行しろ! いくら切り刻んでも死なないのなら、いくらでも薬を絞り出せるからな!!」
王子は嗜虐心に満ちた瞳でアルフレッドを見下ろし、そして、ディミトリの足元で意識を失いかけているセラへと視線を向けた。
「そして、その生意気なメイド……。俺の妾部屋へ放り込め。自分の大切な飼い犬が俺の足元で泣き叫ぶ姿を見れば、あの高慢な男爵令嬢も、絶望に顔を歪めて這いつくばるだろうよ」
抵抗する術を失ったアルフレッドは、重い拘束具を幾重にも嵌められ、地下深くへと引きずり込まれていく。
◇◇◇
――王城『白亜の宮殿』、第一王子専用の離宮(妾部屋)。
冷たく硬い石の床に、重い金属の扉が開く音が響いた。
「おい、新しい玩具だ。殿下がお戻りになるまで、隅に転がしておけ」
衛兵の無慈悲な声と共に、ボロ雑巾のように傷ついた一人の少女が、冷たい床へと放り出される。
「う……あ……」
全身を打撲し、自慢のメイド服も泥と血にまみれたセラが、虚ろな薄藍色の瞳でゆっくりと顔を上げた。
彼女の視線の先。
格子のはまった窓しかない部屋の中心に、その人はいた。
決して瞳の光を失わずに毅然と立ち尽くしていた、誇り高き令嬢。
「……セラ……?」
フェリシア・ロズウェルの声が、信じられないものを見たかのように震えた。
「フェリシア……様……申し訳、ありませ……アル、様が……」
セラが血を吐きながら呟き、そのまま意識を手放す。
その姿を見た瞬間。
フェリシアの脳内で、何かが決定的に『弾けた』。
自分を守るために、あの最強で最高の料理人が、敗北した。
大切な『妹』のような存在が、理不尽な暴力で傷つけられ、ゴミのように捨てられた。
(……許さない)
彼女がずっと守りたかった、温かくて美味しい、バッカス亭という『居場所』。
それを土足で踏みにじり、嘲笑う、この王都の腐敗した権力。
『――警告。対象の魂の波長が、極大値(閾値)を突破しました』
誰もいない空間に、システムのアラートが鳴り響く。
「……絶対に、許さない」
フェリシアの胸の奥底で。
巨大な絶望を完全に塗り潰すほどの、『特大の怒りと母性』の炎が、今、静かに、そして爆発的に燃え上がり始めた。
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